9月19日。今日は熟成烏龍茶の日
毎月19日は日本コカ・コーラ株式会社が制定した熟成烏龍茶の日。「熟成」の語呂合わせに由来する。
紅茶は烏龍茶が進化して登場した⁉
1720年代、イギリスの東インド会社が中国茶の輸入の独占権を得るようになり、高価な緑茶のほかに、値段の高い粉緑茶や中下級「武夷茶」も輸入するようになっていった。この当時イギリスに送られた「武夷茶」は、英語Bohea(ボヒー)と書き、「黒っぽい葉茶の烏龍茶のなかでは、品質がもっとも低いもの (下級品)」を意味していた。「貢納茶」とは別のものであった。 イギリスへの中国茶の輸入量が急ピッチで増えていくなかで、 砂糖との相性もよく、緑茶のような刺すような渋味もなく、肉食主体のイギリス人の食生活に おいて、「発酵茶」が脂肪・たん白質の消化を促進し、口中の油脂分を切ってくれることを体験的に知るようになったために、イギリス人は「緑茶」から離れて、「烏龍茶」、または「烏龍茶のなかでもより強く発酵した茶(今日の紅茶により近いもの)」 に対する興味、関心が増していった。一方、中国の茶生産地でも、イギリス市場での需要の変化に即応するため、1842年のアヘン 戦争終結後は、福建省で発酵茶「工夫(コングー)茶」の製造が本格的に開始された。これは後に、自然条件に恵まれた安徽省祁門一帯で「祁門紅茶」として 発展していくことになる。
茶が初めて中国で発見されたのは前述の通り紀元前2700年頃といわれている。歴史的にみて、もっとも古い製茶法は「緑茶」に近いものであったと推定されている。次いで、10世紀頃以前から最古の烏竜茶と推定できる「武夷岩茶」が存在した。これは、福建省の北部、崇安県の武夷山地区の産で、宋代から明、清の各代を通じて皇帝への「貢納茶」として著名であった。この福建省の武夷茶は「紅茶の原型」ともいうべき日乾式で、中国の国内ではあまり普及することはなかったので、当然のこととして生産量もごくわずかであった。
このように中国で、紅茶の前身ともいうべき烏龍茶を進化させることによって紅茶は誕生したのである。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:日本紅茶協会 稲田信一))