エロスの贈り物 映画監督・河崎義祐 ライオンの子殺しの謎
最近、私は堕落した日本人が連発する不祥事件にあきれ果てて、動物たちのテレビ番組に注目している。中でも野生動物の営みのドキュメント映像は面白い。快楽派の私のこと、当然お目当ては愛の交歓シーン。つい先日のミナミセミクジラの雄大な交歓には感動した。波静かな南の海で、体長一七㍍、体重六○㌧のオス鯨の求愛が始まる。メスに全身をすり寄せ、ヒレで優しく撫でる。数時間後、反応したメスが横になると、オスはメスの下にもぐり合体、その間一分間。交歓が終わってもオスとメスはしばらく体を寄せ合って泳ぐ姿に、人間が忘れてしまった余情を感じた。
あまりの面白さに笑い過ぎて涙をこぼしたのはムササビの愛の儀式。深夜、高い樹から樹へ鋭い鳴き声を発しながらオスが飛んでくる。オスを迎える形でメスが立木に掴まり、後背位で数分間、身体を離したメスのお尻から精液が流れ落ちる。あわてたオスは木の根元から臘(ろう)化した精液の片を拾うと、駈け上ってメスのお尻に栓をする。
「おいらの子種はこれで安心」、そんな表情でオスが去った後、数分して別のオスが飛来する。メスのお尻の栓をぬくとその栓をかじりながら体勢に入る。別のオスが去ると第三のオスが来る。メスのお尻に栓をして安心顔で去るオスと、栓をはずされても次のオスに応えるメスのおおらかさに私は笑いこけた。古代、戦場に征く夫が妻に貞操帯をつけた発想もムササビの知恵からのものかと私はあらぬ想像をした。
ある時、私はサファリパークでライオンの生態を撮影したことがある。私がまず驚いたのは二○分に一度くらいオスはメスと交尾する性行動だった。「ライオンは平均して一日に四○回くらいです」。飼育係の青年は軽く言った。「一日に最高七二回交尾したオスもいますよ」。私は百獣の王と呼ばれるに適わしいライオンの精力に舌を巻いた。
“ライオンの子殺し”と言葉では知っていたが、その真実を映像で見た時、初めて衝撃的な行動の謎が解けた。メスの傍に子供がいる限りメスは発情しない。生肉を常食とするライオンの性欲がピークに達しても、メスが反応しない時、オスは狂ったように子ライオンを噛み殺してしまう。なぜ、その時メスは子供を守ろうとしないのか、殺された子ライオンはオスの子供であるかどうかの二つの謎は残ったままだった。
自分の性衝動にかられて、守るべき子供を殺してしまうライオンの狂態を見つめながら、私は自分の少年時代を想い出していた。美しく咲く一輪の花にも、蜜を求めて飛び交う蝶にも、殺意にも似た衝動を感じていた。私の青春の序章と呼ぶべきか、官能派人生の助走というべき日々だった。人は誰も少年少女期には、心と身体の奥に野獣を飼っている。若い生命と性のエネルギーが燃えたぎっている。自制心がある限り、野獣のパワーは生きる勇気となる。自制心がキレた時、脱走した野獣は狂気となって愛すべき者をも噛み殺してしまう。
自制の鍵となるのが人間の官能(エロス)、その官能をいかにコントロールするかで、正気にも狂気にもなる。子孫を残すための精力をいかに生きる歓びに変えてゆくか。そこに官能の不思議な効用がある。
(写真も河崎監督が撮影)