元気インタビュー 美健賢食 85歳の意気“健康” 日清食品・安藤百福会長
四八歳であの「チキンラーメン」を、六一歳でさらにあの「カップヌードル」を世に送り出した日本食品業界の発明王・安藤百福(ももふく)氏は現在八五歳。ウィークデーは5時起床の8時出社、週に二回のゴルフでは100のスコアが目標と、名前の百を地で行くごとく、まさに百歳元気街道をばく進中だ。ひらめきのアイデアはどうやって生まれたのか、どうすればいつまでも現役を維持できるのか。百個もある福のおすそ分けにあずかりに、新春インタビューを試みた。
長生きをするためにはね、好奇心が強いこと、バランス感覚がいいこと、この二つが必要なんですよ。どうしてか分かりますか?
現代社会では食生活ひとつとってもものすごく選択の幅が広い。これさえ食べていれば絶対にいい、これは絶対に悪いという状況なら簡単なんです。そうではなくて全部自分でバランスをとってコントロールしていかなくてはならないから難しい。たくさんの情報から自分を守っていくんですね。
さて、僕の一日をお話しましょうか。
朝は大体4時半に目が覚めます。起き上がるのは5時。5時半からラジオのニュースを聞きながら家内が作った朝食を一緒に食べます。家内も早起きですよ。5時ぐらいには軽い体操をしてます。朝食はパン半切れをトーストにして、冷たいままの牛乳一ぱいと、八種類の野菜をきざんだサラダも一緒にとります。それから6時のTVのニュースを見て、ちょっと運動をする。どんな運動かって? ラジオ体操の時もあるけれど、それ以外に必ずするのが舟漕ぎ三〇回と足踏み三〇〇回です。その後身仕度して家を出るのは毎朝7時20分頃、8時くらいには会社に着きます。
午前中は、社員・役員が話をしにくるからその相手をしたりお客さんを迎えたり。あっという間です。
お昼ご飯ですか? 小さいラーメンとそれから一五階の社員食堂にあるものを会長室に持ってきてもらって食べます。みんな満足しているかな、ちゃんとおいしい味になってるかなと点検するんです。ひと口ずつですけどね。
昼の主食がラーメンというと宣伝みたいで恐縮ですけれど、僕、本当に麺類が好きなんですよ。消化がいいからね。家にいる時もほとんどお手伝いさんに小さいチキンラーメンを作ってもらってるくらいだから。本当の話です。
昼ご飯をはさんで、新入社員から入社五年までの若手社員を呼んでの会長懇話会というのをやる日もあります。週一回、大体二時間くらい、八~一〇人くらいの人数でね、順番に来てもらう。あまり大勢だと話ができないから。若手社員も役員も皆、いろんなことを聞いてくる。聞かれたら答えなきゃならないから、僕もこれで大変なんですよ。
夕方は4時半か5時くらいまで。日中が忙しくて疲れたなと感じる日は無理をしないで早めに帰るようにしています。帰宅して風呂に入って夕ご飯は6時半から7時。夕飯はシンプルに一菜主義ということを通しています。魚なら魚の旨いのを、肉なら肉で三切くらい。ブタでもトリでもわが家風の炊き方がある。一菜主義ながらうまくサイクルを回転させて、いろいろなものを食べるようにする。また、量は余計には絶対食べないように心掛けています。
床につくのは8時か8時半だけれど寝つくのは9時のニュースを聞いてから。ところで人間の一番集中力が働くのはやはり一人になって眠るまでの間です。その日一日のことを回想する。そうした眠りかけの時、ふとしたことを思い付いたりします。カップヌードルを開発した時もそうだった。上ひろがりの容器に麺の塊を入れて底につけず中ほどに浮かせなければ、麺が割れたり容器の底が抜けてしまう恐れがある。ところが、どうしてもそういう格好にできない。昼も夜も考えに考え、ようやくある夜、寝床の中で「麺を容器の中に入れようとするからダメなんだ。中身を下に置いて、逆に容器を上からかぶせたらどうだろう」と思い付いたんです。天井を見ていて、天と地が逆になったような感じがした、その瞬間にヒントがあったんですね。
いまでも眠りにつく前に「ああ、きょうはあれをしたな、そうだ、これをあすは指示しなきゃ」と思い出し、枕元のメモ帳に書きとめます。僕は目が悪いから書いても自分では読めないので、朝来た秘書に「これ解読してくれ」と頼むんです。とにかく、一人になってものを考える時間というのは大切ですね。
いままで一番身体的に大変だった経験というと、二四~五年前、現社長(ご次男の安藤宏基氏)がまだアメリカの大学に留学していた時のことです。腹膜炎の手術をしたのですが、どうしたわけか三日たってもガスが出ない。苦しくてね、先生ももうダメだと判断したらしく、海外に行っている者も含め家族のみんなを呼び寄せた。口はパリパリ、目はキョロキョロして何も食べられない状態なんです。それが不思議なことに偶然に誰かが持ってきたリンゴジュースを少し口に含ませたら、それからもう二~三分もたたないうちにうーんと反応したという。何よりもその時はリンゴ汁の酸っぱみが効きましたね。それで四日めにようやくガスが出て、九死に一生を得た。人間簡単に死なないものですね。
もうひとつ不思議な話があるんですよ。二〇年くらい前、胃の検査をした時、悪性じゃないから放っておいても構わないものだけど、ちょっと小さなポリープがあるといわれた。その後、もう一度検査をした時も同じ。それが七年前の検査では、医者が何も見えないという。どういうことか自分なりに考えてみた。とくに大げさなことじゃなくて、僕はよく動くでしょ。ゴルフにも行くし、生活にリズムがある。そういう生活習慣の中で自然に治癒されてしまったのかなと。ゴルフはうまくいく時は100前後、あまり良くないと110くらい。身体の調子が悪い時も「まあいいか、ゴルフ行こうか」と出掛けてしまうと、案外治ってしまう。
とにかく身体をよく動かすことです。人を短命にしようと思ったら簡単ですよ。旨いものを好きなだけ食べさせて、自動車に乗せて手足を使わせない。一方においてストレスがかかるような問題事をいっぱい持ち込む。こんな風にされたら、年輩者だけでなく、若い者だってすぐまいってしまう。
長寿の秘訣はその逆をいくこと。何を食べたって構わないけれど、決して食べ過ぎない、一つ減らすこと。一歩外に出てよく身体を動かすこと。ストレスを過度に受けてはいけないけれど、逆に囲りにある程度必要とされている存在でいることも心掛けたい。人生という長い旅を随分してきましたが、これからもです。生きている限りはタダ飯は食っちゃいけない。重荷になる借勘定はつくらないで、相手に喜ばれる貸勘定でいかないとね。そうすると気がラクです。そのためにはやはり好奇心とバランス感覚が必要ですね。
◆プロフィル
明治43年3月5日生まれ。
昭和9年、立命館大学専門部終了。在学中からメリヤス関係の会社を設立、その後、機械部品、食品業に着手するが、31年、理事長をしていた信用組合の倒産で全事業を破綻。これをキッカケに一〇年前の終戦直後から構想していた本来の事業、即席麺の開発に専念しようと決意。33年、わが国初の即席ラーメン「チキンラーメン」開発に成功する。その後の「カップヌードル」の開発は46年。食品事業の展開と併行して、58年に日清スポーツ振興財団を設立。現在、日本即席食品工業協会会長、関西経済連合会常任理事。
座右の銘「食足りて世は平らかなり」の原風景は、終戦後、大阪・梅田のヤミ市で見たラーメン屋台にならぶ長蛇の列の人々という。