だから素敵! あの人のヘルシートーク:俳優・寺尾聰さん

2005.12.10 125号 3面

このところ、純真な目をした志の高い大人の男の役…といったら必ずこの人。けれどたんたんと、柔らかに。作品を観て、そのキャスティングに私たちは深く納得する。来春ロードショーの「数学博士」はどう演じたのか。澄んだ瞳の中を、旅してみた。

80分しか記憶が持たない数学博士の役を演じたんですが、日常生活もそんな状態で生きています(笑)。「あのアメリカ映画のあの俳優、誰だっけ」。“自分が思い出す前に人に名前を言われると、脳細胞が1つ潰れる”という迷信を信じているので、「言うな! 言うな!」と抵抗します。だから、もし本当に記憶が80分しか持たなかったら、こんな思いからは解放されるので、それも楽しいかなと。できたらそういう風に生きていきたいです。

小泉監督は故・黒澤明監督の下、一緒にやってきた僕の兄弟子。僕は小泉さんとの仕事をライフワークと自分の中で位置づけているので、小泉さんとならとにかくやりたい! と。これで3本の映画(「雨あがる」「阿弥陀堂だより」)を一緒に創ってきました。

しかし今回はクランクイン前、役作りに悩みましたね。「80分」をどこまでリアルにこだわって演じたらいいか。それよりも一番大事なのは、いろんな条件を背負いながらどうやってこの先、この博士が生き抜いていくかという…。悩みに悩み、小泉監督に聞いたら、「うん、この博士は寺尾さんだよ」と。それで解放され、走り抜けることができて…。そういう障害を持っていて、それでも数学を愛し続けている。芯にあるものは強い。生きていく力強さがなければ演じられないだろうと。

描かれたことを演じるということ自体、本来自然ではないですね。俳優としてのたった一人の師匠、父(故・宇野重吉さん)は演出もやっているんだけど、「想えば出る」と言ってました。それにも共通しているな、と。

俳優業を40年もやっているので、面白い映画、派手な映画にも随分出ました。テレビでトボけた刑事さんを演ってみたりね。自分の中では直球と変化球とがあります。直球の作品はすごく難しくて、ついカーブを投げたくなるけれど、この作品は間違いなく直球。派手ではないし、正直、難しいという意味では本当に難しい映画だったことは間違いありません。けれど出来上がったものを観て、ちょっと嬉しくなった。自分が創りたかったもの、監督が創りたかったものが、多分できたなって。メッセージでないんです。観てくれたみんながそれぞれいろんなことを感じてほしい。

3本続けて小泉さんと直球を投げたので、句読点の区切りはついたかな。今後は活劇もやってもいいかな。昔、音楽もやってましたが、ここのところは1年に1日しかやらないと決めてまして。音楽をやることが俳優の方に反映されてくる、経験上、そういうことはよく知っています。また、お芝居をずっと続けていると音楽が出てくるんですね。天職である俳優業を前進させるためにも、これからは音楽もやろうと思います。

◆プロフィル

1947年神奈川県生まれ。66年にグループサウンズ「ザ・サベージ」でデビュー。81年「ルビーの指環」で第23回日本レコード大賞受賞。俳優としては68年に熊井啓監督作「黒部の太陽」に初出演。故・黒澤明監督の愛弟子として「乱」「夢」「まあだだよ」に出演。2000年に小泉堯史監督作「雨あがる」で主演、第24回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞。

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