現代版“漢方”を徹底研究 中国医学とは異なる漢方、日本で独特の発展

1997.04.10 19号 2面

まず、お話をうかがったのが吉祥寺中医クリニックの張瓏英院長。「私たちは漢方には副作用がないなどと、どうして勘違いしてしまったのか」。張院長はこの疑問にはっきりとした答えを与えてくれた。

そもそも日本の漢方療法は、いつごろ始まったものなのだろうか。「日本に中国の情報が最初に入ったのは遣随使・遣唐使の時代からでしょう。漢方というのはその随・唐の前の時代、“漢”の国の処方という意味。仏教と一緒に伝来し、おもに貴族とか上級武士とかの上流階級の人たちに用いられた。その時代に造られた仏教のお寺で薬師寺という名前のものが、日本全国にある。あれは漢方薬の倉庫です」

漢方の漢とは、時代としての“漢”の意味だった。さて、それから日本の漢方がどうなっていったのか。

「江戸時代の中期、残念ながら鎖国という事態が起き、それ以降の新しい中国医学の考え方が日本にほとんど入らなくなってしまった。そこで日本独特の処方が発展することになったのです。武士階級が非常に落ち込み、医師に転業する人が多く出たこともあって、悪くいえば簡便な方法で治療する習慣が起こったのですね」

私たちの勘違いの原因がなんとなく分かってきた。ところで、一方で漢方といい、東洋医学ともいうこの違いは何なのだろうか。

「東洋医学というのは戦時中、“漢”という言葉が使いにくくなり、代用で生まれたいい方ですね。東アジアの伝統医学という意味はなく、日本医学とイコールです」

それでは、大もとの中国の伝統医学のことは何というのだろうか。また日本医学とどこが違うのか。

「中医学、世界的にはチャイニーズ・メディシンといわれています。その歴史は四○○○年も五○○○年もありますが、西洋医学同様つねに新しい学説が生まれ、変化しています。処方が固まってしまって変化のない日本医学的な漢方との、ここが大きな違いですね」

「それから、日本医学的な漢方の処方は風邪なら葛根湯、肝臓病なら小芝胡とか、こういう損傷があればこの薬という当て物で対処しています。私たちの方法では患者の弁証論治といって、患者の状態をひとつの証として薬を加減します。その人に一番合うオリジナルな処方をするわけですね」

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