ご当地ラーメン徹底研究 札幌ラーメン、北国の濃厚スープが売り
冬の寒さは札幌ラーメンの重要なスパイス。この寒さが、体の芯から温まる独特のラーメンを創出した。
スープは表面をラードで覆い、冷めにくくしている。味は、ニンニクや野菜のエキスが効いた濃厚なもの。味噌ラーメン発祥の地だけに、味噌を主力商品とする店が多い。
麺は中太で縮れている。加水率を三三~三八%と高く熟成させるため、腰が強い。モヤシなどの野菜に負けない強い食感を持つ。黄色く透明感のある麺は、味噌のスープの中で美しく泳ぐ。
仕上げにモヤシ、野菜、ひき肉などの具をスープとともに中華鍋で炒める。この方式も札幌ならでは。スープと具の一体感が増し、より熱々のラーメンとなる。ニンニクとモヤシを一緒に炒めることにより、ニンニクのにおいをモヤシが吸収する。極めてロジカルな調理法である。
このように、麺と具とスープがバランスを取り合って三位一体となり、一つの丼に収められている。この調理法が、札幌ラーメンの完成度をより一層高めている。
大正11年の札幌で、北大前に「竹家食堂」が開店した。その店には「肉絲麺」(ロースーミェン)というメニューがあった。豚のもも肉とネギを細切りにして上に乗せた、塩味の中華麺であった。それが形を変え、具に焼き豚、メンマ、ネギが入るようになる。
そしてその中華麺がラーメンと呼ばれるようになる。これが北海道ラーメンの起源。しかし現在「札幌ラーメン」と呼ばれているものは、それとは全くの別物になっている。
味噌ラーメンの開発が札幌ラーメンに大きな変革をもたらした。札幌「味の三平」の大宮守人氏がその創設者である。昭和30年、アメリカの大手スープメーカー、マギー社の社長が、リーダーズ・ダイジェスト誌に、日本の食文化について次のように記述した。
「日本人は味噌という素晴らしいソースを持ちながら、それを活用していない」
元来味噌好きの大宮氏の頭から、その言葉が離れなかった。当時のサッチョン族(札幌の単身赴任者)から「豚汁に麺を入れてほしい」との注文を受けたのを機に、味噌ラーメンの研究を始めた。
常連客用のテストメニューとして30年から開発を手がけ、36年には正式にメニューに加えられた。これが、今ではラーメンの定番となっている味噌ラーメンの草分けである。
大宮守人氏が開発した味噌ラーメンは、あっという間に札幌中に広がり、人気商品となる。そして40年、高島屋の北海道物産展で味噌ラーメンの実演販売が行われる。これが東京、大阪で大評判となり、味噌ラーメンをメニューに取り入れる店も顔を出しはじめる。
42年には「札幌ラーメンどさん子」一号店が両国にオープン。以後四年間で三〇〇店舗という驚異的なフランチャイズ展開を行う。続いて43年には、サンヨー食品から「サッポロ一番みそラーメン」が発売される。これが大人気を呼び、未だ人気の衰えない超ロングセラーとなる。
こうして「ラーメンの街札幌」「札幌味噌ラーメン」の名は、誕生から一〇年足らずの間に全国区に広がった。今では味噌ラーメンは押しも押されもせぬラーメンの定番メニューとなり、札幌ラーメンの名は海外にまで広まっている。