ようこそ医薬・バイオ室へ:ホウレンソウの遺伝子を持つ豚
多分、人それぞれに好きなトンカツ屋があると思う。私の生活圏でいうと、目黒の「とん喜」や渋谷の「かつ吉」などはいつも行列ができているし、肉重視の人、衣重視の人など様々であろう。
京都の百万遍には有名なトンカツ屋があって、京大のアメリカンフットボール部員の勧誘にはまずそのトンカツ屋が使われた。消耗戦の受験が終わって、普段ろくなものが食べられない下宿生にとって、何気なく連れて来られて、その特製トンカツを食べると、涙が出るほど感激して、ついアメフト部に入部してしまう魔性のトンカツ屋であった。数年前にご主人が病気で閉店してしまい、その後あまり優勝できないのはそのせいでないかと思うほどである。
それはともかく、豚肉はビタミンBも多く、風邪気味かなっと思った時に食べるとよく効く。そもそも関東では肉というと豚で、肉ジャガも豚である。牛肉を使う時ははっきりと「牛」をかぶせて、牛丼という。かつては実家のすき焼きも豚肉で、いつのころか牛肉に変わった時には衝撃的であった。関西では逆に肉というと牛で、肉ジャガ、肉うどん、肉丼とすべて牛である。
ちょっと脱線したのでトンカツの話に戻ると、自慢ではないが、私のように総コレステロール、中性脂肪、尿酸値ともに高い高脂血症の人では、基本的にカロリーの高いトンカツは禁物だ。トンカツ屋で「コレステロールを下げる」油を使って揚げてくれるはずもなく、豚の脂であるラードで揚げるところが多い。高脂血症の人に限ってまた「トンカツは脂の多いロースに限る」とかいってウンチクを語り出したり、悩みの尽きない問題がある。
ところが、今年の1月にそれを一気に解決できるかもしれない発表があった。ホウレンソウの遺伝子を入れて、肉質をヘルシーに変化させた豚を開発したというのだ。開発したのは、近畿大生物理工学部と岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所のグループで、世界初の快挙である。
動物の脂肪は一般に悪玉コレステロールの元といわれる飽和脂肪酸が多く、逆に植物にはリノール酸など不飽和脂肪酸が多く含まれている。そこで、ホウレンソウから不飽和脂肪酸であるリノール酸を生成する酵素(脂肪酸不飽和化酵素、FAD2)の遺伝子を取り出して豚の受精卵に組み込み、遺伝子組み換え豚を作出した。その豚を三代まで調べたところ、不飽和脂肪酸が約二〇%増加し、脂肪酸組成が改善されたという。
リノール酸は必須脂肪酸と呼ばれ、皮膚の状態を維持するなど正常な成長を助ける重要な不飽和脂肪酸だが、ヒトなどの動物はリノール酸を体内で合成することができないため食品から摂取しなければならない。同グループのマウスを使った研究では四〇%も不飽和脂肪酸が増えたので、さらに改良した豚肉ができて、高脂血症の人も安心して食べられるトンカツができるかもしれない。
もっとも、遺伝子組み換え食品となると、さまざまな論議があるであろう。しかしながら、飽和脂肪酸が多い豚肉と少ない豚肉が店先に並んでいたら、たとえ組み換え食品でも選ぶ人がいるかもしれない。消費者に選択の自由を与える食品表示の信頼性が重要だと思っている。
妻は「そこまでしてトンカツ食べなくてもええやんか」とのたまうが、ま、確かにそんな気もする。
(新エネルギー・産業技術総合開発機構 高橋清)