だから素敵! あの人のヘルシートーク:札幌五輪メダリスト J・リンさん

1998.02.10 29号 4面

日本国中を駆けめぐった聖火が無事長野に届き、火は灯された。熱く燃える聖火のごとく、オリンピックではヒーロー、ヒロインが誕生する。冬季オリンピックが日本で初めて開催された二六年前の札幌。海を越えてやってきた若干一八歳の少女が一躍ヒロインとなった。多くの日本人が、いやテレビ画面を通じ世界中のたくさんの人が彼女に魅了された。スケートリンクの上で忘れられない愛くるしい笑顔を見せたのはアメリカのフィギュアスケート選手、ジャネット・リンさん。妻となり、五児の母となった彼女は再びオリンピックとともに日本にやってきた。長野オリンピック選手村で日本マクドナルドのオープニングセレモニーに立ち会うジャネット・リンさんを追った。

ジャネット・リン。その名前が日本中に響き渡ったのは二六年前、札幌オリンピックの時。金髪のショートヘアがスケートリンクにクルクルと舞う。氷上の妖精とたとえられたその姿は外見に見る美しさからだけではなかった。優勝を狙う実力者、ジャネット・リンさんは、すでに規定の競技で失敗をし、さらにフリー競技でも転倒してしまう。しかし、スケートを心から楽しんでいる彼女は転んでも最高の笑顔で立ち上がり、滑り続けた。一生懸命頑張る姿、彼女の美しさには、その芯の強さが感じられる。

彼女の使っていた選手村の部屋には「Peace&Love」のメッセージが残されていた。

「長野オリンピックの親善大使に就任し、昨年10月に札幌にも行きました。二六年経ったいまもまだ覚えていますが、私は選手村の壁にサインを書いたんです。少女の愚かさがさせた行為なのですが、それがいまも残っていて。まったく無名だった私が瞬く間に日本で有名になってしまって、部屋にはファンレターが山積みされたんです。それを見たルームメイトが大笑いしながら“部屋にサインを残していったら? それを見た日本の人々はずっとあなたのことを愛し続けてくれるかもしれないわよ”と言ったんです。そこで私たちはサインを書いてしまったんです。本当にいま思うとなんと愚かな行為だと思いますが、メッセージは私が日本の人々に残したかった思いなんです。その部屋はオリンピック終了後、日本の方が住んでいると聞いて、どんな家族が住んだのかなぁ、などといろいろ考えていました」。

サインは消されることなく保存され、再び彼女の目に触れたのだ。

氷上の妖精とたとえられたジャネット・リンさんの姿を我々はテレビ画面を通じて久しぶりに見ることができた。昨年の12月頃に放映されていたマクドナルドのテレビコマーシャルで一八歳のジャネット・リンさんが復活した。そしてマクドナルドと一緒に“長野オリンピック・スポークスパーソン”として活動するのだが、そこに至る経過は初めて出場したフランス・グルノーブルオリンピックでの出来事によるところが大きい。

「グルノーブルオリンピックの時、私はまだ一四歳でした。その私に記者の方が“アメリカのもので何が一番恋しいですか?”と質問されたんです。幼かった私は気軽に“ハンバーガー”と答えました。その記事を読んだマクドナルドは私の希望に応えるため、アメリカ選手団に一○○個のハンバーガーを届けて下さったんです。この心温まる行為が家から遠く離れた私のような夢みる少女に“夢の存在は大切なんだなぁ”と思わせてくれました。いまとなっては懐かしいと同時に感謝の気持ちで一杯です」。

長野オリンピック選手村に来たジャネット・リンさんは腰回りは多少太めになり、五児の母としての貫禄を漂わせていながらも、あの魅力的な笑顔は少しも変わることがなかった。札幌オリンピックから長野オリンピックまでの間はどんな生活をしていたのか調べてみた。

札幌を後にした一年後、彼女はプロに転向。アイス・フォーリーズに所属し、各地を巡演し順調な活動を行っていた。しかし、わずか二年で引退を余儀なくされる。喘息が彼女をおそったのだ。「二歳半の頃からスケートの世界しか知らなかったのでとても悲しかった」と語っている。

その後結婚、出産。双子を含む五人の子どもたちの子育てはてんてこ舞いの日々。「朝から晩まで大忙し。料理ばかりしています」。それでも自らの病気を食事療法で克服し、再びスケートリンクに立つ。一九八二年プロ選手権で見事優勝するが、二年後家族の事情で引退を決意。「スケートより家族の方が大切と考えたからです」と答えている。

札幌オリンピックの三年後、スケート界を去りその後、主婦業に専念してきたジャネット・リンさん。一九九八年長野オリンピックで一四年ぶりに表舞台に登場し、選手村のマクドナルドオープニングセレモニーでこう語った。

「私とマクドナルドはグルノーブルオリンピック以来三十年間、ずっと友だちでした。長野オリンピックでもマクドナルドの“みんな、みんながんばれ!”というオリンピック・メッセージに共感したから一緒に長野オリンピックを盛り上げようとスポークスパーソンをお引き受けしました。今回もかなり若い選手がたくさん出場しているようですね。家から遠く離れて、ハンバーガーの味が恋しくなってもここに来れば大丈夫。私のようにホームシックになったりしないで、マクドナルドが作り上げるフレンドリーな雰囲気で身体をリラックスさせ、全力で頑張って下さい」。

満面の笑みから大きな声が発せられた。「みんな、みんながんばれ!」

●ジャネット・リンさんのプロフィル

Lynn Janet 1953年4月6日、イリノイ州シカゴ生まれ。夫と5人の男の子の7人家族。68年フランス・グルノーブルオリンピック出場。69年USレディース・シニア・ナショナル・チャンピオンを勝ち取って以来、73年まで5年間チャンピオンの座を守り続けた。72年には札幌オリンピック出場、女子フィギュアスケートシングル銅メダルを獲得。73年から2年間Ice Follies(アイス・フォーリーズ)のスターとして活躍する一方、全米主要都市の広報を担当する。75年にプロ・スケートを引退。81年プロ・スケート界に復帰し、82、83年とプロ・スケート選手権で優勝。84年にプロを引退。94年にはアメリカ・フィギュアスケート界栄誉殿堂入り。96年長野オリンピック実行委員のスポンサーにより、長野オリンピック親善大使として来日。

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