喫茶店はいま 本格派の時代、焙煎業界にノウハウを学ぶ

1992.04.06 1号 11面

喫茶店は、昭和50年代前半、全国に一八万店あった。しかし、平成に入って、喫茶店は、急速に力をなくし、一〇万店前後になってきた。一八万店あった当時、ロースター業者の中には、多過ぎるという声があった。一〇万店前後が適正店舗数ではないかというならばこれからが、本格的喫茶店時代の到来ということになる。

昭和三〇年代、日本もようやく、戦後から立ち上った時代、現代のように、あらゆるレジャーがまだなく、若者達も、どこにエネルギーをぶつければよいかとまどっていた。その当時の喫茶店が若者をリードした、その代表的な喫茶店が、新宿歌舞伎町などにあった「灯」「カチューシャ」などの歌声喫茶であった。

その後、銀座「ACB(アシベ)」、あるいは「美松」といった音楽喫茶である。ここに出演していた若きタレントが、人気者になり、いづれ大物タレントとして巣立っていく場でもあった。余計なことだが、音楽喫茶から育ったタレントは、坂本九、森山加代子、飯田久彦、小坂一也などあげるときりがないほどである。

昭和34年、赤線が廃止されたが、それを境にして、店名「コンパル」を中心とした美人喫茶が誕生した。当時、コーヒー一杯六〇円時代に、一〇〇円以上の価格であったが、それでも、サラリーマンを中心に店内は、満席に近かった。

このように喫茶店が時代の流れを先取りして、客をリードした時代があった。いまは、情報もあらゆるメディアから客は受け、良く知っている。さらに、レジャーも多角化し、それらに逆う「お宅族」なるものまで出現している時代、喫茶店の店主に、時代にあった店作りをしろという方が無理であると思う。ではどのような方法があるのだろう。喫茶店で愛飲している客は、雰囲気、サービスなどが十分であれば満足して、再度来店する。

ドトールコーヒーの鳥羽博道社長は「喫茶店のコーヒーは、空気も一緒に売るもの」という。「一八〇円のコーヒーであれば、やはり一八〇円の空気が必要、一〇〇〇円であれば一〇〇〇円の空気が必要」という。客がその単価で満足してくれればそれでよいということである。事実、シティーホテルのコーヒーラウンジは、七〇〇円~一二〇〇円という価格帯が常識であるが、客はそれなりに、サービス、雰囲気に満足してコーヒーを飲んでいる。しかも、一杯でなく何杯でも飲めるようになっている。現在の喫茶店は一杯で終りというところが大部分である。まず、サービスという観点から、おかわり自由ということもあってみてはどうだろうか。見ていると三杯飲むという人は、ほとんどいない。二杯がやはり限度である。一八〇円コーヒーとはっきり差別化することが必要。

焙煎業者(ロースター)が、適正店舗数に近づいてきていると語っていることは、逆にいえば、ただ、アフターサービスということでなく、きめのこまかいサービスも受けられるということだ。喫茶店店主は、焙煎業者に、いろいろ指導を受けられる時代に入ったことを認識することが大事である。

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