だから素敵! あの人のヘルシートーク:俳優・小林桂樹さん

1999.07.10 46号 4面

この夏、大林宣彦監督の新・尾道三部作の最終作品『あの、夏の日』が全国東映系で公開される。「世紀末の大不況下、見終わって皆が元気の出る映画」をコンセプトにつくられたこの作品で、主演を演じる小林桂樹さん。その心象はこの世にあるのか、あの世にあるのか、判断がつきかねるユニークなキャラクターをベテラン俳優はどう演じたのか。撮影中の苦労話も含め、聞かせてもらった。

撮影は昨年の7月下旬から8月いっぱいの四〇日間、広島県の尾道で、でした。大林監督は「緑」の映画にするというテーマがあったようです。美しい大きな雲とか草いきれの匂いとかを彷彿させる圧倒的な「夏の色」ですね。これは空気が悪いと撮れない。色が悪くなる。だから天気がいい日、つまり本当に汗がダラダラ出る暑い日の炎天下で、すべてが行われました。尾道は坂と階段が多い町でね、はっきり言って大変でしたよ。でもその大変が作品の臨場感を出すことに功を奏していますから、やりがいがあります。

僕は一年中散歩していて、生活の中に歩くことが入っているんです。割合自然の生き物みたいになれるようにしているんで、現場で暑くてイヤだな、寒くてイヤだな、雨が降ってイヤだなということはないですね。馴れているんです。馴れていると思う自分の自信、これが大事ですね。つらくないことはないんだけど、自分は普段から歩いているんだと思うことで、芝居に集中することができる。

主人公の賢司朗翁は、懐かしい思い出の中に“なんとしてもの心残り”がある。その心残りを解決するために子供と一緒に時空を越えた旅をして、少年時代の自分と出会う。空を飛ぶとか、過去の世界に帰るとか、大林監督独特のファンタジーがふんだんに描かれています。そんな作品を演じて、私生活の心理も変わりましたよ。夢を見るでしょ。その中で、もう亡くなってしまった父や母と会っておしゃべりをする。そういう時って本当は実際に過去の世界に行っているんじゃないかって、思うようになりました。

一緒に仕事をした役者仲間が亡くなった場合でも、お葬式に列席して顔を見なければ、亡くなった気持ちがしないということ、あるでしょ。ここのところもう何年も会っていない場合なんか特に、ちょっとご無沙汰しているなあという感じが続く。むしろそういう気持ちでいた方がいいみたいね。実際に肉体がこの世から消え失せても、その人がそれで全部終わりというわけじゃないんじゃないのかな。

散歩で青山墓地を歩くんですが、そんな気持ちでいると墓地というのはなかなかいいものですよ。お墓にも流行があるし、時代によって人の死の評価も違う。注意して眺めるといろいろなことを想像させる書き込みがたくさんあるんです。自分もいずれはこういう所に入るんだな、そういうのもいいものだな、なんてね。歴史上の人物とされるような偉い人もたくさんいらして、中には僕が演じさせていただいた方もおられる。他人とは思えなくてね、「お久しぶりです」なんて声をかけたり。

歴史上の人物を演じることが多かったですね。そうした場合、もちろん有名な場面はニュース映像なんか見て似させますが、全部そういうわけにはいかない。それがごく日常のシーンで、その方のご家族が見て不思議と似ているといわれることがある。

第二次大戦唯一の内地戦、沖縄戦で軍指令官を務めた牛島満陸軍中将を映画で演じさせていただきました。最後は割腹自決をされたんだけれど、奥さんは当然、戦場のその場面には立ち会っていない。だから、僕が演じた映画でご主人が亡くなった時の状況に立ち会った格好になった。僕がやっているとはいえ「主人とすごく重なるところがあって、感無量でした」とおっしゃられて。牛島さんは軍人といっても、学校の校長先生のような性格の人だったそうです。そんな風に書かれている資料が多い。でも、それ以上のことは分からない。そういう時、どうするかというとね、その人の写真を見るんです。ただ写真を見ているとね、動き出してくる。それがなんとなく伝わってきて、声とかね、自分なりに分かってくる。

実在しないフィクションの人物でも同じです。「あの、夏の日」の大井賢司朗の場合もそうです。イメージを自分でつくる。そうするとやはり、そういう人ができてくる。実際にいた人みたいになる。小林桂樹と同じ顔をして、でももちろん僕とは違う。この人ならきっとこういう話し方をする。この人が空を飛ぶ時はこうでなくては。死ぬ時はきっとこうに違いない、と。それは僕の死ぬ時とは違うでしょうね。子供の頃、祭りの境内でそんな手引書を買ったんでしょうか、壁を突き破ることや空を飛ぶことができると思っている不思議なおじいさん。この人は大林監督がぜひいてほしいと思っている、ある理想的なおじいさんなのかもしれません。実際に昔いたのかもしれませんね。常識的な発想でなく、少年のような夢。そういう存在です。

元来、身体が丈夫なのが取り柄で、血圧とか血糖値とかコレステロールの量とかも全く平常値、風邪をひいたことも人生の中で何回かというくらいだったのに、この冬、初めて体調を壊した時期がありました。夜中に咳が止まらなくなって。『あの、夏の日』のように過去の世界に行ったな、なんて思いましたよ。

近くのお医者に行ったら、狭心症のきらいがある、もしかすると、心筋梗塞だと。心筋梗塞というのは、冠動脈が塞がっちゃうこと。塞がっちゃうと、死んじゃうんですよ。「死んじゃうかもしれません」とお医者が言うから、「死んじゃ困ります」って。「では検査をしなくてはいけません」ということになった。これまで人間ドックに入ったこともなかったから、尻込みしちゃってね。検査というより手術という感じの大掛かりなものでした。僕は知らなかったけれど、隣の部屋で、もし心臓に異常がきたした場合は切開手術するために僕の主治医が待機していてくれたんです。テレビと同じでね、モニターブースを見て、ずっと観察していてくれた。で、本当に大丈夫だとわかった時点でそのお医者が飛んできて、「小林さん、いい心臓していますよ。大丈夫です!良かったですね!」って。

その時、僕は非常に感動した。ジーンとした。僕がなんでもないんだってことに感動したんじゃないんです。このお医者が素敵だって思った。先生の顔は本当に上気していてね。「ああ、これが医者だ! 医者ってこうあるべきだ」って思いました。本当に患者の気持ちになってくれた。その検査自体も、僕は「先生、そんなことしなくていいんじゃない?」なんていったくらいなのに。

「ああ、僕の身体は大丈夫だったんだ、死ななくてすんだんだ」と思ったのは部屋に帰ってきてからです。おかげさまで回復は順調で、もうこの通り、仕事に復帰することもできました。病気の原因は疲労と風邪で心臓に負担がかかったことでした。で、もう身体に穴をあけて検査をするようなことはイヤですから、一日四〇本吸っていたタバコを一切やめました。健康法は歩くこと、食べ物は「本当に身体に良さそうなものが好きだね」って人に言われますから、食生活は良好のようです。青菜のお浸しに魚、納豆、チーズに豆類。旬のものもよく食べます。タバコをやめたら、食べ物がもっとおいしくなりましたね。歩く速度を早くしても息切れしなくなったし、僕の場合、今度のことでより健康体になれたのかもしれません。

普通ならあの時死んでいたかもしれないのに、それがまた生きちゃった。どうせだから、これからもいい仕事をしたいですね。僕は同窓会に行くとみんなのアイドルなんです。定年がないというのはありがたい。集まりで現役なのは、小さな会社をやっている経営者と、あと僕。僕がくたびれて心臓が止まっちゃったら、みんなの元気に大きな影響があるかもしれないな。

僕らの世代、大正11年から13年生まれは、一番戦争の影響を受けた世代です。同級生の中で、優秀な奴が何人も兵隊にとられて死んでいる。僕はたまたま満州に行って、まあ助かりましたが。生き残ったにしても精神的に強い痛手を背負って生きてきた奴も多い。

それだけに、ぼくらの“世代の想い”というのはありますね。新しい世紀になりますが、いまの日本はこれでいいのか、という気持ちは確かにある。『あの、夏の日』も「二〇世紀を生きてきたものがこれから二一世紀という壮大なドラマを生きる主人公たちに手渡すもの」が、テーマです。二一世紀への希望を映画の中に何か感じていただけたら嬉しいです。

● 小林桂樹さんのプロフィル

一九二三年、群馬県生まれ。日大芸術学部中退。一九三一年に日活に入社後『微笑みの国』でデビュー。『裸の大将』『黒い画集』などで各種主演男優賞に輝く。テレビドラマの代表作は『それぞれの秋』『赤ひげ』『冬の桃』など。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受賞。テレビではテレビ朝日系列『牟田刑事官シリーズ』、日本テレビ系列『朝日岳之介シリーズ』に出演している。

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