だから素敵! あの人のヘルシートーク:イラストレーター・永沢まことさん

2001.09.10 73号 4面

世界を旅しては現地の人々や食べ物、風景を描き続けている永沢まことさん。常に新鮮な感動があふれる絵を生む元気の秘訣、シンプルに食べ、シンプルに暮らすコツを探った。

人間なんてただの形。しゃべったり食べたり何十年か生きていたりするけれど、単なる形です。偉い人だろうと、自分の子供だろうと描くときはいつだって単なるある形だと思って描きます。僕が「描きたい」と思うのは“自分が世界の中心”と思って生きている人。

たとえば中国やトルコなどの田舎に暮らすお年寄り。木陰で集まって休んでいるおじいさんたちこそまさに“自分が世界の中心”と思って生きている人なのね。年取らなきゃこういう顔にならないな…っていう顔をしている。自分の考えで生きている頑固さというか、世界の中心であるというような雰囲気を持っているんですよ。

いまの日本には、見た感じ「ああ年寄りだなぁ」という人が本当に少ない。カッコから何から若者ぶってる。コンプレックス持ってるのよ、若くないということに。若い人が街の中心で、年寄りは横歩けっていう風潮でしょ、日本は。隅っこで生きさせてもらっているという感じで、卑屈になっている。それがみんな顔や態度に表れてしまう。

中国の長寿村のお年寄りたちは家族のみんなに尊敬されて毎日を生きているし、食べる物もこれまで自分が食べてきた物を信じています。それが顔にも振る舞いにも表れるんでしょうね。

八〇、九〇歳になったら、「何を食べちゃいけない」ということなどないと思うんです。もう先長くないんだし、何より本人が、九〇まで生きたという確信を持って食べてたら絶対にいいはず。

それから元気な人を見てると動くね。歩くの嫌いという人は衰えもボケるのも早い。画家は長寿な人が多いといわれるけど、調べるとアトリエ画家は早く死んでいるのね。やはり外に出ている人が長生きしている。

僕も家ではほとんど描かず、仕上げぐらいです。常に歩いて、外で描いています。海外に行って、外で大きい絵を描こうとするととても体力を使うんですよ。五時間も六時間も畑に突っ立ってひまわりなんか描いているとね。だから体調にも敏感になる。野菜を欠かすとすぐ分かる。スタミナがなくなって線が荒れてくるんです。

昔から日本でも西行法師とか芭蕉とか蕪村とか、絵描きや詩人は歩いている。西行なんか東北から近畿まで移動してるでしょ。いまの時代にすれば世界旅行規模の話。それもすべて歩きで、ものすごい距離をものすごい早さで移動してる。ものすごい体力だよね。その都度そこの地の物を食べてるけれど、きっと食べ方に原則を持ってたはずなんですよ。例えば簡単に水を飲まないとか、何かあったはず。

四〇歳を過ぎると身体は無理が利かなくなるじゃない。だから食べ物が本当に大事です。どこの国へ行っても自分のペースを、自分の健康を守るには、自分なりのある一定のルールを持つこと。

僕も以前ワイフとあらゆる食事法を試しました。中でも、一番身体にあったのが『世にも美しいダイエット』という本に書いた「青菜の食事法」だったわけ。あれは体内の糖分を少なくする食事法なんです。炭水化物や甘い物を減らす。するとエネルギーが不足する。それで炭水化物の代わりに油を補給するんです。そして炭水化物を減らした分、野菜をたっぷり取ります。実際、主食が青野菜です。中でもカルシウムの豊富な小松菜。この食事法を始めてちょうど二〇代前半のような体力が戻ってきたんです。

旅行もその原則でします。行く前にはまず、その国の野菜事情を調べて、それで準備をします。ヨーロッパだとサラダが豊富でしょ。ホテルは台所つきにして朝市でたくさん野菜を仕入れて、野菜炒めなどを自分で作ります。中国の場合はシンプルな青菜の素炒め、頼めばどこでも作ってくれるのね。小松菜、豆苗や空芯菜、それにスープというスタイルかな。もうひとつ、僕の強い味方なのが「カンコマ」、乾燥小松菜です。海外旅行、とくに野菜のない国に行くときは必ず持っていく。パンにバターを塗ってこれをふりかけるだけ、便利ですよ。たった五グラムで一束分相当だからうっかり食べ過ぎると、おなかいっぱいになっちゃうくらい。

キムチやカレーのような辛すぎる物はあまり食べません。食事をきちんとしていてたまにああいうものを食べるとね、プツッと顔に吹き出物が出る。あまり身体によくないんだと自分でわかるんです。シンプルな食生活だからこそ、食べ物の反応が出やすい。敏感な身体になっているんですね。

やりかたはその人にあった方法でいいと思う。大切なのは、自分の身体を知って、それをルールにして生活していけば、どこでだって生きていけると思いますよ。

「俗に入りて俗にひたらず」、僕は蕪村が大好きです。死ぬまで女好きでスキャンダルが多いのね。それでいて描く絵は全然俗っぽくない。自分の世界を持ってたんでしょうね。高齢になって描いたり書いたりしたものでも、まるで初めて目にしたような感動が表されている。

僕もね、何十何百と描いてきた物でも、そのたび新鮮に描きたいと思ってます。長く生きてると、たくさんのものを見たりいろんな人と付き合ったりするけど、僕は定期的にそれらを忘れてしまうんです。同窓会とかってほとんど出席したことがないなあ。「いま」の方がおもしろいから。古い友人でもいまの形で付き合える人とは付き合うけれど、懐かしいだけで付き合うと全然面白くない。

捨てることも大事ね。僕は長い旅行の前は持ってる本や何か一回捨てるんですよ、大幅に。一年読まない本は捨てる、一年間着ない服は一生着ないと思って捨てる。思い出の手紙とか写真とかを大事にしていると過去に縛られちゃうと思う。

絵を描くにはデザイヤーが必要。自分の好きな風景だったら、自分のものにしたいという気持ちで描くわけでしょ。それと同じで食べ物も「食べたい」という強い気持ちがないとうまく描けませんね。食べようと思わない物は描かない。例えば目玉焼きをどこから食べるかって話になるけど、黄身から食べたい人は真ん中の黄身から描けばいいし、白身からという人はそこから描けばいいんです。

全体の構図で捉えないで一点突破で描き広げていくの。そうすると誰でも描けます。サラダでもパスタでも、描こうとすると果てしなく線があって、「か、描けなぁい」と思うかもしれないけれど、先に出来上がりをイメージしてそこに小利口に近づけていくんじゃなく、一枚気に入ったレタスの葉っぱの形を描いたら次に隣を描く…その繰り返しでいつの間にか描けてた、そんなもんですよ。描く前に上手に描こうなんて思っちゃ手は動きません。

意外に人は物をちゃんと見ていないじゃない。毎日食べてる食べ物でさえ、ちゃんと見てないんだよね。絵を描くとね、いかに形が大事かが分かる。同じ物でもね、ちょっと赤い色が添えられていたり、立体的に盛られているだけで、もう、すごくワクワクして描きたくなるじゃない。つまり、食べたくなるのね。

これからも、見たい・食べたい・描きたいに素直に生きたいですね。

◆プロフィル

ながさわ・まこと 1936年、東京生まれ。学習院大学政治学科卒。アニメーター・イラストレーターとして活動のあと、78年から8年間、NY在住。現在は東京を拠点に世界を旅し、各地の風景と人々の姿を描き続けている。

<著書>『絵を描きたいあなたへ』/講談社、『東京人間図鑑』『イタリアの幸せなキッチン』(宮本美智子との共著)『世にも美しいダイエット 青菜ブック』(青菜倶楽部との共著)/草思社、『読売新聞』日曜朝刊にコラム「よむヒト図鑑」を連載中。

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