ようこそ医薬・バイオ室へ、性格を変える薬

1998.08.10 35号 4面

前々回にパニック障害を紹介して、その治療薬として「プロザック」が欧米で使われていることを記した。このプロザックは、セロトニンという脳内物質の神経細胞への再吸収を抑制して神経伝達をよくするものである。イーライ・リリー製薬会社が本来うつ病の薬として一九七四年に発表したもので、アメリカでの発売は一九八七年、現在では約二千万人が服用している。

このプロザックについてはクレイマー著「驚異の脳内薬品」(同朋舎)が詳しいので、その中から以下に症例を挙げる。

大会社の労働関係の管理職であるテスは、労使の対立の挟間で悩んでおり、さらに不倫関係を引きずって、うつ病となった。子供の頃暴力や性的虐待を受けて、かなり不幸な家庭で育ったが、テス自身明るくしっかりした長女として振る舞っていたらしい。きっとここでグレて発散していれば今頃うつ病にはならないのだろうが、グッと我慢することで心の傷跡も無理に覆い隠してしまったのだろう。

このテスの治療としていくつかの薬を試したが効き目がなく、当時発売されたばかりのプロザックを処方してみた。すると効果はてきめんで、快活で自信に満ち、難かった労使問題もその積極性と粘りで見事に解決してしまった。

医師はもう大丈夫だろうとプロザックの処方を止めると、テスは再びうつ状態に戻ってしまい、「本当の私ではない」と言って、プロザックの継続を望んだ。結局彼女は「本当の私」を維持するためにプロザックを飲み続けている。

もう一例を挙げる。ルーシーはボーイフレンドの視線が常に自分にないと不安でたまらなくなり、相手が五分でも約束に遅れると自分の価値のなさを痛感するという。彼女はやはり子供の頃に母親を殺されたという心的外傷(トラウマ)を持っていた。ルーシーにはプロザックと同じ作用を持つ「ゾロフト」という薬が処方されたが、わずか数週間で、「もう傷ついてもへこたれない」と言わせるほど、自信を回復したという。

そうなると、果たして「本当の自分」、すなわち個性とは何なのであろうか。人間は本来「明るくて快活」なものであろうか。確かに「明るくて快活な人」は魅力的であり、皆の憧れでもある。そしていまの資本主義社会では「明るくて快活な人」の方が有利である。ただ、このプロザックのような薬によって、皆が「明るく快活で自信のある人」になってしまうと、社会はすごく発達するのであろうか。何となくバブルの時代は、一億皆プロザック状態だったような気もする。

あえて「暗くて陰気な人」になりたい人はいないだろうが、ジャン・レノや高倉健、トヨエツのように寡黙で格好いいこともある。

結局、日本ではプロザックの発売は見送られるらしいが、同じ機構の薬が臨床段階にあるという。「本当の自分」とは、「個性」とは、「人間本来の性質」とは何か、様々な疑問を投げかける薬である。

この原稿を読んだ妻が「ほな、私も明るくなりたいわ」と言うが、それ以上明るくなってどないすんねん。大阪人にプロザック系の薬は禁忌のような気がするのは私だけであろうか。

((株)ジャパン・エナジー

医薬バイオ研究所 高橋 清)

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