百元放談 “ヘルシー事始め”のすすめ タバコのやめ方

1996.01.10 4号 5面

タバコを喫うことは、とにもかくにも止めていただきたいものである。これはまず自分自身のためであり、ご家族、そして職場環境のためにも、是非やめて欲しい。

昨年は戦後50年を迎えたが、その間に大きく価値観を変えたものの一つにタバコがある。「恩賜のタバコをいただいて、明日は死ぬぞと決めた夜は……」という軍歌があった。戦地では一本のタバコを分けあった。そんな時代、未成年にとってタバコを喫うのはおとなのシンボルであり、強烈なあこがれでもあった。

私の学生時代の卒業アルバムの巻頭は、草むらにマント姿で寝ころがり、大空に向かってタバコの“紫煙”を吹きあげている写真で飾られている。仙人は霞を喫ったといわれていることから、タバコの煙りにもなんとなく俗世間を超越したような趣きを感じた。英国宰相チャーチル、日本の吉田茂首相が喫っていたのは葉巻かパイプであったか。記憶がさだかでないが、それらをくわえている姿は、英雄、大政治家の代表として、強い印象を与えられた。そんな時代、タバコには一種の権威さえあったし、タバコが最高のポジションをもっていた時期である。

戦時中はタバコは配給になった。これは市民のささやかな権利であり、喫煙のすすめともなった。戦後は手づくりの巻きタバコでしのいだことを思いだす。結構上手につくったものである。少し生活にゆとりが出来ると葉巻やパイプタバコにあこがれた。パイプの講釈も結構あって、ライターも含めて賑やかな論議や自慢がはじまった。そして外国タバコは紳士の必携品となった。

葉巻もパイプも良い香りが周囲を楽しませ、まことに目立って恰好はよいが、本人にとってはそれほどおいしいものではないと思う。パイプは鼻先で焚火をしているようなもので、煙りの温度が高い。化学反応は温度の高さに比例すると習ったが、これでは身体にもよいはずがない。

タバコの煙りは温度が低い方がうまい。それで日本式のキセルが長いわけである。中国には水煙筒といって、水をくぐらせる喫煙のやり方もある。使っていたパイプはそんな話をしてくれた園芸学の講師からいただいた陶器製のキセルに代えた。

タバコの害を一番先に教えてくれたのは、気象学の教授の杉原先生であった。“紫煙”などといっているタバコの煙りの実態は、微細なホコリ、気象学でいう「ダスト」、雨の核となって降雨を促すものが、実に何億と固まって漂っている姿だという。タバコの害はニコチンだけでなく、何億というこのホコリの固まりを喫う愚かさにもあるというのだ。そのときの先生のお顔はいまでも目に浮かぶが、それが後にタバコをやめさせる力強い下敷になるとは思ってもみなかった。

アメリカで喫煙と禁煙の席が別にできたと聞いたときは驚いた。現地で飛行機に乗って珍しがったのも束の間で、行くたびに喫煙の締め出しはきびしいものになった。ついには犯罪者扱いに近い感じで、タバコを喫う場所を探して右往左往する姿は、チャーチルを気取っているどころか、気の毒というほかはないほどの地位の転落であった。早くタバコをやめて良かったとそのとき思った。

私がタバコをやめられたのは故池田勇人総理と女房のおかげである。わが社では昭和39年開催の東京オリンピックに際して、「世界の食品・日本の食品」というグラビア特集を企画した。日本と日本の食生活、世界各国の食品を紹介した内容で、各国選手に土産としてもって帰って貰うという趣旨だった。英文を併記したもので今でもこれだけの本をまとめるのは大変な作業である。私がその制作責任者として指揮をとった。

当時オリンピックを記念して、特別にエジプト葉のタバコが発売された。全員を集めて発行企画を説明するときに、私はこのタバコを配って大いに意気を高め、発行を意識させることにした。スタートがそんなことで、この編集のさなかはタバコを大いに喫った。いよいよオリンピックも終幕近くなり、締切りが迫って徹夜がつづいた。気があせってタバコをたてつづけに喫う。ついにはタバコを喫うとノドが痛く、顔に汗が浮かぶようになった。

そんなとき池田勇人総理が咽喉の前がん症状ということで辞任した。「前がん」いう医学用語は当時は珍らしかった。しかしタバコでノドが痛くなっている私には大変ショックだった。そのときの女房は実に健気であった。またとんでもない発想をする女房でもある。「浮気をしても良いからタバコをやめなさい」という。

私は断然タバコをやめて浮気の権利を保有することにした。「タバコの煙りは毒なんだ」、「ダストの固まりなんだ」と自分に言いきかせ、イメージさせるには学生時代の気象学が役立った。とにかく私はタバコをやめた。心ひそかに浮気の免罪符を手にいれたことの心楽しさもあった。

いまタバコで苦しんでいる人をみるにつけ、思い切った手段・方法でも喫煙から抜け出すことを奨めたい。思いつめた感じでタバコを喫う美人の横顔には、凄艶というほどの魅力を感じることが多い。短くなるまで喫ったタバコの煙りで、いつも口元が黄色くなっていた先輩記者がいた。命が縮まっても惜しくないというタバコ好きがいる。

春山茂雄さんという病院長が書いた「脳内革命」という本によると、好きなことをすると脳内モルヒネが分泌され、毒も消されるということである。タバコの害も、価値もにわかに結論を出すのは難かしいようだ。タバコへの絶ち難い思いも分かるが、タバコを喫うための現在のミジメな苦労をみると、やはりやめることを奨めたい。

私がタバコをやめられたのには、女房と故池田総理のおかげが大きかった。しかしここでご注意申上げておくが、浮気の許可は結果的に免罪符にならなかったことだ。そのつもりでいたところ、その後で大変に手ひどいことになったからである。有効期間を確かめなかったのは一代の不覚であった。

それでもタバコがやめられたことは、大変に良かったと心から思っている。

(アイアイ)