忘れられぬ味(38)竹本油脂・竹本泰一社長「異国の甘露」

乳肉・油脂 連載 2000.12.11 8780号 2面

一九八五年、敦煌への旅、莫高窟から見る夕陽が祇連山脈に当たり輝く様は唯々言葉もない程の美しさでありました。隋、唐の時代から座禅をくみ壁画を画く画憎達にとってもこの刻の黄金色の輝きの美しさには、天にも昇る心地で眺めたこととはるかに偲ばれました。ホテルへの帰りにハミウリを二個買う。ホテルの風呂に水を張ってこの瓜をつけ冷やしてパクついたその味はまさに甘露甘露。この世のものとは思われない程の美味でありました。後に日本に輸入されるようになった時、東京で食べてみましたがまるで異なった味でありました。やはり砂漠の乾燥した空気の中で味わうに限ると実感した次第。

一九九〇年11月、インド・ボンベイにて、ホテルの大宴会で本場のカレーのバイキング。おいしい、おいしいと何種類も試食し大満足。インドでは生物は食べてはいけない、カレーは大丈夫と思い込んでいたのが間違いのもと、同伴者に「そんなに食べてはいけません。四、五日すると大変なことになります」と言われながらもその理由が分からず、好物のカレーを楽しんでしまいました。言われた通り五日目には上へ下への大苦労、ほとほとまいりました。後で考えてみるとカレーに入っているヤシ油、これが問題でした。ヤシ油はC12の脂肪酸が中心の油でそれが食べなれない日本人の胃腸では消化しきれないものになったことが判明。インドでの苦い思い出となりました。

若い頃は、どこの国に行っても、食べ物で何不自由はなかったが、年とともに味噌や醤油の味が恋しくなって来た。縄文時代からDNAに刷り込まれているせいでしょうか、この味がなぜか気持ちをやわらげてくれるのは私だけではないでしょう。

それはさておき、私の今一番の楽しみは抹茶を一服戴く時、尾張、尾西市のふくやさんの葛の和菓子で戴く抹茶、それも私の愛用の黒織部の茶碗で戴く時こそ至福の時と申せましょうか。やはり私は日本人でありました。(竹本油脂(株)社長)

日本食糧新聞の第8780号(2000年12月11日付)の紙面

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