食品企業におけるパーパス経営の先進事例:日清製粉・山田貴夫社長に聞く
◇日清製粉株式会社 取締役社長 山田貴夫氏
インタビュー日:2025年3月31日(月曜日)14:00~16:00
インタビュー場所:日清製粉株式会社 本社(千代田区神田錦町)
聞き手:新井ゆたか(前消費者庁長官)、加藤孝治(日本大学教授)
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山田社長:この度、かねてからの念願であった水島工場を竣工します(2025年5月完成)。また、これを機会に我々は製粉事業の将来に向けての姿勢を発表していきたいと考えています。現在「未来展望フォーラム」という名称で検討していますが、その内容は水島工場だけでなく、アメリカの製粉工場での新ラインの増設も含めたコンテンツとして考えています。国内外での取組みを通して、我々の企業価値をお客様に認知して頂くための場を設けたいと思っています。その中では工場という設備だけでなく、例えば高食物繊維小麦粉の開発などをプレゼンし、お客様と一緒になって市場を創っていくという姿勢も示したいと考えています。また、今回の工場の先進性をお伝えする手段として、AIを活用して工場の中をCGで体験できるプレゼンテーションも加え、ご来場頂いた皆様にご理解頂ける仕組みも加える予定です。
社名にこれからの食を担う意思を表す
山田社長:今回の工場は我々にとっては、とても重要な意味を持ちます。そもそも、製粉工場の立地は大別すると消費地型か、生産地型の2つに分かれます。そういう意味では、従来の岡山工場というのは中間的な立地でした。岡山駅近郊の消費地立地と言っても経済規模としては東名阪に比べて大きくなく、全国に知られるような小麦の生産地拠点でもありません。ただし、西日本における交通の要所であり、その点では重要な機能を果たしてきました。一方で原料小麦の中心は輸入小麦ですので、臨海工場に比べて内陸部の工場はコストが掛かります。当社は香川県の坂出にも工場がありますが、坂出港では大型船はつけられません。中四国地区を担う拠点工場として臨海の工場が必要と考え、この2つの工場を閉鎖して水島工場に生産をシフトさせることにしました。
今回の水島工場の竣工に伴い、岡山と坂出の両工場を閉鎖し、2工場に見合うだけの生産を水島工場で行います。水島工場は5月に竣工し、岡山は7月、坂出は9月に閉鎖する予定です。このことは当社がかねてより実施してきた生産拠点の構造改善の一つであり、今回で一段落となります。
新井:御社が創業時の早くから臨海部に進出したのが、その後の発展のもとということだと思います。今でこそ製粉工場が臨海部に立地するのはわかりますが、創業時において臨海部に展開するのは大きな決断であったと思います。
山田社長:そうですね。創業者が将来に向けて大きな時代の流れを感じていたということだと思います。もちろん商売ですので利潤を追求する必要はありますが、小麦粉という国民の主要食糧の生産を日本国内でどのようにして担っていくのかという発想が強かったと思います。当時の工場の多くは、生産地立地の工場が主であり、鶴見のような臨海地立地の工場はあまり多くはなかったと思います。1908年に旧日清製粉の経営状態が良くないこともあり、当社(旧館林製粉)が日清製粉を合併しました。通常であれば、買収した会社の社名を使うことはないのですが、創業者は日清製粉という社名を使うこととしたのです。館林製粉という企業名を残すのではなく、これから日本国内もしくは海外も含めて、国民の食を担っていくという意思に基づき、日清製粉という社名を残したのだと思います。最初からそういうものを精神として持っていたからこそ、臨海部に出るという決断も出来たのではないでしょうか。
新井:そこの想いが、創業者の強い意思表明ですね。
山田社長:そうした思いは一貫していたと思います。当時は群馬を含め、小麦産地に地場の製粉メーカーがいくつも有りました。
新井:確かに、当時の群馬は小麦の主要生産地だったから、製粉会社は群雄割拠していたでしょうね。
山田社長:この工場を起点にして全国に拡大をしていきました。その時代では、新たに生産工場を作ることよりも地場の製粉会社を吸収する方が早く、当社の工場もそうした経緯の工場が多く有りました。
加藤:そういうことか。
山田社長:現在北海道は函館工場の1工場ですが、函館工場はかつて函館製粉という会社だったと聞いています。
信を万事の本と為す
加藤:社史にもある創業者である正田貞一郎さんの「信を万事の本と為す」という素晴らしい言葉について、今の社員の方々がどう思っていらっしゃるのか教えて頂けますか。さらにいえば、創業家である正田家全体に対して、一つの事業の中心的な形になっているのでしょうか。
山田社長:「信を万事の本と為す」という言葉は、我々が入社した頃はどの事業場においても、その言葉が額縁に飾ってありました。それはもちろん社是ではありますが、まさに当社の在り方のレゾンデートルであると感じています。
もう一つの社是である「時代への適合」は、正田修名誉会長が社長だった時代に作られたものですが、当社グループの生き方だと思っています。この「在り方」と「生き方」が一対となって社是になることで、当社グループの求心力になり、この二つの言葉は社内で徹底して話されています。「信を万事の本と為す」については、まさに普遍的な、否定しようもないような価値だと考えています。この言葉が生まれた経緯を考えると、商売として出てきたというよりは、小麦という国民の主要食糧を扱うということでの社会的使命を強く持っていた、社会使命に基づいて創業した会社だからこそ、信用が大事だという意識がすごく強かったということだと思います。
加藤:御社は、企業向け取引(BtoB)のビジネスがベースなので、「信」という言葉は取引先に対する「信」を意味するものと考えたのですが、今のお話しを聞くと、国民に対する「信」ということなのですね。
山田社長:全てにおいての「信」です。要するに売買取引の場面でもそうですが、小麦粉を扱う場合には、政府の施策等も影響します。いろいろな関係者に対する関係性の中で「信」が大事だというのが創業者の想いの中にあったのではないでしょうか。だからこそそれが社是として最初に掲げられることとなったのだと思います。「信」という言葉の重みは、年齢層によって若干濃淡はあるとは思いますが、当社の中では社員も有形無形に認識していると思います。
加藤:創業者の言葉をベースにしながら、戦略的にものを考えるようになれば、短期的な利潤を追いかけるというよりは長期的に布石を打っていくということになるのでしょうね。
山田社長:もちろん商売ですから、利益を上げなくてはいけない部分はありますが、無謀なことをして利益を取るような企業行動をとることはないですね。
合併により地域産業を再編
加藤:初期の頃からいくつかの企業を買収しています。最近では日本の事例の中で攻撃的な買収案件も見られますが、御社の場合、各地域の事業者に対し救済的な意味合いでの買収が多いように思います。日本の「食」に対する社会インフラをしっかり作り維持しなくてはいけないという意識から事業基盤を広げているように思います。
山田社長:主要食糧の小麦粉というのは、日本国内津々浦々、当然インフラを作っていかなければならないので、その手段として地域の製粉業者の買収もあったと思います。その地の食インフラを守るために、地元の名士によって作られた製粉業者を、救済という使命を帯びて進出したことも事実だと思いますね。もちろん、その地域に進出するという経済的な効果もあったと思いますが。
加藤:日本全体の社会インフラを作っていこうという大きなストーリーの中での地域をということなんですね。
山田社長:そうでしょうね。そういう形で初期の頃は、結構スピード感を持って事業拡大したことは事実です。
新井:地域の経済単位として考えると、以前はそれぞれ独立していましたから、製粉業の事業規模で考えると、1社が存続しても2社目は成立しないくらいの小さな経済エリアがあったと思います。そういう前提に立てば、製粉業界の業態として買収という仕組みを取るのは理にかなったことだと思います。その一方で、買収は救済買収とか友好的な買収として実施されていたとしてもその地域の人からすると、敵対的な買収としてとらえられる、言い換えれば別の地域の人が乗り込んできた感じになるように思います。
そういう意味で「信」という言葉を掲げながら買収をするというのは、ちょっと相反するようにも思います。いろいろな人の見方があるので、地域の人にとってみると乗っ取られたと受け取る人がいるのではないかということです。御社の買収に関しては、うまくバランスを取りながら進められてきたということだと思います。あそこの地域に出て行きたいんだけど2つの工場はいらないから、あの製粉会社をどうにかしないといけないというときに、上手に戦略を練ったという、対応の方法が絶妙なバランスであり、戦略の練り方だったと思います。
加藤:取引先や同業他社との関係性などを考えたときに、日清製粉に任せるなら安心だという納得感やコンセンサスのようなものでしょうか。社会からの信頼があるというイメージがなかったら排除されかねないのではないでしょうか。そういうところが創業者であり、御社の戦略の取り方の良い点だと思います。
山田社長:あの時代を振り返ると、まず、各地で製粉が事業化していくという勃興期があって、それから成長期がありました。産業の成長の過程で、地域ごとに小規模な事業者がたくさんあったところが、少しずつまとまっていくことだと思います。そういうときに、例えば我々のような会社が地方に出ていくプロセスは、新井長官がご指摘されたような形になったのだと思います。ある意味自由競争の中で、各社が淘汰されていくプロセスがあったという見方の方が良いのかもしれません。そういう意味では産業自体の経済的な発展段階の中での過程という見方としてとらえて良いようにも思います。
新井:収穫された小麦を遠くまで持っていくのは面倒だから、その地域の工場が衰退することになれば、誰かに工場を引き取ってもらわなくてはいけないということですね。産業の成長とともに再編されていく。その中で有力企業が、全国の工場配置を考えていくことになったというご説明は分からなくはない。勃興期はたくさんの人が我も我もとやってきたけど、市場が成長するにつれて、みんな経営的に成り立つわけじゃないし、製品を売る力があるわけじゃないので続かなくなるということですね。
加藤:日本社会経済の近代化の中で、御社の取組みは、製粉業における地場産業が変化発展していく中で、うまく救済合併等の手段を使って、社会インフラ作りをされたということだと理解しました。
山田社長:創業者の話で付け加えますと、いわゆる崇高なモチベーションを持った方ではありますが、同時に商売人としての才覚も有った方と感じています。小麦粉以外の事業拡大の目の付け所や事業拡大の方法の工夫がされています。例えば、1929年にパン酵母(イースト)の会社として創業したオリエンタル酵母工業は、会社ではなく創業者自身が自分で出資して作っています。小麦粉を利用する先を見据えて、会社を作っているというわけです。それから数年後(1934年)に、ふるい網を作る会社(現在のNBCメッシュテック)も作っています。戦前に自分たちの製粉業というビジネスをコアにしながらの事業拡大について取り組んでいます。
加藤:小麦粉を作るという事業をコアにしつつ、その製造プロセスや最終製品につながるところで、別の事業分野も自分で作り拡大させているのですね。
統制撤廃後、速やかに販売ネットワークを構築
加藤:日本社会では関東大震災と第二次世界大戦という非常に大きな苦難に直面して、その時々にいろいろな工夫をしながら乗り越えてくることで、足腰を強くしてきたという歴史を聞いたことがあります。御社としては、こうした戦前・戦中の苦難についてはどのように対処されましたか。
山田社長:当社も関東に拠点がありますから、関東大震災では甚大な被害を被っているのですが、驚くことに、震災の前(1923年)に決めていた鶴見工場建設計画を見直すことなく、3年後には完成しています。要するに、23年の震災の前に立てた計画を見直さずに、そのまま実行したということです。当時の経営者の英断だと思います。しかも鶴見の工場は規模も大きく、投資金額も大きいです。臨海大型工場として、海外からの製粉機械を導入し大規模な工事を実施して竣工していますので、リスクのある投資だったと思います。
加藤:当時の臨海工場は、今のように小麦を海外から輸入して挽くための工場ではなくて、輸出をする拠点として鶴見工場を作ったのでしょうか。
山田社長:そうですね。加工貿易も含めて輸出に対応する拠点としての臨海工場という役割はあったと思います。当時の状況でいえば、販売先としての中国市場は重要な位置づけで、こうした動きは当社だけでなく、いわば国策のような形で多くの企業が進出しました。
新井:日本の食品企業でそういう事例は多いですよね。当時でいえば、醤油も食用油も出ていたと聞いています。基本的にはみんな海外進出していたということですよね。
山田社長:結局、みんな国策に基づいて、満州とか中国各地に進出し、現地にインフラを作らないといけなかった。要は、そこで日本人が生活できるようにしないといけないということですから。みんな同じような発想による海外展開だと思います。あとは、もう一つ別の観点にもなりますが、日本の食品企業において、加工貿易的な展開は成長戦略の一つであったように思います。
加藤:第二次世界大戦が終わると、満州の工場はもう使えなくなりますよね。また、国内もいろんな地域が被災して、御社の工場・設備も相当厳しい状態になっていたと思います。にもかかわらず、1945年には復興委員会を設置して、どんどん日本の復興に向けて取り組んでいらっしゃいますね。
山田社長:当社も戦災による被害は、各地で受けました。例えば、神戸工場も直接空襲の被害が有ったと聞いています。一方で当社は、継続して日本の主要食糧を扱っているという自負を持って経営をしています。戦後日本全体として、食料難になっているわけですが、そういうときに、経営者を筆頭に社員全員が、自分たちが供給しなければこの国難を改善できないという社会的使命みたいなものを強く持っていたと思います。その強い想いによって、4年の短期間で戦争により被害を受けた工場の復旧に取り組み、1949年ぐらいにはほぼ全部復旧させました。これを実現するには、多額な資金をどうやって工面するのかという問題もあります。経営者に、相当強い意志がなければできません。これはいわば商売としてやるのではなくて、自分たちが、日本人のために食料を供給しなければならないという使命感が、行動を加速化させたと考えます。
新井:戦前のある時期から、日本社会は統制経済に入っていきますよね。当時は小麦だけじゃなくて、味噌や醤油の人たちもみんな統制されていて、配給されていました。そういう時代から、戦後も国がずっと小麦を管理したということもあって、小麦産業には、結構国がコミットしてきましたよね。戦中に小麦を統制してきた経緯があって、戦争が終わり1946年以降は、アメリカから小麦が入ってくることになります。
山田社長:日本が食料難であったことは間違いないことです。その意味で統制経済は必要ですが、1952年に小麦買取り加工の開始、いわゆる統制撤廃が大きな分岐点だと思います。それまでGHQ含めても価格的にも全部統制されているということだったので、ある意味で、それは自由経済ではありません。もっと言えば、配給経済です。配給経済なので、我々としては、国やGHQが求めるように、必要なものを配給できる体制を作っているというだけの構図です。
新井:国の配給計画で主要な役割を果たされ、事業が存続していたということですね。時代が変わり、配給経済がなくなってしまうと、どうやってビジネスをするか大変になりますよね。
山田社長:主要食糧も含めて、物価統制が徐々に撤廃されていったのですが、最初の大きな変化が起きたのが1952年です。そのときに原料小麦は国が購入しますが、小麦粉の販売面の価格(多少上限があったようですが)を含めて完全にフリーになりました。そこからパン屋さんや麺屋さんが戦後の復興で伸びてきたときに、いかに安定供給できるかが課題になりました。この統制経済が撤廃になったときに、当時の当社の諸先輩が、最初から全国供給を意識して生産拠点を作っていきましたが、同時に販売ネットワークもいち早く作らなければなりませんでした。
新井:なるほど。企業間のBtoB取引だから表面的には見えないけど、やっぱり統制の影響があったんですね。消費者向けのBtoCじゃないから販売拠点は見えないけど必要だったんですね。
山田社長:そうですね。それがいわゆる特約店制度というものです。最終的な売り先はパン屋さんや麺屋さんになりますが、我々は、直接パン屋さんに売るのではなく、問屋さんを通して販売します。その問屋さんたちが、非常に細かいお客様まで毛細血管のように全部カバーしていくことで、流通が可能になります。そういう意味で各エリアにおける強いネットワークを押さえることが、拡大面でも競争面でもポイントとなりました。各社も小麦粉の供給を安定させるために、例えば米穀商さんであったり、糖粉商さんと言われる卸売商を特約店にすることによって販路の構築を図りました。
新井:その時代に米穀商はすでに小麦の特約店もやっていたというわけなのですね。
山田社長:そうですね。米穀商さんもその一つです。それ以前の配給経済のときに配給権みたいなものを持っていることが販路構築のアドバンテージになり、その権利を持っているところが選ばれたわけです。
新井:統制経済の下で、米と小麦は、ある意味一緒に流通する経路になっていたということですね。
山田社長:また、糖粉商さんのルートを確保したのも、当然砂糖も統制のもとでの配給権を活用したということですね。我が社の場合、米穀商さんよりも糖粉商さんのルートの方が大きいと思います。この販売チャネルを押さえることができたことが、業界の中で戦後強く成長していくエネルギーになったと思います。生産拠点は1949年で復旧したので、チャネルを含めて販売のほうを再構築していきました。そのあとから、朝鮮戦争を含めての高度成長期に入っていきました。経済が復活して小麦粉の需要が増えてくると、太いパイプを持っているところが強さになります。
加藤:御社の1945年からの10年くらいの期間における復活に対する意欲というか、スピード感が、他の製粉会社と比較しても優位なポジションを作り上げていったということなんでしょうね。
山田社長:このような形で事業を、スピード感を持って回復できたのは、何度も恐縮ですが、日本の国民の主要食糧である小麦、そして小麦粉の供給体制を整えなくては、日本の食料難が解決しないんだという強い想いが根底にあったからだと思っています。
新井:当時を振り返ると、日本政府の中にも旧来の経済企画庁の企画セクションみたいなところが、非常に綿密に産業を選んで計画的に資金が供給されていました。当時でいえば、国民を飢えさせないようにすることの重要性は、今より格段に強かったと思います。その後、自動車とかの製造業の再生に力が向けられたということです。
山田社長:そうですね。そういう政府からのある種の支援みたいなものもあったのだろうとは思います。
加藤:戦後の5年~10年の期間に、生産を復活させ販売網を整備したということが御社のその後の成長を支えているのですね。
山田社長:小麦粉は主要食糧であり、様々な二次加工食品の主原料です。生活に欠かせないまさにエッセンシャルビジネスです。だからこそ、いろんなレギュレーションもかかってくる。そのレギュレーションの方向性は、時代とともに変わりますが、その変化を見据えて、経営の方向性を見極めていくことが重要になります。
加藤:このあたりが、やっぱり中長期ビジョンに基づく経営を行っているということですね。目の前のお客様のためもありながら、国全体の大きな流れを見ながら経営の舵取りをすることだと認識しました。
山田社長:例えば近年だと、国際貿易交渉や自由化が今後どのようになるのかを見据えないと、大きな設備投資の判断はできません。そういう意味で、国の政策を見ながらの経営という面はあると思います。
加藤:今の時代の食品産業だと、大消費地である中国の経済動向・消費動向を見ながら経営していると思います。同時に、その動きは戦前からのビジネスの流れにもつながるのですね。
お客様と一緒に製品開発を行い強固な関係に
加藤:日本の食文化が戦後時間をかけて、米中心からパンとかパスタとか色々な食材を利用するように変わるときに、御社として何か働きかけや、消費の流れを作る取組みはされましたか。
山田社長:消費行動の流れを作るということになると、「鶏と卵」のような話にもなりますが、戦後の食料難が徐々に解消されていく中で、洋風の食文化が広がっていきます。学校給食も含めて、その流れの中でパン食等が拡大しました。それによってパン産業等が大きく発展しました。市場が拡大すればニーズも様々に広がります。例えばパンメーカーさんが広がるニーズに合わせて作られる製品に対して、当社のような原材料メーカーは、品質面を中心にその製品に適した小麦粉が求められます。大量生産時代においては、物量としても海外からの輸入の小麦が中心になります。安定して小麦粉を提供することが第一になりますので、安定した小麦原料が必要であり、国とも連携します。消費者のニーズに合わせて、その品質に見合う小麦粉を提供・提案することで、さらに市場が拡大していく構図になります。
加藤:なるほど、よくわかりました。市場のニーズにあわせてというお話しですが、パン食の拡大はやっぱり戦後からでしょうか。
山田社長:パンそのものはもちろん戦前からありましたが、絶対的な、いわゆる食の中での比重からすると、それは当然戦後の方が大きいことは間違いありません。
加藤:戦前までの御社の小麦販売先の中心はうどん向けだったのでしょうか?
山田社長:基本的には麺類が多かったと思います。データが無いから分からないですが、麺類以外で小麦粉を使用する製品で、私のイメージがあるのは、例えばビスケットです。実は、例えばパン関係の業界団体は戦後に設立されているのですが、ビスケットの業界団体は戦前の昭和2年からあります。ビスケットが早くから生産・販売された理由としては、当時ビスケットには栄養価があるということで、栄養補給・栄養改善の観点から取り組まれていたからだと思います。もちろん昔からパンを作っている企業もありましたので、小麦粉も出荷されていますが、データが無いので、ビスケットとパンどちらの供給量が多かったまではわかりません。
新井:社長のお話を伺うと、市場の需要からドリブンされたというお話しですが、日清製粉さんサイドから仕掛けて行くという供給ドリブンで、こんな粉がありますのでこういう風に使ったらいかがですかっていうのは結構やってらっしゃったのではないでしょうか。
山田社長:後ほど、そういう話もさせて頂きますが、供給ドリブンとなるかという話に関しては、小麦粉の製品特性から派生している部分があると思います。蛇足ですが、私は、ビジネスの基本的な枠組みは、扱う製品の特性によって構築されるところがあると考えています。例えば小麦粉は、先ほども触れましたが主要食糧かつ主原料です。こういう製品特性だと、スポット的な商売は強くありません。パン屋さんが主原料を頻繁に変えるのは、自分の製品の安定性からも難しいことです。しかも、定期定量的に使用されることが多くなります。
従ってお客様も、安定的な仕入れチャネルの構築を考えなくてはいけないことになります。また、小麦粉の原材料としての用途は、非常に広いです。パンや麺は大きなカテゴリーですが、お酢等にも使われます。その生産規模も多様です。全国展開しているブランド製品のメーカーさんから個人商店のお店まで、顧客層も多様です。従って物流面を含めてそのチャネルも多様になります。また小麦は、農作物ですので、品質は毎年違ってきます。それを安定的な品質の小麦粉として提供することが第一になります。
もちろん、小麦粉銘柄ごとの差別性はありますが、電化製品等のように差別性が大きいものではありません。こうしたことを踏まえると、多様なタイプのお客様に対して、その製品に適した対応方法やそれに基づく関係性の構築が重要になります。そのことが長期的な関係性の構築になります。例えば、お客様と一緒になって製品開発を行う等によって、関係性の構築につながり、差別性につながるということです。
新井:こういうベースの製品は取引先をスイッチしないということなのですね。多くの場合は、一つ決めるとそこになるということですね。
山田社長:お客様も今何が売れるのかを常に探索しています。マーケットの動向を踏まえて、自分たちなりの提案を行い、市場が拡大できれば、ウィンウィンの関係にもなりますし、競合への優位性も確保できますので、そうした意識を持つことが大切になります。
日式がブランド化
加藤:最終的な小麦粉という製品の品質を考えるにあたり、農作物だから年によって品質が変わるというお話がありました。おそらくは、原材料の影響のほかに、挽き方によっても最終製品のでき具合は変わってくるのではないかと思います。そういう意味で、御社が海外から小麦原料を輸入して、小麦粉として再輸出という加工貿易をするという話があると思いますが、いかがでしょうか。
山田社長:小麦原料はご存じのように国家貿易で輸入され、マークアップもかかりますので、小麦粉を輸出した際の価格優位性は無く、コスト負担も大きいので、メインのビジネスにはなり得ません。しかし最近、小麦粉の輸出が増えてきたのは中国のマーケット等ですが、日本式製粉の製品、その品質への評価が高まり、また、高価格でも買える富裕層が増えたことによって市場が拡大しつつあると感じています。
加藤:日清製粉さんの挽いた粉で作るパンは、中国の現地で挽いた小麦粉で作ったパンよりも美味しいっていうふうに、富裕層の人たちも違いがわかるようになっている。
山田社長:今、ラーメンなども含めて、日式というのが一つのブランドになっていると思います。例えばパン屋さんでも、日本で製造された小麦粉を使っていることで、通常のパンの単価が2倍になれば利益も出ますし、その水準の価格帯であれば富裕層は買います。そういう市場ができてきたということですね。
新井:小麦粉の輸出額が2020年に83億円だったのが、2024年には155億円にまで伸びました。コンビニベンダーとしてのパン屋さんが海外に行って、コンビニのパンを作ることで輸出が拡大しているということでしょうか。
山田社長:現地における経済環境が進展して、富裕層のニーズも含めたマーケットが拡大していることが大きいように思います。この話とは違いますが、日本食のマーケットが拡大していることも見逃せないかと思います。例えばインバウンドで来られる海外の人たちが一番食べるものとして、ラーメンがあげられます。アメリカに行けば一杯20ドル(約3,000円)のものが、日本に来たらもっと安くて美味しく食べられるということで、体験する人が増えました。そういう人たちによって、アメリカ国内でも疑似的なラーメンでは無く、日本と同様のラーメンが求められ、そのラーメンが食事として定着し、一杯20ドルで売られているわけです。そうなると、日本で使用しているのと同じような麺が必要であり、その品質をクリアするには日本の小麦粉が求められます。
新井:それは麺の機械を持って行くということですか。
山田社長:はい。それもありますが、求められている小麦粉の品質が違います。簡単に言えば、アメリカの場合はスペックを基本とした商売をしているので、タンパク等のスペックが重要で、加工適性に課題がある場合もあります。生産設備や製造方法も違いますので、日本のようなラーメン向けの小麦粉が作れないのです。
加藤:生産プロセスのなかで、最終的なところに違いがあるわけですね。
山田社長:当社は北米のカナダとアメリカに会社がありますが、カナダの設備で日本と同様のラーメン用の小麦粉を作って、アメリカに輸出しており、着実に拡大しています。ただし、トランプ政権の関税問題がアメリカとカナダの間にもあり、懸念しています。
加藤:まさに消費者のところに届く製品ごとに異なる小麦粉のスペックに合わせて生産することを続けているので、急に日本の料理が現地で買われるようになったからといって、じゃあ、現地の小麦を使ってラーメンを作ったとしても日本と同じ麺は再現できないということですね。だから、現地で日本食に対する需要が増えたら、それにあわせて日本からの輸出が増えると理解しました。
新井:そうはいっても、だいたいは現地化していきますよね。麺が一番現地化しやすいと思いますが、いかがでしょうか。
山田社長:麺にも様々ありますが、大量生産をする即席麺の小麦粉等は、ご指摘のとおりですね。一方で当社が日本国内で作っている小麦粉は何百種類もありますが、アメリカの工場では、数十種類しかありません。それだけ日本の小麦粉はお客様の品質に合わせて作っている部分があります。
加藤:ユーザーさんがこういう粒度にしてくれという要求があって、それにどんどん合わせていくということですか?
山田社長:日本のお客様は、小麦粉の粒度とかスペックの話しではなくて、先ほど話したように、二次加工適性を重視しています。その小麦粉を使って食感がどうなるのか、どういう製品ができるのか。お客様の要望も非常に細かい部分があります。そうしたことをお客様とコミュニケーションをとりながら、小麦粉の開発も行いますので、何百種類という数につながることになります。
新井:その取組みが先ほどのリレーションシップにもつながっているのですね。
山田社長:そうです。日本の食品メーカーのBtoBの世界では、このような仕事の進め方は多いと思います。だから、非常に食品素材・加工食品の種類が豊富だし、そういう提供の仕方になります。まさにそれがお客様と一緒になって作り上げるということですね。
加藤:その結果として、小麦粉の種類が10倍以上に増えてしまうということになると、日本の生産コストはかなり高くつくことになりますよね。もともと原材料の小麦は輸入したものを使用していることもあり、この後の工程が高くなっているところもあるかもしれませんが、加工コストがかなり高いのではないでしょうか。
山田社長:確かに種類が多くなることは、生産ラインの切り替えも必要になりますので、効率性の課題も出てきます。しかし、そうした仕組みを前提としたオペレーションの技術を積み上げていますので、必ずしも高コストでは無いと考えています。今般の水島工場の竣工を機に、今後オペレーションの一時的な無人化も検討しています。
加藤:それだけ関係性を重視しつつ生産性も上げるというオペレーションができる状態に、日本の工場はなっているということですね。
山田社長:そうです。それがやっぱり我々の一つの強みだということだと思います。
独自の技能オリンピックで信念を共有
加藤:先ほど、アメリカのラーメン用の小麦粉生産のオペレーションをカナダの工場で行っているとのお話しでしたが、同様に海外の日本食需要にあわせて、カナダのほかに中国などの国々の現地企業の買収を進めて海外の企業展開を図っていくことは可能でしょうか。
山田社長:日本食の需要及びそれに伴う小麦粉のボリュームもありますが、それだけで生産拠点を構えるのは困難だと思います。私は、製粉ビジネスはスタンドアローンなものだと考えています。すなわち、現地で完結する「現地完結型」のビジネスです。例えば、現地にはその地域に合わせた文化があり、固有の食の広がりがあります。その特徴のある食品に対して、主原料としての小麦粉をどう提供するかが大事です。そういった意味で現地のマーケットを十分理解する必要があります。
例えばアメリカの工場においても、1工場あたりの商圏は500キロ程度のイメージです。例えば700キロ、800キロ離れてくると、近くで供給されるところと、輸送費等で競合が難しくなります。だから、地域ごとに完結することになります。日本は多様な種類の小麦粉を全国に展開するため、当社もエリアごとの工場配置にしています。海外に出ることになった場合は、小麦粉市場はどの地域にもあり、既に製粉工場が存在しますので、自社で工場建設するというよりも、どうしてもM&Aが中心になると思います。
加藤:御社が創業後早いタイミング(1920年代ぐらい)に日本国内の企業を買収しながら拡大させていったという手法を今度はグローバルにやっていくと考えれば良いでしょうか。また、買収先企業との関係として考えると、どのような点がポイントとなるでしょうか。
山田社長:確かに、外見は、国内での事業拡大と若干似ていますが同じとは言えないです。今、日本の食品メーカーはどの企業もそうだと思いますが、製粉業界でも国内の人口減によって、小麦粉の市場も長期的にはシュリンクすると考えています。多少厳しいところはあっても、企業戦略として海外を一つの成長のモメンタムにするのは、一つの方向性として考えなくてはいけません。当社は1989年(カナダのロジャーズ・フーズ買収)と1991年(タイの日清STC製粉設立)に海外進出しましたが、当時の意識はどちらかというとノウハウの取得とか人材の育成を目的としており、要するにスモールアプローチとして取り組んでいました。その後20年くらいの期間は、実は海外での工場進出はありません。2012年に米国のミラー・ミリングの案件があって、海外展開が本格化することとなったのです。
新井:その頃の御社の事業の中での海外事業は、確か数%でしたよね。それが、3割にまで拡大しているということですね。
山田社長:グループ全体の売上に対しては約3割になっていますが、製粉事業の売上、利益の約半分が海外事業です。私が社長に就任した2017年で、製粉事業の売上の3割程度でしたので、会社の構造は大きく変わっています。ただ、そうした構造変化を国内の社員が肌身で感じているかは、やや疑問です。それは、先ほど説明したように、どうしても小麦粉ビジネスがスタンドアローンだからだと考えています。もちろん、海外事業に対して人的投資や国内事業との連携はありますが、コンタクトは限られます。そういう意味で、社員にももっとその変化を感じて欲しいということも含めて、冒頭の「未来展望フォーラム」を考えています。
先ほどの話の通り、なぜ20年も間が空いたかというと、自由化に向けた道筋、国際貿易交渉等の行方が不透明だったことが大きいと思います。その後、CPTPP等の設立もあって、一定の方向性が見えてきました。そこから改めて具体的な海外展開を始めたということですね。海外展開のキーの一つは、有力な小麦原料産地の場所でした。最初はカナダでしたが、その後、アメリカに行き、次にオーストラリアへと広がっていきます。
新井:買収して海外展開をするとしても、スタンドアローンで考えるとなると、生産分野・技術的なところでみると、買収した工場に対して、本社から提供しているものはあまりないということでしょうか。買収した後、その地域が求める小麦粉が変わらない形で提供し続けるとすれば、その買収された人は今までと同じ製品を作り続けているということになるのでしょうか。
山田社長:基本フレームは確かに大きく変わりません。しかし、生産オペレーションのノウハウや管理マネージメントの仕組み等、こうした点は日清製粉の125年の歴史に基づく様々なストックがありますから、現地と相談しながら、いろいろと改善に取り組みます。例えば、当社の経営方針を現地の企業の人たちに理解してもらうのも、その一環です。現地の経営者層に対して、私を含めて各階層で伝えていきますが、伝えたからすぐ納得されるとは限りませんので、地道にコミュニケーションをとっていくことが重要になります。現場レベルでのコミュニケーション向上の一つの方法として、当社では技能オリンピックというものを開催しています。
例えば、製粉工場のオペレーターであるミラー(製粉技術者)はそれぞれの工場の中心で活動しています。アメリカ、カナダ等の各地でメンバーを選出し、代表選手が日本にやって来て、ここでペーパー試験と実技を実施して金・銀・銅の賞を決めて評価します。今年は1位が日本の技術者でしたが、2位はカナダ、3位はニュージーランドのミラーでした。こうした一連の行事を通じて、参加者には、お客様に対して事故のないように取り組むことの必要性であるとか、「信用」ということに対する当社の想い等の意識が植え付けられていきます。日清製粉という企業はそういう気持ちを大事にする企業であることを実感してもらう。そういう効果があると思っています。
加藤:御社が現地の工場を買収したからといって、すぐに製品の内容を変えることはないが、生産・管理プロセスについては、日清製粉のスタイルを植え付けていくということですね。そうすることで、例えば経費削減とか、従業員満足度向上などの形で御社と買収された工場・企業が、ウィンウィンの状態になるということでしょうか。
山田社長:それが好ましいことかもしれませんが、それも100%ではないと思います。当社がこうすべきと考えていることが、必ずしも現地にとってプラスにならないこともあり得ます。当社も買収したからと言って、上から目線で物を言う必要性は全然なくて、足りないものがあれば、協同して解決していきますし、参考になる点はどんどん国内でも取り入れていきます。それぞれの工場単位で背景にある文化も違います。だからこそ、具体的な中身を通して理解していくことが重要と考えています。言葉だけで「信」と言っても、特に海外での受け止め方は様々になります。現場の人が一緒に何かをするということなどが一つのきっかけになればと思っています。
また、別の観点ですが、当社の一つの特徴として監査(オーディット)体制がしっかりしているという点があります。例えば設備監査とか、環境監査などがあります。現地の海外の会社も日清製粉というのは、そういうことを意識するポリシーを持った会社だというのは、そういう監査の場面でも理解すると思います。
新井:難しいですね。BtoCの商売をしているわけではないから、現地に行って新しい製品を出すというように、製品などの目に見える形で消費者にアピールする場面はないわけですね。だから、まさにBtoBの中でやるとしたら、クオリティと管理システムが上がったということを現地の現場の人に提示することが必要になるということになるんですね。
最終的なBtoCを見据える
山田社長:一方で気にしなくてはいけないのは、様々な意味でBtoBのビジネスと言いながら、最終的なBtoCの意識を持って仕事をしなければならないことです。先ほどマーケットドリブンの話がありましたが、当社が起点になった市場創造の話は過去にも多くあります。例えば「冷凍めん」という分野は、今はもう全く日常の製品ですが、実際に世の中に出たのは1980年前後です。1983年に冷凍めん協議会(現日本冷凍めん協会)が設立されますが、冷凍めんの基本特許は当社が持っていました。当社は当時の冷凍めん協議会を通じて、その関連ノウハウを麺業界のお客様に開示、提供して、製品化のお手伝いをしています。また、当社は冷凍めん協議会の設立、冷凍めん市場の拡大につながる販促や、業界全体での品質面を維持する仕組みを主導して、業界の発展に寄与してきました。当社自身でも「どんど」という冷凍めんのうどん店まで立ち上げました。実際に冷凍めんを使った外食を通して、その美味しさや利用価値を広めていきました。
加藤:そういう形で、メーカーに小麦粉を納品するということだけど、新しく市場創造をするということはBtoCに踏み込んでニーズを拡大させていっているんですね。
山田社長:小麦粉は二次加工されて、消費者の手に届きます。その二次加工メーカー、ユーザーさんと一緒に製品を開発するには、消費者(C)の動向等を知ることがとても大切になります。
新井:国内企業と一緒にやってきた市場創造の取組みは、さきほどの「BtoBからBtoC」へのリレーションシップが重要であるとのお話しとつながりますね。海外市場において、海外企業を買収した事例の中で、同じような取組みを始めているところはありますか。
山田社長:少しずつそうした取組みを進化させています。実は、高食物繊維小麦粉という新原料に基づく小麦粉を2023年から売り始めています。この小麦自体は海外で開発され、その開発した会社から当社が日本国内において独占的に供給を受けて、販売をしています。アメリカでは別の会社が取り組んでいますが、オーストラリアでは、当社グループのアライド・ピナクルいう会社が販売をしています。
オーストラリアではこの小麦を使ったパン用のミックスを製造し、“WISE WHEAT®”というブランドを作っています。オーストラリアの最大のスーパーであるウールワースにあるインストアベーカリーで、このミックスを使ったパンが販売され、そのパンの名称としてこの“WISE WHEAT®”というブランドを使用しています。つまり、ブランディングを伴った市場創造に取り組んでいるのです。この高食物繊維小麦粉の特長は、特別なときに摂る健康食品ではなく、毎日活用し続けることで健康に寄与していく、「美味しさの先にある健康な世界」という考え方で、国内でも開発しています。将来的にはこのようにグローバルな市場創造に取り組みたいとも思っています。
加藤:一緒になって新しい製品を作って、お客様が売ってくれるのに対して、原材料を供給するということで、ウィンウィンな状態を作ることができるんですね。
山田社長:当社は市場創造の一つとして、新しいメニューも提供してきました。2000年くらいまでは、ピッツアといえばアメリカンスタイルのスナッキーな感じのピッツアしかありませんでした。そのような中で、一つの食事として提供できるピッツアを検討して市場拡大をしようということになり、ナポリ風のピッツアに着目しました。2000年8月に広尾にピッツェリアの「パルテノペ」という外食店を開店しました。現在も恵比寿に1店舗ありますが、「食べログ」等にも掲載される都内のピッツアの名店になっています。その外食店舗を体験の場に活用することでナポリ風ピッツアの普及に努め、ピッツア専用の小麦粉を手掛けたりしました。家庭用ではハム・ソーセージメーカーさんなどが製品化されていますが、ナポリピッツァは今や定番メニューになっています。
買収した企業文化を尊重
加藤:改めて確認しますが、買収した企業の社員に対し、新たな理念を徹底させるために何らかの取組みをしていますか。
山田社長:特別なことはしていません。海外で買収した企業には、もともとその会社のカルチャーがあります。当社が会社を買収したと言っても、その企業が培ってきた文化に根付いた各社のパーパスやビジョンがあり、それを尊重すべきだと思いますし、そういう風に接することが大切だと思います。アメリカのミラー・ミリングにはミラー・ミリングなりのパーパスがあり、オーストラリアのアライド・ピナクルのビジョン、ミッションという言葉の中に、それぞれが培ってきた文化に支えられたカルチャーが活かされています。また、それぞれの地域で彼らの置かれているポジショニングとかマーケットに違いがあるので、彼らの目線の中でそれをやった方が従業員はしっくりくると思います。
加藤:押し付けるように社是を書き換えてしまうのではなくて、被買収企業の文化を尊重するということですね。私たちは、海外展開するときにどうやって本社が持っている社是・考え方を浸透させるのかという観点で考えていましたが、御社からは浸透させるのではなく、現地を尊重することが必要だと教えていただきました。
山田社長:もちろん、当社の社是や経営方針については、経営陣を中心にコミュニケーションを図り、伝えるべきことは伝えます。
新井:ということは、現地企業を買収したときには、基本的に社長は交代させずに留任させるのですか?
山田社長:留任させるかどうかは別にして、現地のトップは現地の人材にしたいと考えています。現在、北米もオーストラリアもトップは現地人です。タイは合弁ですが、トップは現地の者です。各社ともにセカンドは東京から派遣し、その人材がトップとコミュニケーションをとって、東京との窓口になります。事業戦略、年度計画、KPI等そのトップを含めたマネージメント層と東京がしっかり議論して方向付けを行います。
加藤:だからといって日清製粉のスタイルで経営をすることを強制するのではなく、各社のオリジナルの文化を尊重するということですね。
山田社長:そうですね。オリジナル文化という言い方よりも、いわゆるその会社に根差しているベストなものがあれば、それを尊重しても良いという考え方です。
ただ、そうは言っても、いわゆる製粉という事業フレームの中でとらえることができる、共通の概念というか、企業としての共通の存在価値はあると思っています。今回、水島工場稼働に合わせて開催する「未来展望フォーラム」では、そうした点をコンセプトにまとめ、しっかりと打ち出したいと考えています。つまり、製粉産業における共通の価値観のようなものですね。
新井:製粉産業といえば、圧倒的なジャイアントはアメリカにいますよね。
山田社長:日清製粉は世界の中では、生産能力規模で7番目の位置づけです。お話の出たジャイアントと呼ばれる米国の企業、アーデント・ミルズやADMは穀物ビジネスの企業です。この他に能力規模で大きい企業は、中国、東南アジアにあります。しかし、アーデントにしてもADMにしても、穀物事業としてはワールドワイドですが、製粉業としてビジネスを広域で展開しているのは当社のみです。そうした中で海外を広域に展開している当社の強み、加えてこの企業群における共通の価値を有することでの強力な推進力を先ほどのコンセプトとしてまとめようとしています。
「その想いに、小麦粉でこたえたい」(Shaping innovation with flour)
このコンセプトの作成に当たっては海外企業の現地トップにも相談しました。仮に当社が別の海外エリアに進出したとしても、このコンセプトは共通して言えることだと考えています。そしてこの企業価値を体現する企業であることを、改めて
「食文化創発カンパニー」(Creators and Drivers of Food Culture)
と定義づけしました。5月26日開催予定の「未来展望フォーラム」ではこの具体的な内容をお客様と共有化させて頂きます。
新井:日清製粉の国内外の従業員比率はどんな感じですか?グループ全体だと海外4で国内6となっていますが、製粉事業単体ではいかがでしょうか。
山田社長:大きくとらえると海外は日本とおおむね同数程度で、海外では特に豪州のアライド・ピナクルの従業員が多いです。
加藤:ホールディングスベースで言えば、BtoCの領域でもいろいろな事業を持っていますよね。各事業は同じものを作っているわけではないのでしょうが、製粉事業と同じようにそれぞれが想いを持ちながらビジネスをやっているということですよね。
山田社長:グループ全体におけるセグメントを見ると、製粉事業が全体の半分以上の売上と利益を持っています。その他には、加工食品事業と中食・惣菜事業を中心にその他の分野もあわせて、全体としてグループ本社で統括をしています。社是や企業理念は、あくまでグループ全体の包括的な上位概念になります。事業自体はセグメントごとに企業があり、それぞれの立ち位置や方向性も異なります。今回は製粉事業の統一したコンセプトを持つことで、海外も含めた推進力を作りたいと考えました。
加藤:企業創業者の一つの理念が、パーパスみたいなものになっていく。海外で買収した企業にもそれぞれパーパスがあるということですが、共通軸として小麦粉製粉事業をしていることから横串を刺そうということで、パーパスよりも上位の概念になりますかね。事業を行う上で、ベーシックな部分を各社が共通概念としてみんな持とうよっていう感じでしょうか。本社で作ったパーパスにみんなついてこいというのではなく、それぞれの会社がそれぞれの文化を持っていていいんだけど、共通概念の認識は共有しておこうというイメージでしょうか。
山田社長:そうですね。もっと言えば、例えば、各社で若干パーパスが違っているとしても、ゴールに向かうプロセスの中でやるべきことは一緒だよということを共有したいと思っています。その結果が先ほどのコンセプトになりました。
加藤:我々が書籍の中で示した「羅針盤」みたいなものを作られたということですね。
新井:もちろん、製造プロセスなどが進歩・発展しているとはいえ、製粉という仕事は古くからあるんですよね。古代メソポタミアの時代から小麦粉を水で捏ね、パンを焼いて食べていたし、4000年から5000年前から古代エジプトでも製粉道具が使われていた。
山田社長:まさに、そこが各社で共通の概念を持って取り組めるということかと思います。製粉事業としてのハード面における共通認識に加えて、製粉事業における歴史的な価値を共通概念として持たせようというアプローチですね。よく使われている「パーパス」という呼び方をしているわけではないですが、具体的な中身として、海外の現地企業も納得できるものとして示そうと考えています。だから先のフォーラム終了後、海外各社でタウンホールミーティングを開催して、できる限り私自身で説明をしたいと思っています。
山田社長:今回、国内では水島工場が竣工し、生産設備としてのロールモデルを示すことになりますが、冒頭でもお話したように、アメリカでもテキサス州の工場に新しい製粉のラインを作りました。その設備によって日本で培ってきた高品位の小麦粉でビジネスの拡大を図りますが、同時にそこではその設備だけではなく、二次加工技術を開発、試験するイノベーションアンドテクニカルセンターも併設して建設しています。アメリカはスペックでの商売が主流です。しかし、もっと小麦粉の話をして、新たな開発につなげたいと考えているお客様も多くなっており、こうした設備が日本と同様に有効と考えて着手しました。このアクションは、今回発表するコンセプトにつながるものです。
また、日本政府が輸出を強化しているように、日本の食品メーカーが生産する製品のクオリティは菓子等ですごく高く評価されています。そうした製品を現地で製造することのお手伝いもこうした設備で可能になります。様々な取組みが広がるものと考えています。
「在り方」と「生き方」が一対に
新井:最後にもう一つ個人的な質問なのですが、山田社長は、日清製粉にお入りになったときと今で、何が変わってきたと思いますか。社長が入社する時点で、思い描いていた将来像は実現できていますか。海外展開を予想していたか、自分が思っていた範囲で変貌を遂げているのか、ここの部分はちょっと違った感じで変貌を遂げているのかなどをお聞きしたいです。さらに、入社時に自分が社長になろうと思って入ったかどうかという点も含めていかがでしょうか。
山田社長:さすがに、社長になるとまでは思っていなかったです(笑)。私が入社したのは1983年です。当時から当社の最大の課題として、将来の自由化に向けての話が挙げられていました。だから、私自身においても、そういうプロセスのために今何をすべきかという点は話していました。一方でそう簡単に自由化が進んでいくわけではありませんので、今いる地点が、第3コーナーを回っているのか、第4コーナーを回っているのかも、仕事をしながらよくわからない状況ではありました。ただ、将来的には製粉産業においてバリューチェーンを見据えていく必要があるとは感じていました。製粉業単体だけで考えると、事業は苦しくなっていくのだろうということです。自分たちのコア事業にどのように付加価値を付けていくかということは考えてきました。
一方で国内市場だけでなく、海外市場に目を向けることも方向性の一つと認識していました。先ほどもお話ししましたが、海外比率は短い期間で大きく変わっています。新井長官のご質問にお答えすると、当初考えていたところはあったものの、結構緩やかに変化して来たなと思っていたのが、最近になって急激にいろいろと変わって、結局は、入社時に考えていたある想定の範囲に来ているというところでしょうか。まだ、小麦に関しては、完全自由化とかにはなってないけども、自由化に向けた一定のプロセスの中には入ってきているとすごく思います。
加藤:入社したときは、超ドメスティック企業だったんですよね。
山田社長:そうですね。海外なんか全然考えていませんでした。
加藤:その頃から先々、自分は海外ビジネス関係のところに携わることになるかなと思っていたのですか。
山田社長:全く思っていなかったです。私は業務用の小麦粉の営業でしたので、お客様との取引の中で海外との関係はありました。お客様が海外に進出するときや海外とのビジネスのサポートを行っていました。
加藤:社長に就任されたあとで、海外比率が3割から5割ということですから、会社全体が大きく海外事業にギアチェンジして行ったということで、山田社長が海外志向を持って入社されたのかと思いましたが、結果的にそうなったということですね。
山田社長:やっぱり2012年ぐらいからが大きな事業展開の転換点だと思います。私はその延長線上で社長になっています。ある意味では、着任した時点では、そちらに向けて道筋はできていたと思います。
新井:外枠でほぼ固まったという段階に、CPTPPができ上がった時期と重なるんですね。それはやっぱり製粉産業が他と違うところなんですね。他の食品産業と外枠が全然違うから、それがどうなるかが大事で、ウルグアイラウンドがあり、今のCPTPPでだいたい方向性が見えてきたということですかね。多少、海外との交渉の様子は行きつ戻りつの感がありますが、御社としての対応はそれに合わせつつといったところでしょうか。
山田社長:日米貿易協定の方向性がトランプ大統領の就任で大きく変わり、米国がTPPから外れたときは少し慌てました。最初にも申し上げましたが、製粉産業は国民の主要食糧である小麦、小麦粉を扱っているエッセンシャルビジネスであり、米と同様に、様々なレギュレーションの影響を受ける可能性が高い点で他の商材とは違います。そのレギュレーションの状況がどんどん変わっていく中で、我々はその先を見ながらどう手を打っていくか。国との関わりも当然様々な形で出てくるという部分が、他のビジネスとは違うところかと考えています。だからこそ、社是の一つである「時代への適合」がとても重要だと感じていますし、これを実行しなければ当社は成り立ち得ないと思っています。最初に触れましたが、「信を万事の本と為す」とこの「時代への適合」、この「在り方」と「生き方」が一対となって社是となっていることが、当社グループの大きな特徴と考えています。
新井:いいまとめになりましたね。
加藤:そろそろ時間なので、ありがとうございました。
新井:ありがとうございました。