ようこそ医薬・バイオ室へ、健康習慣との付き合い方

1999.05.10 44号 6面

数年前のことだが、ある論文を見てびっくりした。そこには、「リノール酸が心筋梗塞を誘発」と書かれていたのである。

当時は大変な“リノール酸神話”があった。どのマーガリンにも『リノール酸九〇%』とか書いてあって、リノール酸がコレステロールを下げると思っていた私はせっせとリノール酸をパンに塗りたくっていたのである。

その論文の内容は、フィンランドとアメリカで、従来通り動物性の脂を摂る人たちと、植物性の油に切り替えた人たちとを二〇年間にわたって比較する大規模な試験が行われたが、結果は「植物性の油に切り替えた群の方が、心筋梗塞やガンになった人が多かった」というものであった。

リノール酸は体内でアラキドン酸に代謝され、このアラキドン酸が血栓を誘発したり、プロスタグランジンE2を産生し免疫力を低下させて乳ガン、大腸ガン、膵ガンを発生させやすくするらしい。いまさらそんなことを言われても「だまされた」という感じで、その時は随分憤慨していたことを覚えている。

最近の研究では、シソやエゴマ、魚に含まれるリノレン酸はそういう作用がなく、このリノレン酸とリノール酸の割合が一対三の時に、心筋梗塞の予防になるともいわれていて、要はリノール酸ばかり摂り過ぎるとよくない、ということで落ち着いている。油は精製すればするほど、その抗酸化力が落ちるので、バージンオイルのようにあまり精製していないオリーブオイルがいいようである。

また、同じようなことが『ベータカロチン』でもあった。

肺ガンは喫煙者に多いが、野菜を多く摂る人に肺ガンの発生率が少ないことが疫学調査で分かり、ベータカロチンのブームが始まった。実際アメリカの二〇に及ぶ臨床試験で、ベータカロチンは前立腺ガンと肺ガンの予防に効果的というデータが出ていたが、フィンランドで行われた大々的な研究結果が発表されると事態は一変した。

毎日二〇ミリグラムずつ、約三万人に与えた試験で、意外にもベータカロチン投与群で肺ガンになる確率が一八%も多かったのである。次いで、アメリカで行われた一万八〇〇〇人の試験でも、肺ガンはベータカロチン投与群で二八%も多く、その他の疾患での死亡も一七%多かったという結果が発表された。

関係者のショックは大きく、飲料や食品で、「ベータカロチン配合」の表示が消されていった。試験に使ったベータカロチンは合成品だったので、副産物のせいだろうという意見もあるが、いずれにしても一日二〇ミリグラムのベータカロチンというのは、馬でもない限り摂れるものではない。ちょうど、ニンジン入りジュースを毎日一リットル飲むくらいであろうか。

というわけで、どんなに身体にいいといわれるものでも、「過ぎたるは及ばざるごとし」で、過度に摂取するとろくなことがないという、いい見本になった。

これらの大規模試験は、なぜかフィンランドでよく行われるのだが、ここから“フィンランド症候群”という言葉が生まれた。六〇〇人を対象に健康管理を徹底的にやった人と、あまり健康を気にせず普段通り生活した人を比較して、健康管理を意識的にきちんとやった人の方が疾病率や自殺が多かったのである。つまり、「一日何グラムこれを飲め」とか、「健康に注意しろ」ということがかえってストレスとなって、精神的にも肉体的にも健康を害してしまうようである。

とはいえ、この飽食の時代に、ある程度自らを律しないと糖尿病や心筋梗塞、ガンなどの生活習慣病になることは必定で、実に頭の痛い問題である。

妻の祖母は八五歳で「わては身体弱いさかい」が口癖である。若い頃は本当に身体が弱かったらしいが、いまは異様に元気で、声も大きく張りがあり、見事な船場言葉を話す。

その祖母は、毎日南京豆を渋皮ごと三粒食べる。「この皮がええねん」と言いつつ、「三粒以上は身体に毒や」と言って、ピタッと三粒で止める。その他にも彼女には傑作な決めごとがある。週一回ウナギ四分の一を食べるとか、梅エキスにローヤルゼリー、冷蔵庫の中を果物で一杯にしないと落ち着かないとか……。“フィンランド症候群”を鼻で笑うような健康おたくで、「かけてる金が違いますねん」と息巻いている。長生きにはこの自信も大切かもしれない。

(新エネルギー・産業技術総合開発機構 高橋 清)

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