百歳さんこんにちは:茨城県・高野倉寛さん(100歳)
茨城県水戸市にある特別養護老人ホームに入居している高野倉寛さん(100歳)は、全国新聞を毎日数紙読み、政治や社会の出来事に関心を持ち続けており、記憶力も抜群。野菜を多く食べ、暴飲暴食しないのが健康の秘訣だという。
●勉強好き、養子で中学へ
寛さんは茨城県久慈郡世喜村小貫(現常陸大宮市)で大正2(1913)年11月6日に生まれた。7人きょうだいの二男で「貧しい農家で苦しい生活を送っていました」と、生い立ちをよどみのない語り口で表現する。7歳で尋常小学校に入学、「12歳の時に、口べらしのため近くの町の薬局で住み込みの店員になりました」。
薬局では寛さんを養子に迎えたがったが、寛さん本人が反対。「中学校に入れてやる」との条件を示されて承諾した。当時は、村で中学校・女学校に通えるのは資産家か地主の子どもくらいだった時代。勉強好きの寛さんは、中学校で優等生となった。
●58歳まで警察官を全う
16歳で薬局を退店し、久慈郡にある製糸工場で給仕として下働きしたが、1年経たずに工場が倒産。その後、19歳まで職を転々とし、20歳の時に徴兵検査を受けて第二乙種合格、第一補充兵歩兵に編入された。25歳の時に、外務省巡査採用試験を受けて合格。1カ月間の教育を受けた後、中国・上海の日本総領事館警察署に赴任し、58歳に退職するまで警察官の職を全うした。
戦争時にはつらい思い出がいくつもあったという。「昭和14年に蘇州領事館への応援出張を命じられた時、日本軍の留置所に捕えられていた中国人が脱走し、その脱走者を捕え斬首した事件がありました。私はたまたま非番だったのでその場にはいませんでしたが、嫌な思いが残りました」。
●20歳で出会った食事療法を実践
寛さんの好きな言葉は「自由平等・博愛」。とても気に入っている言葉で、普段から実行しているという。「いまの政治、社会に対しても一言あります。憲法改正には反対。政策が昔に戻っています」と、率直に持論を語る。
健康の秘訣は「20歳の時に食事療法の本を読んだこと。その内容に従い、野菜を多く取り、肉は控えめにしています。酒、タバコは一切やらず、暴飲暴食はしません」。ホームの食事は栄養バランスを考慮した献立だが、寛さんは野菜の煮物にまず箸を伸ばし、おいしそうに口に運ぶ。
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