いま一番気になる料理人注目の店 日本料理「篁」 数百年の調度品を生かす
本紙1月19日付で行った「料理人に聞く」アンケート調査項目の一つに、「注目する店」を取り上げた。プロの料理人が独断と偏見で選んだ店、厳しい目で見た結果、気になる店として相当数が上がってきた。いったい何が彼らをとりこにしたのか気になるところ。そこで、今回から「料理人が注目する店」をシリーズ化し、注目する人、される人の両者に語ってもらうことにした。
訪ねる人
牧内淳治総料理長(紀尾井町「福田家」=東京都千代田区紀尾井町六-一二、電話03・3261・8577)
迎える人
守田育古店主(日本料理「篁」たかむら=東京都港区六本木三-四-二七、電話03・3585・6600)
牧内 バブルの全盛期には、この赤坂界隈にも高級料亭といわれる店が四五軒はあったのですが、今は一一軒。時代が大きく変わる中、しっかりと根を生やし、お客の絶えない「篁」(たかむら)さんには頭が下がります。
車が行き交う道を離れ、石段を登ること三五段。そこにはうっそうと茂る竹やぶに囲まれ、古色そう然としたたたずまいの篁があります。とても今の時代には考えられない風情ですが、いったいいつごろから営業なさったんでしょうか。
守田 ここは、もともと私の祖父の地所だったところで、漱石をはじめ明治の文壇人が庵として使っていた場所でした。これにちなみ店名は、竹林の庵の意を生かした篁と名付けたんです。
私どもが営んでおりました銀座の割烹「以上」をたたみ、一八〇度転換し、この地に来ましたのが昭和28年のこと。まだ、このあたりには狸がいっぱいいたようですよ。
牧内 そんなところに、食べ物を扱う店を営業することは大転換だったんですね。
守田 明治生まれの母は先見の明というか、思い切ったことが好きな人で、よそさまにないことをやってみようと――。紆余曲折はありましたが、陣屋敷風の建物で野鳥料理をやってみようと、当時は許可のあったキジ、シギ、ウズラ、スズメなどを炭火で焼いて出しました。
もちろん、前半の前菜から八寸までは割烹のきちんとしたものを出し、後半は、ガラリと変えて客の目の前で料理人が焼きます。この習慣は今も受け継ぎやっていますが、食材は時代に合わせた魚介類などに替えております。
食材では先生にいろいろとお世話になっておりますが。
牧内 うち(福田家)は、産地直送の魯山人の精神でやってはおりますが、値段的なものもあり、営業であるからには利益も出さねばならない。貫き通すのは大変なことです。
守田 板前も、その時季でないと出したくないといいますし――。市場に行けば夏場であろうが冬場であろうが何でもあるんですが、自然体ではない。太陽と土で育ったものを、お金を掛けて、心を込めてお出しする、これが一番おいしい。
牧内 ところで、調度品など昔ながらのものがありますが、これだけそろえるのも大変ですね。
守田 買い付けには棟りょうが一緒に行きます。二晩も三晩もかけてあちこち探してきます。ここにあるものは、すべてその土地で代々使われてきたものです。この壁の腰板や天井のはり、テーブルのケヤキ、それこそ何百年もたったものを生かしたもの。もとは何倍もの大きさだったのを改造し、ここに合わせるんです。
全体の風合いを合わせるために、買い付けてきたものを材木小屋に入れて、同じ年代で枯れたものを持ってきて使うようにしております。
牧内 部屋のしつらえばかりでなく、手入れの行き届いた庭の維持もたいへんですね。
守田 庭師は三代目、棟りょうは二代目と三代目が一緒にきています。庭園風ではいけない、野趣あふれる野のような、山のような庭造りをしてくれています。夏になるとミンミンゼミ、秋っぽくなるとカナカナゼミ、秋はスズムシが鳴くんです。
冬の雪見酒もおつなものですよ。
牧内 春夏秋冬、自然を享受できるんですね。それも東京のど真ん中で営業しているんですから。
守田 今、わざわざ買おうとしても絶対に買えませんね。
皆さん、ビルの中で忙しく仕事をしてらっしゃる。せめてここにいらっしゃる間は、肩から疲れをほぐしていただきたいと心遣いをしております。
牧内 こうした場所で自然体を維持するのは大変なことです。今後も、折を見てお訪ねしたいと思っています。