甘辛ゲストの目 焼き鳥の要 “焼き”は職人・料理人・火の芸術

1995.09.18 85号 14面

夏の商いに冷えこみは禁物。一転して猛暑になると、夏ものの売上げも反転上昇し、飲む方も食べる方も威勢がいい。こういう景気変動型、あるいは季節変動型の商いこそ、迎撃型から攻撃型へ、変動型から平日安定型の戦略へと転換が必要だが、そのシフトを欠く店も少なくない。

ある夕方、銀座に映画「飲食男女」を観に出かけた。台北生まれのアン・リー監督は、料理が得意というがタダモノではない。これは食を主題とした映画の傑作である。外食産業界でも話題になったが、邦題が「恋人たちの食卓」という、ふやけた題名だったので、見逃した人もいるかも知れない。

六年前、ニューヨークの美食協会から、映画「バベットの晩饗会」の料理復元の案内を受け取った。この時は行けなかった代わりに、東京で同じ趣向の会食を実現した。映画館で見た後、会食を隣りのホテル西洋銀座にお願いした。この一〇〇年前の料理の再現に、五〇人ほどの美食愛好家が集まった。今回はニューヨークの「飲食男女」の上映期間中、チャイナタウンの中華料理店が、映画のメニューを提供して人気を呼んだ。日本でもホテル・オークラが、セット・メニューを組んで供したが、このようなイベントづくりも、夏枯れの攻撃型戦略の実例である。

映画の食卓はさまざまだが、家族の食事でも家常(日常)料理はない。引退した総料理長の朱老人が、娘たちに強要する日曜の夕食は、高級ホテルそのままの豪華な料理だ。その見所で凄いのが調理場面で、包丁さばきから加熱の手際まで正に名人芸だが、それもそのはず、映画に映った手の持ち主は、台湾でベストスリーといわれる鼎泰豊、天香楼、金龍庁の三人のシェフである(最後のクレディットに三人の名があった)。

多彩な技術で最高の印象は「加熱の技」にあった。その「段どり・プロセス・仕上げ」の、一連の仕事は「火の芸術」と呼ぶべきものだ。この職人芸こそ量産工程の規範である。食品メーカーでも外食産業でも、その「加熱工程」にビルトインするモデルとなる。

映画館を出て食事となった。銀座を物色して歩くと「焼き鳥屋」があった。初めての店は冒険だが、連れに促されて入った店は、カウンターとテーブルで五〇席ほどある。カウンターに掛けて、各地の地酒メニューと、焼き物のメニューは品数が多い。

メニューにあるネギを注文すると「夏は休んでいます」という。「八百屋で売ってるよ」と言ったが返事はなかった。熱いオシボリと角盆のセットが来る。二つの鉢は大根おろしとおひたし、いずれも野菜なのは気が利いている。だが時期にかかわらず、ネギを確保できないのだろうか。

酒を飲んで待つうち、四品頼んだ焼き物が一品(牛舌)だけが出る。冷房も利いているので、冷めないよう時差で出すのかと思うが、後がなかなか来ない。こちらは四品同時に出ると考え、食べる順序や組合わせを考えてオーダーしている。イントロにカリッとした鳥皮、つぎにボリュームのある鶏手羽、口替わりにオクラを食べて、タレ味の牛舌。それから次のオーダーを考える寸法だった。小刻みに持って来られては、好みの食感や味のリズムにならない。

オクラが来たところで「注文はすべて通っているの」と念を押す。カウンターの中では、アシスタントが注文書を見て、皿に串を乗せて用意しているが、火の前の係は焼こうとしない。

炭火が見える焼き台の、半分は空いているのに串は乗っていない。催促しても注文を焼き台に乗せない。いったい何を考えているのか。見ると串と火が離れている、いくら「強火の遠火」といっても、炭が少なくては火力が弱い。なかなか焼き上がらないわけである。串に塩をしているのを見ると、葢に穴のある缶をゆすって、じかに塩を串に振りかけている。

ようやく残りの二品が来た。手羽は焼き色がついておらず、押すとふにゃふにゃで、酒の肴に塩がたりない。卓上の塩をつまみ、高くからひねって落としてやる。手羽を串からはずし、肉を引っ張るが骨から離れない。鳥皮も焼きが不足で油が落ちておらず、ぐにゃぐにゃの食感で塩が足りない。結局、この二品は食べずに終わった。

かつてブリヤ・サヴァランは「美味礼讃」の冒頭で、「料理人にはなれても、焼き肉師は生まれついての才能である」と書いた。お客の面前で焼く仕事は、それ自体がパフォーマンスである。

火加減も塩振りも、タレ付けも、串の返し方も、お客の期待の目に応えたサービスである。現代の「焼き鳥屋」においても、火を前にする者は、たとえ焼き肉師にはなれなくとも、せめて調理のイロハを知る「料理人」になってほしい。

サヴァランの時代、調理場を統率するのはメートル・ドテルだった。その下に料理長(エキュイエ)、「焼き肉係」(ロティスール)がいる。以下、料理人(キュイジニエール)、下働き(ギャルソン・ド・キュイジーヌ)、パン焼き係(パヌトリ)、飲物係(エシャンヌル)、果物係(フュイトリ)だったから、焼き肉係は高い地位を占めていた。

サヴァランに対し、キュシー候爵は「肉を炙ることは究極の技だが、生まれついての焼き肉係には、まだ会ったことがない」と言い、またグリモ・ド・ラ・レニエールは「完璧な焼き肉係は、一〇〇〇人に一人しかいない」と言っている。

日本で肉の消費が一人一キログラムに達したのは、わずか三〇年前のことである。しかし七世紀の肉食禁止令から、江戸時代の家畜保護の禁令、明治開国期の肉食奨励まで、鳥を食べることは一度も禁止されたことがない。「焼き鳥」こそ歴史的なロングセラーである。

夏が終わり秋を迎え冬になっても、焼き鳥はメニューの再編のキーである。それだけに提供技術の洗練こそ先決課題である。

(フードシステム研究所所長・田中千博)

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