なが~いつきあい!味な友だち:丸美屋食品工業「丸美屋麻婆豆腐の素」

2002.01.10 77号 13面

昭和46年初夏。“麻婆豆腐”という中華料理をまだ誰も知らなかった時代、丸美屋食品工業(株)(東京都杉並区、電話03・3332・8151)は他社に先駆けレトルトタイプの『麻婆豆腐の素』を発売した。

この料理はいまでこそたいていの中華料理店で定番メニューとなっているが、当時は高級専門店などに行かない限り食べられない特別な料理だった。しかも中華料理には、四川、上海、広東など様々な流派があり、それぞれ味が異なる。何を参考に商品化したら良いのか、判断材料も乏しかった。

しかし同社は「提案型の新商品として、独自の市場を形成する可能性がある」と判断。当時、日本人の豆腐の食べ方は味噌汁か湯豆腐、冷や奴程度のバリエーションしかなく、新しいメニューが受け入れられる素地があった。さらに、豆腐そのものも低価格で非常に手に入りやすく、日常の食生活に深く浸透していたからだ。

昭和46年6月、どの中華料理の流派にもない独自の味で『麻婆豆腐の素』を発売。関係者は開発に当たり、星の数ほどの中華料理店を食べ歩いたという。

世間で“麻婆豆腐”の知名度がゼロに等しく、外食店とも異なる味の『麻婆豆腐』を発売したわけだから、セールス活動も従来通りでは通用しない。当時の営業マンたちは車に鍋や包丁を積み、豆腐も買い込んでから、得意先の問屋などへ出かけた。現場の台所などを借りて調理し「どのような料理か説明するのが早い」と考えたのだ。

この調理実演は、町の寄り合い所や銀行、幼稚園など様々な場所で開催。「スーパーへ売り込む前に近くの集会所で実施したことを話し、セールスポイントにした」「豆腐屋に置いてもらうため、豆腐組合の会合で実演」など、涙なみだの実演セールで売り込んだ。

これらの地道な活動とTVCMが効を奏し徐々に売れ始めた。それでも地方の少し不便な所へ営業に行くとまだ知名度は低く「婆(ばばあ)の作る豆腐あるか」などと冷やかされたこともあったという。

昭和50年代には他社が追随してきたが、これが市場拡大へプラスに転じ、飛躍的に知名度が向上した。

“元祖”の丸美屋は品揃えの強化を図り「甘口」(53年)と「辛口」(54年)をそれぞれ発売。従来品は「中辛」となった。

日本人になじみの薄い中華料理の普及で家庭の食卓を豊かにし、食品業界にも新市場を創出したという意味で『麻婆豆腐の素』の功績は大きい。

さあ、今日の晩ご飯は丸美屋の『麻婆豆腐の素』で決まりだ。

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