ようこそ医薬・バイオ室へ:健康診断追跡調査 死後の解剖7000人
少し古い話だが、二〇〇一年度の科学技術映像祭の最優秀作品(グランプリ)は、九州放送が開局一〇周年記念に作った「七〇〇〇人のカルテ 九州大学医学部と久山町民の40年」という番組であった。
九州の福岡市の隣に久山町(ひさやまちょう)という人口八〇〇〇人弱の町がある。九州大学医学部第二内科久山研究室により、四〇歳以上の全住民に対して、「ひさやま方式」といわれる年一回の健康診断と、その後の追跡調査、死後の解剖が一九六一年(昭和36年)から四〇年以上も続いている町だ。市町村の健康診断はどこでもやっていることだが、解剖まで行うところは世界でもこの久山町だけだ。町外へ引っ越そうが、駆け落ちをしようが、健康状態の追跡調査を受けるというから徹底している。
久山町では、亡くなるとすぐに同久山研究室の顔見知りの先生たちが喪中の家に「解剖させてください」と頼みに来る。すると、住民は素直に「お願いします」と言って献体し、即座にワゴン車に乗せられて九大に運ばれ、解剖して詳細な死因などを調べた後に、通夜までに遺族に返される。そして、解剖結果については、親族に丁寧に説明される。
医学の発展のためとはいえ、親族の遺体にメスを入れられるのはいまでも抵抗感が強いにもかかわらず、四〇年以上も前から亡くなった人のほぼ全員を解剖したということは同研究室の医師たちの大変な苦労があった。
そもそも、「脳卒中の追跡的研究」のため、住民の流動が少なく、日本の平均的人口構成で、九大から車でわずか二〇分という立地の良さから、久山町が研究の候補地に選ばれた。一九六一年に九大医学部の勝木司馬之助教授が江口浩平町長に検診を申し入れたのが3月で、すぐに町議会で決議され、実際に検診が始まったのが4月なので、極めてスムーズに検診が始まっている。
しかし、さすがに解剖には当初「モルモットじゃなか」と反対が強かった。で、初年度の昭和36年は一例も病理解剖ができなかった。最初の解剖は翌年の1月末で、三七歳の女性で死因は脳出血であった。その後はポツポツと協力者が出てきたが、誰かが死ぬとすぐに久山研究室の医師が現れるので、九大医学部を出たエリートが「棺おけかつぎ」とか「死ぬのを待っているのか」とまで言われた。その時に、住民の説得に大きな力になったのが、安楽寺の亀井恵達住職であった。「親鸞上人が死んだら鴨川の魚の餌にしてくれと言っていた。死んでも世の中の役に立つとすることは上人の教えでもある」と解剖の勧めを説いて回り、40年には解剖率一〇〇%を達成した。
そして、四〇年以上経った現在でも受診率八〇%以上、追跡率九九%以上、剖検率八〇%以上であり、それだけ住民が協力し続ける理由に、検診結果や解剖結果の説明をそのつどきちんと行って、アカウンタビリティ(説明責任)が果たされ、結果が本人たちにフィードバックされていることにあると思う。
この久山町研究によって、日本人の脳卒中の原因は従来脳出血が多くを占めるといわれていたが、解剖の結果、脳出血と脳血栓がほぼ半々ずつであることが初めて判明している。そして、血圧が高いほど脳卒中になる確率が高くなることをきれいに証明し、高血圧治療の重要性を世間に知らしめた。
ところで、こういう検診や解剖はコストがかかるので、お金の負担はどうしていたかというと、昭和37年から七年間はなんと米国のNIH(国立衛生研究所)が今の金額にして三億三〇〇〇万円も出していた。つまり、久山町研究は開始早々から世界で唯一解剖まで行う有意義な研究として米国も注目して、多額の援助をしていたのだ。残念ながら日本の役所は疫学の重要性が理解できず、NIHの資金が終わった後は随分予算に苦労したようだ。
最近の久山町研究は、高脂血症・糖尿病などの生活習慣病やアルツハイマー病にも枠を広げ、遺伝子(ゲノム)解析と合わせたユニークな研究を日本のお金で行っているそうなので、いずれ日本発の画期的な成果が出ることを期待している。
ところで、先のビデオを見て、妻は「もう少し近かったら久山町に引っ越すんやけどな」と言っている。それほど医師たちの真摯さと住民たちの誇りに感動したようだ。
(バイオプログレス研究所主宰 高橋清)
※参考文献=『剖検率100%の町』(祢津加奈子著、ライフ・サイエンス出版)