元気インタビュー アルファ米開発物語 西尾食品・増田開発部長
長期間持ち歩いても腐らず、水やお湯を注ぐだけで赤飯やおこわになる便利な食品がある。アルファ米と呼ばれ、南極観測隊や登山遠征隊の携行食として知られる。最近では災害備蓄用の非常食として、また海外旅行向けにも人気が高い。アルファ米という名前からするとどんなに最新の製品かと思うが、実は歴史は古く、第二次世界大戦の末期に海軍の要請で開発されたもの。当時から開発・製造を担当し、八一歳のいまも、現役で新製品開発に取り組んでいる尾西食品(株)取締役研究開発部長の増田為江さんに、アルファ米誕生秘話を聞いた。
「まずお話の前に、ひとつおにぎりを作ってさしあげましょうネ」と増田さんが取りい出したるは、アラなつかしや理科の実験で使ったビーカー。その中のお湯をおにぎり型のプラスチック容器に注いで「あとは待つだけ」。お湯なら二〇分、水なら六〇分でおにぎりができ上がるという。
プラスチックのおにぎり容器の中にはカラカラに乾いた飯粒が入っている。そう、炊飯器の周りで見かける、あのカチカチご飯だ。「みかけは似ていますがね、単なるカチカチご飯と違うんですよ」その秘密はおコメのなかに含まれる澱粉に隠されているという。「澱粉には食べられる澱粉と食べられない澱粉があるんです。生の澱粉はベータ澱粉と呼ばれ、結晶構造がしっかりしていて消化しない。しかし、このベータ澱粉を水と一緒に加熱すると、結晶構造が崩れ、食べて消化の良いアルファ澱粉になります。つまりわれわれはコメを炊いて澱粉をアルファ化して食べている訳です」。
ただそれを放置しておくと、元のベータ澱粉(生米)に戻ってしまう。それなのになぜアルファ米は長期間保存しても水を注ぐだけでおいしく食べられるのか。「せんべいと同じ原理なのです。コメを原料とするせんべいは、長期間保存してもおいしく食べられますよね。焼くことで急速に乾燥され、アルファ澱粉をそのままの形で固定し安定化してしまうのです。アルファ米もせんべい同様、炊きたてのご飯をそのまま急速乾燥させることで、ベータ澱粉に戻ることがなくなる。水分を加えてやるだけで、いつでもおいしいご飯が食べられるのです。しかも、乾燥しているので虫はつかない、かびない、軽い、便利な食品なのです」。
「戦場で、飯盒炊さんなどして煙を上げようものなら、敵に居場所を知られ攻撃されてしまうでしょ。ですから“水を入れるだけでできるご飯”がどうしても必要だった訳です」…とは言うものの、そんな魔法のような話、簡単にできるものではない。
尾西食品はアルファ米開発以前に、水を加えるだけで即席お餅になる“餅の素”を海軍に納入していた。これが非常においしく便利で化学的にも安全性が認められていた。
そのノウハウが買われ、軍から先のようなアルファ米開発の要請を受けた。
先代の社長、故・尾西敏保氏は、もともと海軍の下士官として小型潜水艦に乗っていた。潜水艦の中では酸素は大切で炊飯不可能、「ずいぶんひもじい思いをしたそうですよ。そこで暇さえあれば保存食の構想を練っていたそうです」。退役後の昭和10年、乾燥食品の開発に心血を注ぎ、その後、大阪大学産業科学研究所の故・二国二郎博士と共同研究でついに昭和19年アルファ米を完成させた。
「当時は作っても作っても足りないほどで、終戦までに六二〇〇トンのアルファ米を製造しました」。このアルファ米の製法は特許を得たが、いまはそれも切れてしまったほど息の長い商品なのだ。
戦後の食糧事情回復で、一時需要が落ち込んだものの、アルファ米は災害備蓄用の非常食として再び注目を浴びることに。阪神大震災後は、地方自治体や企業の災害備蓄用の需要が二・三倍に増えたという。「折しも平成7年秋、宮城県に新工場を完成させてほどなく、阪神大震災が起きまして。アルファ米の需要は突如急増し、生産ラインは未完成のまま、いきなりフル操業に入ったのです」。
一方、海外旅行やアウトドア用品のレジャー需要としても伸びている。同社では白飯のほか、山菜おこわや五目ご飯、お茶漬けなども売り出しており、非常用から日常用に需要を拡大中だ。
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「さあ、話しているうちに、さっきのおにぎりができ上がりましたよ。どうぞ召し上がれ」。いやぁ、おいしい。一粒一粒がふっくらしている。日本人にとっては当り前のことだが、この、ご飯が全粒の形を保つ、ということが実は難しいという。「アルファ米の味の改善は私の長年の懸案でした。コメを全粒のまま割れてしまわないように乾燥させる技術と包装技術の向上が、おいしさを保つポイントなのです」。昔の包装は和紙だったため、おコメのわずかな脂肪の酸化で酸化臭があったが、新パッケージでは酸素を通さないフィルムでしかも脱酸素剤を入れ酸化の原因を元から絶っている。「今後の夢は、炊きたてのご飯が持っている香りをどうにかできないかということ。そうしてもっとおいしいアルファ米を作りたいのです」。八一歳の研究者の穏やかな瞳の奥に燃え盛る情熱を感じた。
植村直巳さんも愛用。アルファ米は登山家の間ではずいぶん以前から活用されてきた。高い山に登ると気圧の関係で沸点が下がってしまい、おコメがうまく炊けないため。まして軽装備が望ましい山登りにはコンパクトなアルファ米が最適なのだ。昭和28年の雑誌「山と渓谷」にもオニシライスと紹介されている。グルメな登山家は「コシヒカリで作って下さい」と特別注文もするそう。尾西食品の本社にはアルファ米持参で登頂に成功した登山家たちから贈られたたくさんの美しい山の写真が飾られていた。
◆ますだ・ためえ 大正6年神奈川県生まれ。仙台工業専門学校(現・東北大学工学部)卒業。戦時中は海軍でロケットの固形燃料の開発に取り組み、終戦を海軍火薬厰で迎えた。戦後、尾西敏保と出会い澱粉のアルファ化の開発を始めた。アルファ澱粉を使った母乳に限りなく近いミルク商品などのヒット作も生んだ。平成3年より現職。