らいらっく人生学:平壌冷麺の味
友人、草壁氏の「盛岡冷めんはいかが。いまやわんこそばを超える人気とか」との提案に、温泉おたくの同じく上野氏が「少し足を延ばせば、花巻の奥にいい湯があります」と応じる。子供のころ、近所に花巻あたり出身の格好いい海軍将校がいて、筆者にも妙に懐かしい土地である。しかし、この街に、なにゆえ朝鮮系の冷めんなのであろうか……。
「簡単ですよ。北朝鮮出身の青木輝人さんが一七歳のとき、東京経由で当地に居着き、故郷・ハムフンの味を再現したのが始まり。《元祖平壌冷麺の店・食道園》の創業は昭和29年といいます」と、さすが食の探検家・草壁氏は詳しい。
なるほど、かほどの冷めんを、東京・大阪の韓国料理店や焼肉屋で食したことがない。「ソウル、プサンにもない」と草壁氏がいった。
輝人氏は病気療養中でお会いできなかったが、次男の雅彦さんが応対してくれた。
「親父は、故郷の味が忘れられず再現に努力を重ねたのです。でも、これは親父の記憶にある冷めんであり、現地のものとは違うでしょうね。でも父の形を絶対に変えるつもりはありません」
調理場に回るとそのこだわりの様が分かる。近代的な調理器具と、流水を利用したキムチ冷蔵の仕掛けなど伝来らしい工夫が同居していた。
筆者は盛岡にたまたま漂着した男が、子々孫々に残せる業を成したことに感動を覚えた。
「考えてみると、僕ら、子に伝える知識も技術もないよね。だいたい親のいうことなんかきかないもの」
と、経理マンの上野氏が嘆く。変哲もないサラリーマン家庭に育った筆者も親から受け継いだものは財産も含めて思い当たらない。子もまた勝手に生きている。
奥花巻に上野氏が“発見した”一軒家の温泉は湯治場の雰囲気を残してまことに素晴らしく,チリ一つなく掃き清められた廊下はすりへって木目が浮き出ていた。ここにも受け継いでいく確固たる意志が伺えるのだった。