シェフと60分 プリンスホテル総料理長・小川清六氏 洋食の奥義は和の味付けに
「もっと日本の食文化を知ろう、和から味付けを学べ」と声を大にする。
和食には鰹節でとるダシがある。呼称はダシだが洋食のソースと同じ役目をする。このダシの使い方を勉強し、洋食のソースの使い方にも応用すべきというわけだ。
かつて大阪に赴任したころ、洋食部門は「これで仕事ができるのか」と思ったほど遅れていた。
その時スタッフにいったことは、関西の和食がこれだけ有名になっているのはなぜか、目の前のことを知らなさすぎる、料理の中身をもっと味わってみなさい、と。意外に洋食の応用の基礎は和食にありというわけだ。
また、洋食は、和食と違い煮っころがしを作るにもバター、生クリームなどいろいろミックスさせる表現法だ。素材を多く使うから、どうしても重くなりがちだ。
ところが今、食事情は大きく変わりライト志向となり、今までのバター、生クリームに代わって、オリーブオイルが台頭してきた。
このオリーブオイルは種類も豊富、料理によって使い分ける必要がある。和でも一番だし、二番だしと使い分けるようにだ。「これからのコックは、何十種類とあるオリーブオイルを使いこなせるようにならなければいけない」と本格的オリーブオイル時代を予測する。
ただ、それには「物真似ではなく、日本人に合った使い方をした独自のものを打ち出して欲しい」と期待に目を輝かす。
かつてヌーベルキュイジーヌがもてはやされたが、これは日本料理の盛り付け、飾り付けをアレンジしたもの。
「フランス料理が、これだけ日本料理は素晴らしいと、世界に証明してくれたようなものです」
今度は逆に、日本人の感性を生かした日本独特の新しいオリーブオイルの使い方を示したらどうだろう。「それぐらいの大きな気持ちと夢を持ってこそ、目標は身近になる」と後輩に檄を飛ばす。
今年で八回目となる全プリンスホテル料理コンクールは、味ばかりでなく人の交流を行うことによりコックたちに「ひとつの目標づくりをしている」と評価する。
高輪では、全国展開するグループの力を借り、北海道など地方のフェアをしばしばおこなう。
東京では北海道のカニやホタテはおいしい、北海道は素晴らしいというイメージが定着しているからできる催しだ。
ただこれからは、こうした一方通行ではなく「北海道でも高輪のものが食べられるようにしていくべきだ」というのが持論。
それには、コック自身に必要性を感じさせ、また味のレベルアップのための勉強が必要になる。
今日やったから即明日うまいものができるように、簡単にいかないのが料理の世界。時間が必要だ。
こうした啓発の場として提供されているのが、料理コンクールでもある。
出場者のアンケートによると、地方ホテルの料理人が作ったものが直に見られる、同じ会場で異なるセクションの料理人とコミュニケーションができるなど、技術うんぬんより「みんなが、よし頑張ろうといえる雰囲気が良い」
コンクールを通して人材育成をするが、最終的には企業貢献させねばならない。
そのため価格帯を設けた和・洋・中・製菓・パン部門それぞれの優勝作品は、全国のプリンスホテルでメニュー化され、商品として売られている。
街場のレストランとホテル内レストランがよく引き合いに出される。また街場のほうが挑戦するチャンスが多いように思われるが、「オーナーシェフが身近にいるために陥りがちな一種の錯覚。その気にならなければどこの職場も同じこと」。
昔は余計なことをすると怒られたことも、今では一から一〇まで丁寧に教えていく教育法。
また、学校へ行き免許を取得してから現場でのスタートだ。入って良かったとあぐらをかくか、現実と学校との違いに気付き、自分なりに修正していくか、すべて本人の熱意と努力次第というわけだ。
実家が魚屋だったため、「魚のおろし方を、親父から直々に教えられた」思い出は、今でも忘れられない。 まるまる三年間、何もやらせてもらえなかった修業時代。
毎朝先輩より三時間早く出勤し、床掃除、先輩が使う道具を揃え、スタンバイする。厨房では床が汚れるのを嫌うため、常に気を遣い拭き回っていたが、タイミング悪く邪魔になると油が飛んでくることはザラだった。
だんだんと仕事に欲が出てきても機会は与えられない。なんとか勉強する方法はないか、自分なりに考えた結果、父親を師とした。
月給も安く、包丁も買えないため「親父の店の魚と包丁を使い、一生懸命練習した」。
おかげで魚をおろすことに掛けては、誰よりも早かったと自慢する。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
昭和9年、東京生まれ。戦争中は群馬県四万温泉へ学童疎開。飢えのため、ヘビ、渋柿と、とにかく口に入るものは何でも食べた経験を持つ。
家業が魚屋だったため、魚の世界に浸っていたころ、隣人のコックから肉の存在を知らされ大感動、「これを食べたさのあまり」コックの道に入る。
昭和47年3月、東京プリンスホテル入社。9月には赤坂プリンスホテルの料理長に就任。以後、各地のプリンスホテルへ料理長として赴任、平成元年現職に就く。
全国二〇〇〇人のコックを統率する元気の源は、毎朝欠かさない出勤前四〇分の愛犬との散歩。そして食べたいものを食べること。
やむを得ない会食がない限り、必ず自宅に献立を問い合わせるほどだ。最近は、皮肉にもかつて憧れた肉より魚への嗜好が強くなったという。