滋味真求:料理人の極意と美食家の美学 カラッと天ぷら お客の顔見て味を変え

1997.08.10 23号 18面

去る6月6日、往年の「スター千一夜」などの名司会者として知られ、放送作家としても活躍された三木鮎郎さんが胆襄ガンのため亡くなられた。

私事で恐縮だが、大先輩の三木鮎郎さんとは飲み仲間、食べ歩きの仲間、そしてご一緒に仕事をさせていただいた仲間という間柄だった。三木さんの母方のご実家が昔、東京でも指折りの料亭であったとのことでおいしい物には目がなく、いつも食べ物談議に花が咲く楽しいお付き合いであった。

健康には人一倍気を使われた方で、テニス、ゴルフ、ヨガ、散歩を日課のようになされ、我々は「おいしい物を食べるコンディション作り?ではないか」と冗談に話したほどである。しかし美食家ながらたいへん節度を心得ていて、我々のように、うまい物は腹いっぱい、というようなことはなく、どんなにおいしい物でも腹七、八分目という方である。

二年ほど前、三木鮎郎さんと「食べる会」の最高齢者で御年八二歳の八千代商事社長の橋本孔二郎氏と私の三人で、台湾縦断食べ歩き旅行を敢行したが、現在世界最高水準にある台湾の各種中国料理やおいしい果物を目の当たりにして、私などは一日に四食と食べまくったものだが、三木さんはどんなにおいしい料理でもある程度のところで「ご馳走さま」と箸を置かれてしまう。なかなか真似のできないことである。

また三木さんはたいへんに気のつく優しい方で、周富徳さんにも『周さんは忙しい人だから、身体には気をつけてよ』といつもいわれていた。このように健康にも友人にも優しい気配りをされていた三木さんが、七三歳の誕生日を目前にひかえた6月、静かに目を閉じられた。心からのご冥福をお祈り申し上げたい。

さて今月は三木鮎郎さんを偲んで、生前、三木さんがこよなく愛された天ぷら屋をご紹介する。

東京は日本橋のたもとに「天松」という老舗の天ぷら屋があるが、この店のノレン分けの店が羽田の東急ホテル内にある。三○年ほど前は渋谷・道玄坂上にあったが、三木さんはその頃からの常連で、羽田に移転してからも通いつめたとのこと。店主の表清健さんは天ぷらを揚げて四五年というたいへんな経歴の持ち主だが、なかなか研究熱心な方でいまでも揚げ方、油の配合と「毎日が勉強ですよ」と、なんの気負いもなくいわれる一本筋の通った料理人である。

その表さんに三木鮎郎さんの話を伺うと「三木先生はとても静かな方で、よく奥様とお二人でお見えになり、天ぷらを食べられお酒を二本ほど召し上がって帰られます。あまり注文はつけられませんが、穴子は強めに揚げてね、とよくいわれました」とのこと。穴子をよく揚げるととても香ばしく穴子の風味が生きてくるものだ。三木さんも心得たものである。

この店は日本橋・天松系の店であるからネタも穴子、キス、メゴチ、海老と過去には江戸前とうたわれた素材を用い、万事が東京風の天ぷらだが、天つゆだけではなく、今様にカレー風味、胡麻風味、一味唐辛子風味とそれぞれの塩が用意されている。客の好みもまちまちで、あくまでも東京風にこだわり天つゆだけで食べる客、また塩だけで食べる客、また半々で食べるとそれぞれであるが、天つゆ、塩で食す割合は半分半分とのことである。

揚げ油は胡麻油七にコーン油が三の割合。天つゆはみりん一、醤油一、カツブシ、コンブで取っただしが四の割合で二日で使い切ってしまうという。私などは東京風に胡麻油で揚げた天ぷらは、天つゆで食べる方がうまいと思うがいかがなものか。

天ぷらなどというものは新鮮な素材に衣をつけて油で揚げる、というはなはだシンプルな調理法なので、個々の料理人の高度な技が要求される。料理人によって味がまったく違ってしまうものである。カウンター越しに客との交流もあるので、客の気持ちを読み取る技量がなければ良い料理人といえないのではないかと思う。

ここ羽田・天松の店主は、長い料理人経験を通じすべてのことを会得され、その安心感が三木鮎郎さんとのあうんの呼吸となり、三木さんをしてこの店に通わせた理由なのであろう。

天ぷら定食・松七五○○円。竹五五○○円。梅三五○○円。

天ぷらコース六五○○円など。

店内はカウンター一○席、椅子席一六席、座敷二四名ほど。営業時間・正午~午後3時。午後5時~9時。年中無休。

住所・大田区羽田空港二-八-六・羽田東急ホテル内電話03-3747-0311(東急ホテル内)

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