長寿の里探訪 山梨・棡原 麦の食文化の強靭な力

1996.06.10 9号 15面

棡原(ゆずりはら)の食生活は戦後一〇年頃まで、土地から穫れる物で完全に自給自足していたという。土地から穫れる食材……具体的に挙げていくと麦を中心として雑穀、豆類、芋類、野菜、山菜、海草、味噌、魚の干物なと。

ざっと見回しても動物性たんぱん質はきわめて少なく、ハレの日以外はめったに口にしなかったそうだ。この食生活で発育期を過した棡原の現在の高齢者たちは一見小柄な体型だが、骨格測定をするとガッチリした強じんな骨組みに驚かされる。厳しい自然の風土と重労働と食とが組み合わさって作り上げられた賜だ。

さてそれにしても、これらの一見味けない炭水化物類を、どうやって調理して三食のテーブルにのせてきたのか。まず、棡原の食生活の特徴的存在、麦のあしらい方からみてみたい。麦には大麦と小麦がある。大麦は「押し麦」「お麦(ばく)」「割り」の三種類の食べ方で、小麦は粉にしてうどん・ほうとう・酒まんじゅう・ヤキ餅などにして口に入れる。

酒まんじゅうは中でも当地の伝統食として特筆すべきものだ。作り方は、大麦の麺とお麦の粥でつくった甘酒の汁で、小麦粉をこねる。これを手でちぎって中に小豆の塩あんを入れ、せいろでふかし、ふくらませたもの。ハレの日にどっさり作って食べる。

塩あんなので、子供のころから糖分をとらない食習慣が養われる。お菓子ながら腸内有用菌の繁殖を助長する働きもあるとみられている。

麦のほか、アワ・キビ・ヒエ・ソバ・穂モロコシ・唐モロコシ‐‐といった雑穀も棡原では立派な主食としてきた。当地の女性の出産は多産で、しかも母乳率の高いことが大きな特徴だが、彼女たちの報告によると、「夕食時にこれらの雑穀を食べると、床に入ってから乳房が痛いほど張る」ぐらい母乳の分泌をおう盛にするという。

おそらく雑穀に含まれるビタミンEの作用と推測されている。

(参考資料=古守豊甫氏の著書から)

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