風の便り「ぼけなす」

1998.10.10 37号 7面

今年の夏も暑かったですね。それでも、夏が好きな私としては、あの暑さが恋しくて、なごり惜しくて、「もう少しココにいて」とすがるような気分です。そんな私の夏の思い出をひとつ。夏の代表的な野菜“なす”についてです。おたんこ“なす”、ぼけ“なす”の“なす”です。

わたしの田舎は今年雨に泣いた栃木県の那須。ここに世界中の誰よりも私を可愛がってくれた祖母がいました。この祖母が漬ける“なすの塩漬け”が絶品(と私は堅く信じている)。

当時の私の腰ほどの大樽に漬けてある。中を覗くと、一面むらさき色の海、一応、「イーイ?」と祖母の許可を得て。祖母いわく「ぐちょ、ぐちょ、ぐちょ、と三回」。樽に対し、“なす”に対し儀式のように、握ること三回「ぐちょ、ぐちょ、ぐちょ」。

ひじまで洗って、木の落し蓋を取ってもらいむらさき色の海に手を“突っ込む”。手の中にすっぽりおさまるサイズの“なす”をひとつひとつ探し、「ぐちょ、ぐちょ、ぐちょ」の儀式をして、好きなだけザルに取り、井戸水でさっと洗い、にっこり笑ってかじりつく。“なす”にかじりつくのは中山美穂より私が先輩。

この田舎の家の裏には畑があった。祖母はハサミを片手に私の手を引き裏木戸をくぐるとそこには、“トマト”“むらさきのとうきび”、そして“なす”がなっていた。あの畑は覚えているのだが、あれがどんな行程であの大樽に納まったのかはまったく記憶にはないのです。「ああ、おばあちゃんごめんなさい。私には作れません」母だって作り方について言葉では「ああしてこうして」とは言うけれど、作ってくれた記憶はない。

小ちゃくて細くて若い時は美しかったという祖母は、魔法使いのように“おいしい”ものをなんでも作ってくれました。なすの塩漬け、きゅうりの塩漬け、真っ黒なごまだれ、しわしわうめぼし、当時の私も飲んだうめ酒、つぶつぶみそ、おひしょ(郷土料理)など。私の大嫌いな冬のある寒い日に祖母はこれらの“味”と大好きな祖父と一緒に忽然と消えてしまった。また今年も、ため息とともにスーパーでビニール袋入りの「ぐちょ、ぐちょ、ぐちょ」が必要ない“なすの塩漬け”を買う夏が終わります。(泰)

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