らいらっく人生学:「日本を見切りNZへ移住します」
一つのことに集中して、死ぬまで同じ道を歩める人は幸いである。しかし、職人や芸術家のような自営、自由業でない限り、一企業を勤め上げたとしても、いずれ定年となる。筆者は五〇歳を過ぎて転職し、間もなくそれも終わろうとしている。それから先となると、いまのところ、どうなることやら見当がつかない。だからといって別に悲観しているわけではないのだが、一〇歳ほど年長のF氏から久しぶりの便りをいただいて、むしろ浮草のような人生にも味がある、と思えるようになった。そこには『日本に見切りをつけ、ニュージーランドに移住することにしました』と海外移住のことが、近況とともに、まるで東京から大阪に転居するみたいな気楽さで、記されてあった。
◇ ◇ ◇
F氏はもともと新聞記者だが、敏腕という記憶はない。一〇年選手になっても、新人に任せるべき短信のような豆ニュースをせっせと書いていた。それは、後輩からみると、人の嫌がる仕事を進んで引き受けるといった風ではなく、事の軽重が分からないからやっているようにみえた。どこか“せこい”感じがしないでもなかったが、快活で好感の持てる人物だった。
ある時、ふと気が付くと経済団体の事務局長になっており、また何年かすると大学に勤務していたりした。決して器用でなく、巧く世渡りできるはずがないのにこうなったのは、筆者と同様、たまたまの巡り合わせだったのではなかろうか。
そして、もっとびっくりしたことには、六〇歳を過ぎてから、苦楽をともにしたはずの古女房と別れ、三〇以上も歳下の女性と再婚したのだった。女にもてるタイプではなく、どちらかといえば誠実、実直、地味の印象だったから、よけい意外の感があった。
さらに今回、七〇歳に達し、若い妻とその間になした小学生低学年の子供を連れて、ニュージーランドに渡ろうというのである。新しい土地で役立つ技量があるのだろうか、と心配にならないこともない。
後で聞けば、永住権を得るため、日本円で五〇〇〇万円ほどの見せ金というか、“保証金”が必要で、マイホームから一切合財の財産を整理、多少の借金をしての壮挙だったそうだ。
できれば、お目にかかって心のうちを聞きたいものと考えていたところ、その暇もなくそそくさと出立してしまった。もう半年ほどになるが、その後、音信はない。とくに親しい間柄ではなかったけれど、どこか気にかかっている。
目覚ましい才能の持ち主が、華麗にスカウトされたり、独立してベンチャーを成功させたり、フィリピンの島を買い取って“冒険ダン吉”を気取ったり、といった成功話には事欠かない。しかし、平凡であるはずの一市井人の破格な人生にこそ、百歳元気の秘密がかくされているのではないか、と思われるのだ。
いつの日か、F氏を新天地に訪ね、このような短文でなく、彼の全人生を俯瞰してみたいもの、と密かに期待している。