らいらっく人生学 エッセイスト・富永春雄
五年ほど前に六五歳でリタイアした職場の先輩Y氏に、久しぶりに再会した。七〇を超えたばかりで、相変わらず壮健と見受けられたものの、どこか老いたな、と感じさせるものがあった。
離職してしばらくの間、自由を満喫していたY氏は
「いやあ、楽しいよ。なんでもっと早く見切りをつけなかったのか、と悔やまれるぐらいだ」
と元気いっぱい。大学の社会人講座を受講して、念願だった日本の古代史を勉強しているとかで、「忙しくてならん」と新たな生き甲斐を見つけた様子だった。
◇ ◇ ◇
「大学へは通っておられますか」
と問うと
「もう止めちまったんだ。確かに一年目は学生時代に戻った気分で新鮮だったが、二年目はもうあかん。講師が不勉強でね、内容に進歩なく退屈極まりない。まったく大学の太平楽は昔もいまも変わらんよ」
とにべもない。
Y氏の生き方を範としようと考えていた筆者は、この発言に少なからず失望した。高齢者、定年退職者を対象とした指導書などを読むと、必ず生涯学習のすすめが書かれている。しかし、Y氏の体験を待つまでもなく、現実はさほど甘くはない。
かつて自治体の主催する老人大学を見学したことがあるが、陶芸、植木の手入れなどの実習は別として、座学では半数以上の人が居眠りをしていた。再出発のための技術や知識を習得するといった明確な目的を持たないかぎり、初志貫徹は困難ではないか、というのがその時の印象だった。
Y氏は、現役時代、優秀なビジネスマンであり、定年後もしっかりした計画を立てて自信にあふれる再出発だったはずであったのだが……。
◇ ◇ ◇
「それで、最近はどんなことをされていますか」 「そうだな、ごく退屈な日常だよ。早朝に犬と散歩、読書をし、たまには美術館に行くし、観劇も楽しむ」
そう答えると、Y氏は屈託なく笑った。
「変化といえば、同年配で仲のよい七人のグループがある。それぞれまったく違った境遇で、出身地、学校、かつての職業など共通項がないんだ。月に一回、昼食会をするくらいで…。たまには旅行もするがね、あとはなんにもしない。それがとても気分がいいんだよ。現在のところ、このつながりを一番、大切に思っている」
もしメンバーが死んでも、補充はせず、新規加入は絶対、認めない、と申し合わせているのだという。
どこか、竹林の七賢のごとき交わりであり、Y氏は仙境に入ろうとしているかのようである。
これ以上、Y氏の心を推し量ることは不可能だが、これはこれでハッピーリタイアメントである、と思った。