業界人の人生劇場:ウイリー代表取締役・橋口政治氏

1998.03.16 148号 11面

◆体重10Kg減のパン売り修行

宅配ピザチェーン「ピザ・ウイリー」の橋口政治社長の飲食業界入りは昭和47年。当時二五歳。化学メーカーのサラリーマンを経て、知人の手掛けるパン屋の店員となった。

「サラリーマン当時は組合員として経営者側と激しく対立。折り合いがつかず先輩の経営するパン屋の店員に転職しました」

「最初の一年間は見習いで勤務は朝7時から夜11時まで。重労働で体重が一〇㎏もやせました。でも、このころの経験が私の人生の出発点として大きな財産となりましたね」

「小売商売はサラリーマンと違ってお客の反響をじかに感じることができる。努力に比例して結果が得られるから夢中で働きましたね。とくにアイデアの実践が貴重な経験になりました。花を無料で配ったり、もちつきを実演したり、季節の果物をディスプレーして店内で果実狩りを実施したこともあります。また、ツーオーダーの手作りサンドイッチも大ヒットしました。こうしたサービスは、当時、メーカー系列のパン屋では珍しかったですからね。お客はいつも目新しさを欲しているということを実感しましたね」

◆アイデアラッシュで大繁盛

消費者本位を肌で覚えてきた橋口社長。本業のパンについてもエピゾードがある。

「実をいうと当時のメーカー系列の食パンは、配送の関係で製造の日付表示を後倒ししていましてね。つまり日付表示をごまかしていたわけです。もちろん鮮度も落ちている。焼き立てのパンを売りたいから、従来の配送仕入れを止めて、自らメーカーの工場に出向く直仕入れを始めたのです。するとやっぱりお客は正直。焼き立てのおいしさは口コミで伝わり大繁盛しましたね」

数々のヒットを飛ばしながら橋口社長と先輩は店舗を拡大。サンドイッチ店、惣菜店、焼きたてパン店を次々に出店し、入店当初一五万円だった日商を九年後には八〇万円にまで引き上げた。

◆ピザにパンのノウハウ投入

そして独立。手作りパン「ぱんの樹ルチア」をオープンする。九年間の現場経験をいかんなく発揮し、順風満帆、五年後には五店舗に展開を拡大する。しかしここで転機が訪れる。

「社員旅行ではじめて社員一五人が顔をそろえたのですが、うれしい半面、とてつもない不安にかられましてね。この先、従業員の生活を幸せに導けるのかと。パン屋は重労働で給料もさほど高くはない。しかも休みも少ない」

「そうこう考えているうちに宅配ピザと出合ったのです。非常にショックを受けました。厨房のみの店舗展開、アルバイト主体のオペレーションで大繁盛している。しかも焼き立てを届けるから鮮度も抜群。私も鮮度にこだわるからカレーパンなんかは一日に六回も揚げていたのですが、そんなプライドは吹っ飛びましたね」

「で、味はどうかというと鮮度は高くとも納得いかない。自分のこれまでの経験を生かせばもっとおいしいピザがつくれるはず。それで『ピザ・ウイリー』を立ち上げたのです。当然、不安だった社員の将来設計を見据えてのことですが」

昭和62年、葛飾区新小岩に「ピザ・ウイリー」一号店がオープン。パン屋のノウハウを生かしたメニューは大当たりする。

「パン屋の立場から見ると、日本人は柔らかい食感とほのかな香りが好き。クラストはミルクや胚芽を混ぜることで日本人志向の味に仕上げました。また、トッピングは調理パンの売れ筋実績をもとに、マヨネーズ、ポテト、カレーの系統を充実させました。他チェーンよりも和風感覚だということで幅広い層から好評を得ましたね」

起死回生のサイドアイテム

見よう見まねで始めた宅配ピザ店だが、パン屋ならではのノウハウとブームを追い風にチェーンを三〇店舗にまで拡大。ここでまた転機が訪れる。

「平成に入ると宅配ピザ店の飽和化で競合が激化しまして。いわゆる第二次ピザ戦争のころですね。売上げは頭打ちだし銀行は貸し渋る。追いつめられて腹をくくるしかないと覚悟しましたよ」

この境遇を打破するきっかけはパン屋での修業時代を顧みることだった。

「ピザの工夫はさておき、お客に喜ばれることを優先して考えました。それでサイドアイテムの商品開発に注力したのです。当時の宅配ピザ業界は、ピザが売れすぎるからサイドアイテムが貧弱だった。お客もピザだけのメニューに飽き始めているのではないかと思い、フライドチキンやポテト、グラタンなど、ピザのイメージに合ったサイドアイテムをラインアップしたのです。するとピザと抱き合わせのオーダーが連発して客単価と売上げが急上昇。これで崖っぷちから逃れましたね。いまやサイドアイテムの充実は一般化していますが、私の着目と実行が最初だったはずですよ」

◆弁当、すし、豚まん…挑戦だ

こうした消費者志向の先取りにより、現在チェーンは八八店舗にまで勢力を拡大。チェーン年商は四〇億円に達する。先取り感覚には依然衰えなく、最近は、小商圏でも展開可能な地方向け出店フォーマットの「ウイリーJr」、複合店戦略とする宅配弁当の「膳」、同様に宅配ずしの「大漁寿し」の展開に注力している。また、テークアウト豚まんの「噂の豚饅本舗」、団子の「倭屋」チェーン化にも意欲だ。

「宅配ピザの市場拡大は、宅配ビジネス隆盛の序章にすぎない。宅配には計り知れない市場ニーズが潜在していると思います。これまでの実績をベースに宅配の多角化をさらに進めていきたいですね」

橋口社長の先取りへの挑戦意欲は今後もさらに高まりそうだ。

◆(株)ウイリー/代表取締役=橋口政治/本部所在地=東京都葛飾区新小岩二-一〇-四、電話03・3655・9105/設立=昭和63年3月/資本金=一〇〇〇万円/従業員=二〇人/ストアブランドと店舗数=「ピザ・ウイリー」八八店舗(直営八、FC八〇)、「膳」六〇店舗(ピザ・ウイリーと複合)、「大漁寿司」四店舗、「噂の豚饅本舗」六〇店舗、「倭屋」二店舗/事業内容=ピザ・ウイリーなどのチェーン本部、FC展開と食材供給、卸業

◆橋口政治氏=昭和22年、鹿児島県種子島出身の五一歳。少年期は勉強嫌いのガキ大将。地元高校を卒業後に上京。化学メーカーに勤務するも自己主張が先走り上司と対立し七年で退社。以下は本文通り。趣味は健康法を兼ねたゴルフ。平均月三回のラウンドでハンデは二六。酒は、飲む時はたくさん飲み、赤ワイン二本は開ける。たばこは吸わない。

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