らいらっく人生学:当世讃岐うどん事情
草壁氏の「讃岐うどんが様変わりしています」という話は新しい情報ではないが、やはり時代を映す潮目を感じさせる。「こんぴらさんで比較的最近、開発された温泉は素直でいい湯です」と上野氏も推奨するので、三人は琴平周辺を探訪することになった。
一昔前、讃岐うどんといえば、しゃれた民芸調の店で、それなりに洗練されたスタイルで提供されていたように思う。それがいま、ちっぽけな製麺所や一見、納屋のごとき民家、米穀店の別棟といった、“らしからぬ〈あやしい〉店”に人々が押し寄せているのである。
店先から波板囲いの軒下、それから狭い路地へと長い行列が続いている。安いのは一玉九〇円。いろいろバリエーションはあるが、主流はゆで上がりに薬味をのせ、生醤油をぶっかけて食べる。素朴といえば素朴、「これが本来の讃岐うどんなのだ」と地元のうどん通はいうのだが。
筆者には味よりも、店をやっている人の姿勢が面白かった。
谷川米穀店の谷川豊子さん(八〇歳)、「水車でコメついたり、ムギ挽いたりしていたのが、商売にならなくなって始めた。いまじゃ、米屋の売り上げより多いが、店の名は変えない」……午前11時から午後1時までの二時間しか営業しないところが嬉しい。
製麺所・山越の田尾さん、「一〇年ほど前、玉売りだけだったのが、ここで食べさせて、という人が増えて。ブームは、五、六年前からかな。終わる、終わるといわれながら、終わらない」……一日一二〇〇~一五〇〇玉を売る繁盛店だが、ブームにこだわっていないところがいい。
宮武うどん店の宮武さん「息子はサラリーマンだし、かみさんと年金もらえる歳になったら止めようって相談してる」………こだわりのない達人を思わせる。
三人は、結構ではあるが、やや観光地としてパターン化した温泉に浸かりながら、「アレも演出かもしれんが、僕ら、生活の原点のようなもんに飢えてるんかな」と土のかおりのするうどん屋を懐かしんだ。