だから素敵! あの人のヘルシートーク:映画監督・佐々部清さん
一昨年、日本中が涙した大ヒット作「半落ち」の原作・監督コンビがこの秋再び、時代を超えて語り継ぎたい感動作を送り出す。主演は映画初出演の歌舞伎界のプリンス、市川海老蔵さん。その「出口のない海」、撮影が終了したところで、佐々部清監督に裏話を伺った。
横山秀夫さん原作の映画化は「半落ち」に続いて2作目です。やりがいはありますね。さらに、オファーを下さったのが自分が映画青年の頃から憧れていて、尊敬してやまない山田洋次監督だったので。「チルソクの夏」という映画では、高校生が映画を観に行くシーンで山田監督の「幸福の黄色いハンカチ」を劇中劇として使わせてもらっています。そのくらい憧れの人。脚本はその山田さんです。
僕は戦争を知らない世代です。その僕がこのお話をどう描くか。昨今流行のバーチャルゲームみたいな戦争映画には全くしていません。家族だったり友情だったり、そういう人と人の絆、つながりをベースにしています。最終的には、戦争というのはなんて愚かなこと、これを繰り返してはいけないということをちゃんと表現したいと。
海老蔵君は確かにすごいなと思いました。撮影前の記者会見では、主人公・並木の決意、意識がいまは遠いように言っていましたが、撮影の中で15キロも減量して顔がどんどん精悍(せいかん)になっていった。海軍兵の衣装を着てだんだん並木そのものになって。きっとあの回天にいま自分は乗れる、そういう心持ちで演じていたと思います。昭和20年、終戦間際の頃の日本の男性は誰にも、どこかにそういうところがあったと思う。そこに行き着いてる芝居だったり、顔になっていました。もちろん美談で終わらせてはいません。台詞では一切表現していませんが、日本の男は国のために万歳と言って死んでいくわけではない。そういうこともどこかで感じている顔が撮れていると、僕は思います。
僕の映画はいつも説明はないんです。今回も観て下さった人が感じてもらい、考えてもらえる映画にしたい、そういう形で送り出そうと思っています。テレビドラマのように全部が全部、分かりやすい芝居、分かりやすい台詞、最後は大円団、そんな構成では終わりたくない。映画とテレビの違い、僕はそこにあると思ってます。自分が映画を観に行ったら、やっぱりいろんなことを考えさせられ、勇気とか希望とかエネルギーをもらって、劇場を出たいと思うので。
天気にはツイてるんですよ。真面目にやってるので、映画の神様が大体味方してくれる。だからスケジュールの帳尻はちゃんと合います。予定をきっちり守るというのが主義です。ロケ地の下関は僕の故郷。ここを舞台に4本の映画を撮りました。今回は海岸線での撮影が大分あったので、魚介類中心の炊き出しをしてもらい、みんなおいしそうに食べてましたよ。
撮影中の健康管理ですか。ダメですね。まるでしてません(笑)。食べたい時に食べ、飲みたい時に飲む。ストレスはないです。飲んでいる中で仲間たちからアイデアが出てくる。それが作品の糧になる。そうやって映画が年に2本撮れていることが健康の元なんでしょう。
◆プロフィル
ささべ・きよし 1958年、山口県生まれ。2002年「陽はまた昇る」(日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎賞)をはじめ、03年「チルソクの夏」、04年「半落ち」(日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎賞・日本アカデミー賞最優秀作品賞)、05年「四日間の奇蹟」、「カーテンコール」を手がける。
◆「出口のない海」物語
甲子園の優勝投手・並木浩二は、大学進学後に肩を痛めてエースの座を失う。それでも野球への情熱が消えることはなく、新しい変化球=魔球の完成に復活をかけていた。しかし、時代は戦争という暗い影をまとい始めていた。ついに日米開戦、太平洋戦争は日ごとに激しさを増していく。愛する家族、大切な友、そして恋人とも別れて海軍に志願した並木は、海の特攻兵器と呼ばれる人間魚雷“回天”に乗って敵艦に激突するという究極の任務を自ら選択する。
希望に満ちた輝く未来を断ち切られた青年が、けれど最後の瞬間まで夢を捨てず、生きるとは何か、何のために死ぬのかを問い続ける姿を描く。
◆市川海老蔵さん撮影前のコメントから
その時代に生きた普通の男性が、人間魚雷・回天に乗る決断をするのはとても大変だったと思います。いまの僕たちの世代にそれをつきつけられても、実際できない。でもその時の日本の状況があった。並木の意識は、「これを後の世に残してはいけない。だから自分は乗るんだ」という風に回っていく。それをいま、暗中模索の中で感じようとしています。何も困ってない僕たちがこの映画を観て、もう1回、頑張りなおしたい、そう思っていただけるような映画にしたい。