すごい人たちに学び“センティナリアン駅”行きの切符を買おう

2003.11.10 100号 2面

かつては非常に珍しい存在だったセンティナリアン。しかしいま、先進国を中心に世界的レベルでこのすごい人たちが急増しているのだ。『100万人100歳の長生き上手』によると「先進工業国では、センティナリアンは毎年八%という極めて急速なスピードで増え続けている。それにひきかえ相対的な人口増加率は一%だ。やがてセンティナリアンブームが巻き起こると見られる」という。公衆衛生が整い、医療が発達し、さまざまな食材の機能性も明らかになった現代、私たちは等しく“センティナリアン駅”へ至る汽車に乗るプラットホームにいるのだ。あとは、習慣の選択と努力次第。『百歳元気新聞』でもかねてから百寿者取材を展開してきた。取材記をもとに、そのノウハウを先駆者から学んでいきたい。

◆食べ物に好き嫌いはないけれどこだわりはある

「お好きな食べ物は?」の質問に返ってくる答えは、「好き嫌いはないです。何でも食べます」が圧倒的だ。物のない時代をすり抜けてきた百寿者は、我慢強く、ワガママはいわない。けれどよく食べているものの共通項として挙げられるのが味噌汁、日本茶、納豆・キムチ・漬物などの発酵食品、ヨーグルトなどの乳製品、野菜の煮物、季節の果物など。

何人かの百寿者の会話で登場したのは、「漁師町なので若い頃から魚を頭の先から丸ごと食べていました」(青森・山本まつさん、一〇二歳)という魚丸ごと話。「着る物は洋服、食べる物は洋食」(アートフラワー創始者の飯田深雪さん、一〇〇歳)と育った環境から栄養価の高い卵や牛乳を子供の頃から食べる習慣があった話など。

日本食糧新聞社としては手前味噌の分析だが、食品業界を勤め上げた人には一般に長寿者が多いとされる。日清製油(株)最高顧問であった坂口幸雄さん(二〇〇二年、一〇一歳で他界)は、「朝ご飯はパンと牛乳。大好きです。小さい頃は身体が弱かったので、親が牛乳を飲ませてくれた。それ以来、朝は牛乳に季節の果物を食べるようにしています」と答えている。大東カカオ(株)会長だった竹内政治さん(二〇〇二年に一〇三歳で他界)は、あのココアブームの仕掛け人。「ココアを飲み始めたのは六〇歳から。毎朝大きなカップに一杯、温かい物を」飲んでいた。そういうトピックも含め、いまのように「○○が身体にいい」という健康情報が一般の生活者に広まる前の時代から身近にあり、実践していたから長寿を達成したといえそうだ。

◆自主独立の働き者

男性の場合、人生をともにしてきたスポーツを持つ人がたくさんいる。プロスキーヤーの三浦敬三さん(九九歳)、週二回のゴルフを続けてきた医師、塩谷信男さん(一〇一歳)、4~5面に詳細掲載のボウラー谷澤三之助さん(静岡、一〇〇歳)など、それを生き甲斐に身体作りに励んできたことが明らかに長寿につながっている。女性の場合も、日本舞踊の坂東流師範・板橋光さん(一〇一歳)、生け花龍生派師範・久住ツイさん(一〇〇歳)など、稽古事が免許皆伝まで至り、いまでもたくさんの弟子や仲間に囲まれている。

『100歳まで生きてしまった』の中に登場する、一〇〇歳にして一度も重病を患ったことがない画家、ハリー・シャピロさんは、長生きする秘訣について「芸術と音楽だよ。それにも増して心を愛でいっぱいにすることだね」と語る。

趣味の域にとどまらないライフワークを持つ。会社員・子育てを卒業してもなおかつ現役を続けられ、一生自分が伸びていることを実感でき、多くの仲間を得られる。また創造性を高め続けられる。そんな本気の分野を持つことは一〇〇歳への招待の一つのカギだ。

◆趣味・ライフワークは宝物

一人暮らしで自分のキッチンを持っている百寿者は、当然料理も実践している。おしなべて研究家で、家庭で作るサプリメントに匹敵するオリジナルメニューを毎日食べている話を数多く伺った。手間をかけずに機能は得られるよう、ドリンクやディップにしたり、賢い工夫が見られる。そうした実例は10~11面にレシピ付きで紹介した。

取材をスタートした頃、信じがたいと思ったのは、一人で暮らす人が驚くほど存在することだ。前述の三浦敬三さんは冒険家・三浦雄一郎さんの父だが、東京・練馬で四人の子供も巣立った一戸建てに現在一人で暮らす。スキーのオフシーズンにひと夏、雄一郎さんらと同居したが、食事を含めすべてが快適に整った環境ではやることがなく、「これでは自分が衰えてしまう」と危機感を感じ、再度独立。

一人暮らしのマンションを『桃太郎資料館』としている桃太郎研究者の小久保桃江さん(一〇一歳)も「私のように単身者が案外と多いようです」と平然という。

一人で暮らすということは、世帯主として責任を持つとともに、自分の身の回りをすべて自分で整え続けるということだ。奥さんがいないと下着のありかも分からない中年男性には、尊敬を通り越して驚愕に値する話なのではないだろうか。

このお二人は結婚し長く連れ添った配偶者がおられたが、『100万人~』にはさらに気になるアメリカの調査データがある。「調査中に気づいた興味深い逆説が一つある。女性のセンティナリアンの一四%が結婚をしていなかったことである」。分析は、この世代が若かった頃、結婚はいまよりも一般に重要度の高いものだった中で…と続く。

取材では子供などと暮らす人でも、家族が「自分のことは自分でする、面倒のかからない人です」と話すことが多い。縫い物や掃除などできる家事を分担して担っていることも。

自主独立の精神と働き者は、センティナリアンの特性といえそうだ。

◆小さい頃は身体が弱くて…

「小さい頃は身体が弱く、五〇まで生きられまいといわれる“病気の問屋”でした」(久住ツイさん)「幼い頃から病弱で神経痛がひどく、それを酸っぱいレモン汁で治しました」(飯田深雪さん)。これもよく聞いた言葉だ。それほど丈夫でないという認識が、若い時代から節制を心掛け健康情報に敏感にさせたのではないか。人生のある時期からその習慣こそが財産になり、丈夫な人たちを追い抜くことになる。事実、取材した百寿者たちは、中年期から高齢期にかけて普通の人に襲いかかる生活習慣病にほとんどかかっていない。骨格もしっかりしているのか骨折も少ない。

『100万人~』の表現によれば、百寿者たちは「何らかの方法で、他の人たちが五〇歳代から九〇歳代にかけてかかる病気から逃れるか、あるいは発症時期を最晩年まで遅らせている」。「病気から生き残ったのではなく、老化に付随する慢性病や急性病を完全によけてきた」「センティナリアンは長くて、危険な航海を無事に終えた船乗りだ」ということになる。

百寿者研究会は、三〇〇人以上の百寿者に面談しているという。そのメンバーで慶應義塾大学医学部の新井康通氏は、『百歳百話』の中で「私たちの調査から、百寿者は八〇歳代の方々と同じ程度の血管であることが分かりました。(中略)さらに動脈硬化を促進させる糖尿病にかかっている人が非常に少ないことも分かりました。このことから百寿者は生活習慣病になりにくい人々の集団であるということがいえそうです」としている。

人は血管とともに老いる。それを健全に保つ方法は、食を中心とした習慣術だろう。

◆カリスマ的な愛される性格

東京都老人総合研究所研究員の権藤恭之さんは『百歳百話』の中で、「以前、米国ジョージア大学で、長年百寿者の研究をしておられるプーン博士に百寿者を研究する理由を聞いたところ、“百寿者はチャーミングだから”と答えられました。その時は全く意味が理解できなかったのですが、もしいま私が同じ質問をされたら同じように答えると思います」と話している。『百歳元気新聞』編集部も同意見だ。これまでお会いした百寿者は一緒にいて楽しく、元気をくださる人ばかりだった。精神的に安定していてユーモアに富み、タレントのようなオーラがある。無気力、独善的、攻撃的な人はいなかった。

このことを、『100歳まで~』の著者、ニーナ・エリスさんは科学的にひもといているのだ。インタビューを続けるうちに著者は、センティナリアンのそばにいると「私の内部に幸福感が湧き起こり、磁力や震動が伝わってくるのを感じる。深いところでつながっているという絆を感じ」、それが「大脳辺縁系共鳴」と呼ばれる科学的に証明できるものであることを知る。目や耳が不自由になることで、接する相手と感情的に深い部分で通じ合うものが生まれる。また、人によって支えられることのありがたさを知っている高齢者の脳は、他者と強い共鳴を引き起こすようになっているのではないか、と結論づける。老いることで新たに得られる能力があるのだ。それが人を幸せにするパワーだとしたら、なんて素敵なことなのだろう。

百寿者ともなれば、何よりも辛い配偶者との別離や、子供との死別すら経験していることもある。日本においては二〇歳代に大震災を、四〇歳代に戦争を経験しているはずだ。けれど、苦労話を繰り返す人はいなかった。「人の悪口を言ったのを聞いたことがない」。家族からよく聞いた言葉が思い出される。

もちろん大きな事件の後、一時的な落ち込みはあるだろうが、百寿者はそこから無理のないリズムで立ち上がっていく。ストレスに強い性格といえるだろう。「神経症的傾向が弱い人は、火急の際にも冷静で落ち着きがある。彼らは非現実的な考えにとらわれることが少なく、困難な状況に適応できる柔軟さを持ち合わせている。センティナリアンの神経症的傾向は、生涯を通じて一貫して弱い。それがストレスに関連し身体の不調から身を守る(中略)」(『100万人~』)。

百寿者は、環境順応性が非常に高い人たちというのが、私たちの感想だ。人間関係の変化、身体能力の変化、自宅からホームへの住環境の変化‐‐一〇〇年の人生は変化の連続だ。百寿者は普通の人がマイナスに受け止めがちな変化を前向きに受容し、新しい課題として面白がって取り組んでいく。変化を前向きに受け止められることこそ、若さの証明だ。谷澤三之助さんのボウリングへの取り組みがまさにその典型といえる。

独身者であろうと一人暮らしであろうと、百寿者が孤独でいることはまずない。「私たちはセンティナリアンがカリスマ性を発揮して、他人の親切を受け、大切にされている例をいくつも目にした」(『100万人~』)は、アメリカだけの現象ではなく、『百歳元気新聞』も何度も目撃している。百寿者はどこに行ってもモテるのだ。

願わくば、どうしたらそんな人になれるのか。もしかしたらそれはそう難しいことではないのかも知れない。例えば「杖があった方がいま、あなたの生活は楽しくなりますよ」と年下の医師にアドバイスされた時、抵抗して外に出るのがおっくうになるのが普通の人。「そうですか」と新しいラクな歩き方を研究しながら、爽やかな空気を吸いに散歩に出かけ、また新しい出会いをつかむのがセンティナリアン。人生を楽しそうに歩む人に、人は集まる。これが“センティナリアン駅”への切符を買う第一歩であるような…。

●未来に向かう「回想法」

回想法は、1960年代にアメリカの老年精神科医・バトラーが創始した高齢者に対するサイコセラピー。高齢者の回想に、よき聞き手が共感的な姿勢で心を込めて聞き入ることが基本だ。「過去との折り合いをつけて未来に向かう」「生きてきた意味を再考し、自尊心を高める」などの意味を持つ。『百歳回想法』(木楽舎)は、青梅慶友病院の5人の百寿者を対象に臨床心理士の黒川由紀子さんらが8回にわたるグループ回想法という方法で取り組んだ、その記録だ。

黒川さんは、「100歳の人たちの心は、かなり解き放たれているように見えた。心の整理は必要ないように思えた。もっと自由に、あるがままに存在していた」として、「年齢を重ねるにしたがって、人生はいよいよ深く、面白くなる。困難はあっても、チャレンジに値する」のではないかという長年の仮説を、この作業を経て確信に変えていく。

百寿者の生きてきたこの1世紀を振り返るとともに、身近な高齢者へ回想法を行うテクニックも親切に描かれている。

◆いつも明るく、ユーモアと暮らす人たちが、続々登場

◇100歳調査は意外性の連続!?

『100万人100歳の長生き上手』(講談社)は、ハーバード大学医学部の教育病院の老年医学科研究者、トーマス・T・パールズ博士とマージェリー・H・シルバー博士による「ニューイングランド・センティナリアン研究」をもとに書かれた、アメリカの百寿者の実体を詳しく学べる一冊だ。

同研究は、一九九五年からアルツハイマー病協会とニューイングランド・ディーコネス病院の資金提供を受けスタート、九九年に初期の研究結果発表がされている。一六九人のセンティナリアンと面接した研究者らは、「目立つのは共通性ではなく、不均一性と意外性だった。彼らの収入レベルは極貧から大富豪まで幅広い。人種や民族もさまざま」の事実に驚く。「高学歴で専門的職業につき、金銭的に安定した者だけが成功裏に年老いる」というこれまでの“健全な老後”についての認識はうち破られ、「困難を乗り越える決意とエネルギーの方が、安楽に人生を旅するよりはるかに重要なのだ」と、老化に対する神話の一つを研究で暴いていく。

◇アメリカ百寿者15人、あっぱれの生き方

『100歳まで生きてしまった』(新潮社)は、アメリカの非営利の全国ラジオ・ネットワークであるナショナル・パブリック・ラジオの元スタッフ・プロデューサーであるニーナ・エリスさんの一五人のセンティナリアン訪問記。『百年の物語』というタイトルで放送された番組の取材記でもある。

一五人の中にはもちろん白人も黒人もいる。夫婦とものセンティナリアン、一〇三歳にして新しい伴侶を求めて夢を叶えた男性、最年長のレズビアンでたくさんの同性愛者や若者から母のように慕われている女性‐‐と、実に個性豊かな長寿者が続々と登場する。

◇激動の時代を生き抜いた日本の百寿者24

『百歳百話』(日東書院)は、日本の百寿者二四人が語る一〇〇年の物語。

戦争や天災、そして復興と、激動の時代を生き抜いてきた一〇〇歳以上の人々。彼らの人生はまさに苦難の日本現代史そのものだが、語られるのは夢を抱き、希望をなくさずに歩み続けてきた道のりだ。

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら