センティナリアン訪問記 百歳人かく語りき:神奈川県・貞利高平さん(104歳)

2004.06.10 107号 8面

満104歳の貞利高平さんは明治32(1899)年10月25日生まれ、現在、神奈川県小田原市の男性最高齢者だ。19世紀から21世紀まで3世紀を生きてきた貞利さんは、日本企業創成期のサラリーマンでもあり、その企業の本家、住友財閥の家長に仕えた貴重な経験もある人という。「その時代」の空気をお話ししてもらおうと、お住まいの『長寿園』を訪れた。

岡山の商高を卒業して推薦をもらい、一晩がかりで大阪へ。そこで試験を受け住友本社に入社しました。配属は庶務。福利厚生の一部としての運動部の勃興期でした。一つひとつの運動クラブ創部にかかわる事務が私の仕事、やり甲斐があって楽しかったですよ。何もかも最初からやりました。

本社だけでなくてオール住友、銀行・信託・保険・金属・造船所……。グループ全体にクラブ員を募って盛り立てます。各社で競争し合ってね。私自身は山岳部・陸上部・スキー部・ボート部に在籍していました。ええ、スポーツは大好きです。このほかに探検部や水泳部もありました。

山岳部は特に私が創部の発案者ですから、一番熱を入れてやりました。部員が何人いたかって? それは全国だからね、分かりませんというくらい。一〇〇回の山行まではすべて私が企画を立てました。山は危険を伴う部分もある、派手なことは好まない社風なので、その意を十分にくんで、細心の注意を払いましたとも。企画を紙に刷って、全国に流してね。鉄線が張りめぐる槍ヶ岳にも登りましたね。

その後、私はなんと住友本家の事務員に抜擢され、長く執事をやることになります。なんで自分が抜擢されたんだろうと、いまでも不思議に思いますよ。何かの用事で伺ったとき、住友家第一五代当主・吉左衛門様が私を使いたいとおっしゃって下さって。その住友様がお亡くなりになってからは、第一六代住友様のお側でずっと仕えさせていただきました。私の方が少し年長の年回りで、各地の別邸へ行かれるのもすべて、お供させていただきました。那須の別邸は特に思い出深いものがあります。住友様も登山がお好きでいらして、各地の山々へも一緒に登りました。

使用人の面接や管理が私の本業なのですが、手先は器用なので細々したこともしました。どこの別邸でもお抱えの指物師が何人もいたものですが。お嬢様が砂場で遊ぶクルクル回るオモチャをこしらえ、喜んでいただけた時は嬉しかったです。

六甲山麓の神戸・住吉のお屋敷を取り囲むように我々仕えるものの家があり、結婚してそこで所帯を持ち、四人の娘に恵まれました。その一帯自体が一つの町のようなもので、各地の別邸の田圃で穫れたコメや季節の農産物が毎日のように送られてきます。敷地内の農園でもメロンやマスカットが実り、私たちも家族と食べたものです。戦前の財閥のお屋敷には、それはそれは素晴らしい文化がありました。

◆日本酒1合たばこも5本

食事は朝昼晩、入居者と同じものを食べる。少しだけ刻み食は取り入れているものの、後は全く好き嫌いはない。小田原は新鮮な魚や農産物に恵まれた土地柄で、生まれ故郷の岡山に似ている温暖な気候。食も近い部分があるらしい。いまは少しお休みだが、晩酌に日本酒を1合、たばこも日に5本程度の習慣を100歳過ぎまで守っていた。「数年前まで、近くの一夜城という遺跡まで往き30分、帰り30分の散歩を、励行されてましたね」(加藤伸一理事長)。

『長寿園』(電話0465・24・0002)は新幹線で西も東も便利な小田原にあるので、日本全国、または海外に家族がいる人が多く入居している。入居後、都内の会社に通勤している人、全国を旅行する人など、暮らしぶりも活動的だ。

シャッポー(帽子)とステッキが、ある身分の人たちの象徴だった時代を肌で知っているので、ステッキの持ち方に風格がある。しかもお手製。「山からよく、木の根っことか枝とか持って帰ってきました。それを何かまっすぐのものに巻き付けて乾くのを待ち、細工するようです」(四女の古神子雄子さん)。何十本も作り、出来の良いものは「住友様」に差し上げた。

長生きの秘訣ですか。そうですね、別に余計なものを食べないようにするとか、特に何かをしてきた覚えはありません。自然に任せてきました。それで大病をせず、脱線せず。まあ非常に真面目な会社員として、山岳人として生きてきた次第です。

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