中国・景徳鎮やきもの紀行 磁器のふるさとに悠久の食文化をみた
日清食品グループのフーディアム・コミュニケーション(株)(電話03・3205・5021)では先頃、磁器発祥の地 中国・景徳鎮探訪ツアーを実施。やきもののふるさとであるこの街の歴史的軌跡、そして現在を同行ルポした。
江西省・景徳鎮にはその省都、南昌市から入る。えんえんとガタガタ道を車に揺られて八時間、ようやく街道の両脇に大型の妓や置物を並べる店々が現れた。
一行はまず、古くからの景徳鎮の製品や遺物が年代順にずらりと展示されている「陶瓷館」を訪れた。さて、その古くからとはいつごろなのか。「景徳鎮陶録」という清代に書かれた著書によると、この地では漢代からやきものが作られていたという記録があるが、残念ながらそれは作品の形跡がない、いわば神話の時代。ここにある展示の始まりも五代十国(九○七~九六○)から宋(九六○~一二七一)にかけてのもの。それでも日本の磁器生産の歴史より実に七○○年も早くに黎明期が幕を開けている。
長い景徳鎮の生産史において、第一期黄金時代は青みをおびた白磁(青白磁=影青)の作品が美しい宋代。第二期はコバルト顔料を用いた青花白磁、日本でいういわゆる染付の元代(一二七一~一三六八)。第三期は白磁の表面に赤・黄・緑の文様があざやかな五彩の明代(一三六八~一六四四)中ごろ。第四期はさまざまな新しい釉薬やヨーロッパの七宝などの手法が取り入れられ、技術が集大成された清代(一六四四~一九一二)--とされるが、この博物館ではその作品群が時代ごとに独立した部屋を持ち、並べられている。
周知の通り、中国の歴代王朝の変遷はリーダーシップをとる民族入れ替わりの積み重ねだ。やきものはそれらの各時代、食文化を彩る名優だったはずと考えてどこかにその痕跡が見えないかと目を凝らしていると、やはり見えてくるものがあった。
「宋~元~明~清の各王朝の器の高さを見てください。漢民族の宋から遊牧民であるモンゴル民族の元に移った時、脚付きの背の高い食器になっています。遊牧民は床に座って食事をするため、このようなスタイルになるのですね。それから次の漢民族の明でまた低くなる。その次の清はモンゴル民族ながら文化的に漢化政策を採ったので低いままです。食事に伴うお酒も宋まではアルコール度数の弱いものですが元からは強いリキュール。これは酒器の大きさに現れています。そんな風に器の格好から各時代の食事風景を想像してみてください」。
教えてくれたのは案内役の江西省収蔵学研究会副会長の陳江さんだ。
古い窯跡は「古窯子」と呼ばれる。市の東郊外に位置する湖田という名の窯跡は、五代から明代中期まで火が入っていたところだという。大きくくりぬかれたその窯跡の際に立ち、はるかむかし、ここで焼き上げられたやきものたちを思い浮かべた。隣接する陳列館には出土した陶器のかけらが展示されており、近くの物原(陶片の散乱している所)にも同様のものが残っているという。一千年の悠久の文化史がさりげない姿で保存されているのは驚きだ。
ところで二○面で取り上げた「中国ふしぎ緑卵」は、全くの偶然にこの街で出会った健康食材だ。取材班にこれを教えてくれたのは、東郷県人民政府副県長の唐安来さん。故・陳雲氏の夫人で著名な栄養学者の于若木さんが推奨している卵という。問い合わせは中国・江西省電話0794・4232150。