シェフと60分 日本料理「菱沼」店主・菱沼孝之氏 自分で食べるつもりで
和食は包丁で決まるといわれるが、これは「材料を大事にするという意味」。
きれいな、切れる包丁で切れば材料にプレッシャーがかからない。材料に対する愛情があるから無理をしない。「包丁が先にあるのではないのです」。
野菜や魚がきれいに箱に並べられているが、それまでにはいろいろな人が素材が変わらないよう気遣って運んでいる。
それを切れない包丁で切ったのでは、今までのみんなの努力を台無しにすることになる。
みんなには「包丁はいつも研ぐように」と言っている。
もし切れない包丁を使っているようだったら、その仕事を止めさせ、もっと切れる包丁を持っている者に代わらせる。
「最高のものをやろうとしたら切れる包丁を使うしかない」
自身は常時三〇本ちかい包丁を、いつでも使えるようきれいに研いでおく。よく使うのは一五本くらい。なにかのアクシデントで切れなくなった時、すぐ代替でき、常に良い状態で仕事ができるようにしておく。
「こうした心構えの差が一〇年、二〇年たった時、とんでもない差となるように思います」
料理人の才能うんぬんといわれるが、大きく左右するのは何といっても本人の努力であり、あと少々が才能プラス運という。
努力といっても、ただガムシャラに突っ走るのでは方向を見失ってしまう。ビジョンを持ちイメージを作り、それに向かって進めば、努力をしただけ報われるのが料理の世界だという。
自身も「良い仕事を知らないで、本物を知らないでやったのでは時間の無駄」として、技術レベルの高い「鶴の家」に入り修業をした。
良い先輩に恵まれ、いろいろなアドバイスを受ける。
自分で店を持つのか、職人としてやっていくのかはっきりさせてから勉強しなければ意味がないと。
当時、「自分で店を持とう、三〇歳でやろう」という確固たる決意をしていたため、後はそれに向かって努力するのみだった。
三〇歳にこだわったのは、五年やって失敗しても三五歳、あと一〇年資金づくりをして再スタートしても四五歳、やり直しがきく。
それに「三〇では思い切ったことができる。五〇では技術、知識もあるが、肉体的に衰えており、満を持してやるため失敗すると悲惨」と読むからだ。
日本人が日本の食材を使って、日本で作り、かつ日常に食べるものが日本料理。大きくくくれば料亭料理もハンバーグも日本料理のひとつという。
商売が家庭料理と違うのは、同じ日本料理の中からハレの料理を取り出して作っていることだ。
料理のボーダレス化が言われるが、「材料がおいしければ使うし、意味があれば使う」。
若い時はフォアグラなど使ってみたくて挑戦した。どういう風にできるか、使うことで料理が違って見えるのではないか、変わって見えるのではないかと思い使った。「結果として無駄とわかり止めた」。
キャビア、トリュフなど使えばおいしい素材なので時季には使うが、昔ほどには使わなくなった。
わざわざそんなものを使わなくても、ふんだんにある家庭でも使う大根、ニンジンなど普通の食材で十分にハレの料理が作れるという自信がついたからだ。
若い者には常々言っている「自分が食べるつもりになって作りなさい」と。
商売とは思わず、自分が食べるつもりで作れば、汚いまな板は使わず、食べよい大きさに切り、きれいな器に盛り付けるだろう。
また、熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに食べるだろう。
これらを考え合わせれば、どうすれば良いかおのずと答えは明らかになる。それには「技術は要らない」と言い切る。
技術は勝手に付いてくるものであり、まずは本人がそうした考え方になるか理解がなければならないとする。
商売は正直にやっていればついてくるものと確信する。独立し、丸一〇年やって得た答えだ。
料理は自分がおいしいと思ったものを自信をもって出すだけ。
芸術作品ではない、理解をしてもらおうとは思わない、ただおいしく食べて欲しいだけと言いつつ「やっぱり料理を理解してくれる客はうれしい」と本音をチラリ。
作る料理は歯が悪そうだ、お年寄りだからといった対応はするが、個々に合わせることはしない。
「オーケストラの指揮者が一人ひとりの好みを聞いて演奏ができますか、自分がなくなります」
ただ、残されると大きさ、かたさなど自分の考えが間違っているのではないかと、再点検をする柔軟さは忘れない。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
昭和31年、埼玉県川越市生まれ。子供のころから人の命令が聞けない負けん気の強い性格だった。香川調理師栄養専門学校卒業後、三〇歳までには独立を目指し、銀座「鶴の家」で修業。その後数店を経、自ら決めた三〇歳で日本料理「菱沼」を開店する。
現在、日本テレビ「ごちそうさま」にレギュラー出演。また料理教室を開講するが、甘いマスクから主婦層での人気は高い。