元気インタビュー 三和酒類・名誉会長 赤松重明氏 「いいちこ」育てた80歳
「いいちこ」は九州・豊前の方言で「いいですよ」の意味。これを知らなくとも「いいちこ」という言葉を知る人は多い。酒類業界の流れを変えたとも言われる麦焼酎の大ヒット作の名だからだ。この九州の一地酒をいまや年間売上高三〇〇億円を超える国民的商品に育て上げたのは、創業者の一人でもある取締役名誉会長の赤松重明氏。「願いは一つ、世界の酒に」とさらなる目標をめざし、八〇歳になったいまでもみずから車のハンドルを握って出社する多忙な毎日。そのお顔から身体からみなぎるイキイキのモトをさぐった。
「車の運転は家と会社の往復ぐらい。それ以外は『乗っちゃイカン』と家族に止められている(笑)。私は長年交通安全協会の会長をやっていて、だから余計に事故しちゃイカンのですよ」。
会社の構内は時速二〇キロメートル以下と決まっているが、“スピード”“危険”というような標語はない。代わりに道の脇には“人の喜びも悲しみも知ろう・二〇キロメートル以下”と書いてある。
そのほかにも氏はおもしろい言葉をたくさん作っている。時間厳守といわず「アイ・ラブ・タイム」、美化運動は「美しき人になりたく候」という。「うちはいまは平均年齢が三〇歳以下ですから、『時間厳守』というようなこわい言葉は通じない。でも、その世代に合った言葉を使えば絶対通じるんです。時間厳守ではだめでも、アイ・ラブ・タイムと言ったらみんなぴちっと守ります」。
んー、これはまさに言葉づくりの達人だ。だから話上手としても定評があり全国各地から講演依頼がひっきりなし。
「私は七一歳から月に一回は講演を頼まれて、いままでで三〇〇回以上になります。
高校生にも企業のトップにも内容は同じようなことを話すんだけれども、やはり相手によって言葉を替えたりします。おかげで、講演中居眠りする人はあまり見かけません。世代をよく考え、時代をよく考え、そして言葉も行動もそれにあったような言い方、動き方をすれば、自分をとりまく社会がイキイキしたものになるのではないでしょうか。そういうことをいつも思っています」。
そんな赤松氏の座右の銘は“縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ”。これももちろん赤松語録の一つ。
「例えばこうしてアナタとお話しするのも縁があるから。これはただちにできることではありません。縁があるというのは喜びです。それによって人生の花が開くんです。そして自分一人で生きているのではなくて、いろんな人々の力をいただいて生きているということを知る、つまりそれが恩を知ることです。恩を知ってきたらその人の人生は実を結びます。巨万の富を得るばかりが成功者ではない。恩を知ることが人間として本当に実を結ぶことなんです。そういう意味です」。
「終わりよければすべてよしで、年寄りの時に自分が満足できる生活をすると、自分は赤子のときからいい生活をさせてもらったという感じになります。私は六〇の時から一日も欠かさずに日記をつけていますが、夕方日記をつけるときに、きょうはこういうことをした、自分が思っていることはすべてした、よくやった、という風に思って自分に手を合わせます。そういう気持ちが大事なんじゃないかと思うんですよ。
日記をつけるとき、あすの予定を考えます。そして夕方一日を振り返ってそれをすべてこなしていたら、『きょうも悔いるところなし、ありがとう』というような思いになれる。それが何よりの健康法です。
ほかに健康法といえば、規則正しい生活を心がけること。いまの時期は5時半には起きます。体操をして、近くの山やらお宮やらを回って四〇分ほど歩く。そして7時35分頃には会社につくようにしています。会社から帰ったら休養して、5時半からまた四〇分ほど歩きます。
よく村の人に『会長が通ったから今は何時頃だ』と言われます(笑)。私は近所の氏神さまに行っては鐘をゴーンと鳴らすんです。それをみんな知っているんですね。
夜は眠らなくても8時にはベッドに入って読書をする。読書は心を豊かにしてくれます。心身ともに健康であること。それが年取ったものの心得るべきことだと思います。心得るべきことと言うよりも、自然にそうなるべきだと思うんです」。
規則正しい生活をし、いつも自分のやっていることに悔いのないようにする。それが健康の秘訣と赤松氏は言う。
講演の依頼を多く引き受けるようになったのは五年前、奥様にご不幸があってから。
「当時はできるだけ気をまぎらわすようにと、周りが心配してくれたんです。でも人間は寂しいときは寂しいでいいんです。時間が経たなければ、いくらなぐさめてもなぐさめになりません。この間、大学の同級会でも『おい、おまえ、年取るのがしんどいことないか』と言われましたがね。私は年をとること、老いることは嬉しい。いままで見えなかったものが見えてくるんです。
だんだん年取ってくると、たとえば七〇代になると、自分の一族の孫がかわいくなります。ところが、私はこの頃よく言われます。『あなたはどこの子どももかわいいようですね』と。八〇になったら、よその孫だろうがなんだろうが、区別がないんです。あらゆるものがいとおしく、あらゆるものがありがたい。自然にそういう心情になるんですね。
“日々感謝”それに加えて“日々感動”。何か一つでもいいから、生きていて本当によかったと感動するようなものを持つことが大事だと思います」。
老いを防ぐには毎年一つずつ愚痴を減らすことですね、とも言う。ハツラツとした笑顔が印象に残った。
赤松重明(あかまつしげあき)=大正5年、大分県高並村(現院内町)生まれ。昭和16年、早稲田大学法学部を卒業し、台湾拓殖に入社するが兵役で南方を転戦。21年帰郷、実家の赤松本家酒造の経営に当たる。33年三和酒類を設立、47年代表取締役就任、現在は取締役名誉会長。
この間大分県教育委員長、県議会議員、県公安委員長などの公職を歴任。宇佐地区交通安全協会会長は三四年にわたり務めている。平成7年4月には勲四等瑞宝章を受章。