70歳三浦雄一郎さん「エベレスト」に向け語る いよいよ世紀の冒険スタート!

2003.04.10 92号 5面

七〇歳の冒険家、三浦雄一郎さんの世紀のプロジェクト、世界最高年齢のエベレスト登頂計画がいよいよ始まった。日本出発に先駆けての記者会見で、その意気込みを聞いた。

世界七大陸最高峰スキー滑降記録を成し遂げた三浦雄一郎さん(七〇歳・プロスキーヤー・クラーク記念国際高等学校校長)と、その次男でリレハンメル・長野冬季五輪モーグル代表の三浦豪太さん(三三歳・プロスキーヤー)は、地球上で最も高い頂、エベレスト山(標高八八四八メートル)を目指して、それぞれ3月20日、3月14日、日本を旅立った。山頂アタックは5月上旬から中旬にかけての予定で、現在現地で約一カ月の高度順応トレーニングを行っている。成功すれば、世界最高年齢登頂と、初の日本人親子同時登頂を達成することになる。先に、雄一郎さんの父、三浦敬三さんが白寿(九九歳)の誕生日を迎えた後、息子・孫と親子三代でモンブランのバレー・ブランシュ氷河を滑降し、話題をさらったばかりだ。

普通の人には考えられない挑戦に向けて、三浦雄一郎さんは非常に穏和な表情で、ことの経緯を語った。「五年前、おやじが白寿の記念にモンブランを滑ると宣言した。父はモンブラン、息子の豪太は二度もオリンピックに出場。間に立たされている自分は何だと。それでエベレストと思いました。一九七〇年、三七歳の時に行ったエベレスト大滑降は、滑ることを目的としていたため、頂上には立てませんでした。僕の思いはサウスコル(七九八五メートル)に残してきた。このやり残してきたことを、七〇歳の記念にやりたいと思ったのです」。

そうはいってもその頃は、「冒険家・三浦雄一郎」もなんと「身長一六五センチで体重八二キロ、歩くと股ずれが起こる典型的な成人病候補の体型」だったという。「五年かけて実現しようとトレーニングを開始しました。最初は札幌の家の裏山、五三一メートルの藻岩山に登るのにも息も絶え絶えでギブアップする状態でした」。これをキッカケとして、暇さえあれば重い荷物を持って散歩する習慣を励行。鹿屋体育大学の山本正嘉助教授を訪ねて、科学的合理的な方法を実践するなど、身体改造を行った。直前になって、「暮れからお正月にかけて、インフルエンザにかかって四〇度近い熱が出たけれど、八〇〇〇メートルで関節が全部痛くなる状況のトレーニングの一環と考えて過ごしました」と、持ち前の前向きな精神で頑張ってきた。

今回のルートは、サウスコルを経由する南東稜ルートで、あのエベレスト大滑降を辿るもの。スキー滑降の目標についての本紙の質問に、雄一郎さんは「最低でもサウスコルまで、できたら南峰から滑りたい」と、記録を樹立したい抱負を語った。

標高八〇〇〇メートルを超えるエベレスト山頂の酸素濃度は平地のわずか三分の一という。低酸素以外にも、超低温・乾燥・強風・氷壁・激しい運動などの過酷な条件で、「二〇歳の人間が一〇〇歳の老人に見える世界」と分析される。七〇歳にして、人類の夢に挑む“百歳元気”な日本人、三浦雄一郎さんの活躍に大きな声で熱い声援を送りたい。

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