山もいろいろ:氷河期の贈り物
斜面を埋め尽くす白、黄色、紫などの花々。その花を見たくて山に登る人も多い。圧倒されるようなお花畑、でも一つ一つ見ると可憐で可愛い花。山歩きとは切っても切れない関係だ。このコラムでも高山植物はたびたびテーマにあがった。
本州の中部山岳地帯で標高二五〇〇メートル前後。樹木が育たなくなる森林限界以上に咲き乱れる高山植物は、氷河期からの贈り物などといわれている。
氷河期(氷期)は、二〇〇万年前から始まり、間氷期を挟み六回あったとされている。その一番新しいものはヴュルム氷期と呼ばれ、約七万年前から一万年前までの間続いた。氷期には日本の平均気温が七~九度Cほど下がり、植物の植生帯も水平距離で一五〇〇キロメートル、垂直には一五〇〇メートルも下がる。中野区の江古田でオオシラビソやカラマツなどの化石が多く見つかっているというから、東京も八ヶ岳の中腹ほどの気候だったのだろう。
海水面の高さはなんと一二〇メートルも低くなる。水深の浅い間宮海峡や宗谷海峡は、海底が顔を出し地続きになって、動物たちは暖かい地方に移動してきた。「チョウノスケソウ」「タテヤマキンバイ」など北極海に近い周極地方と呼ばれる寒い地域を本拠としていた草花も同じように南へ移動してきたのだ。
その後間氷期に入り、地球の気温が上昇してくると、それらの植物はまた北方に戻るかまたは高山へと、自分たちの住みやすい環境を求めて移動する。それを何度も繰り返して、高山植物として定着してきたのだ。標高一五〇〇~二〇〇〇メートルの北海道の山と二五〇〇~三〇〇〇メートルの中部山岳地帯の植生がよく似ているのもうなずける話だ。
夏の期間が短く、雪解けとともに急いで花を咲かせなければならない高山植物たちには多年草が多い。一年草のように毎年枯れては種を作り、そこから根を張り発芽させていては短い夏に間に合わないからだ。花は枯れても地下部分に栄養を蓄え冬を越し、雪解けとともにいっせいに花を咲かせる。
よく「厳しい自然に打ち勝って、けなげに咲く」などと、高山植物の枕詞のように使われるが、彼らは自然に対して決して戦っても抗ってもいないようだ。むしろ自然環境と生き方を穏やかに合わせ、寒さも風も時間もそれなりに受け入れ、ゆったりと生きているように感じる。だからこそ消えそうで消えず、氷河時代からの信じられないほどの長い時間を生き続けてきたのだろう。
(日本山岳ガイド協会 公認ガイド 石井明彦)