料理人私の健康法(14) 「丸勝」調理長・篠原敏家さん
自ら仕事バカを自認する篠原敏家調理長。明けても暮れても仕事のことが頭から離れないという。これが原因か、ついには「穴こそ開かなかったが、気づかないうちに十二指腸かいようになっていた」と笑う。
子供のころから卓球、サッカーで培われたのか、生来の挑戦欲が人一倍強いのか、血気はやる二五歳で早くも「三晴」を開店、一国一城の主となる。
結局、一人の力では及ばず三年で閉店。その後、小さな中国料理店に勤務するが、経営者と肌が合わずたもとを分かつ。
「このころ、かいようをつくっていたかもしれないですね」と笑えるほど、現在勤務の「丸勝」では自らの力量を発揮している。
「おかげで土・日はウエーティング。売上げも入店時の倍になりました」
最近、仕事の鬼は店内だけに止まらず、地元の調理師学校にも出向く。「若い後輩たちに手取り足取り教えるが、逆に反面教師として楽しんでいます」
当面、自店を持つことなく「ここまで伸ばした業績をさらに伸ばしていきたい」と、チャレンジ欲は増すばかり。
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〈しのはら・としや〉「丸勝」調理長(神奈川県横浜市戸塚区前田町五〇五‐八、Tel045・824・3151)/生年月日=昭和33年4月15日、牡羊座/血液型=B型/身長・体重=一七一センチメートル・七一キログラム、少々太り気味/酒・たばこ=酒をおぼえたのは中学一年生。悪友に誘われスナックで飲まされたというが、大人の雰囲気に酔い、まんざらではなかったようだ。たばこは小学校六年生の時、知り合いの家へ遊びに行き、教えられたという。一日一箱、マイルドセブン。メニューを組み立てる時や食後にはつい吸ってしまう/食事=好き嫌いなく何でも食べるが、小さいころから異常にすしが好きで自分でもすし屋をやろうと心に決めたこともあった。今も外食となるとすし・刺身屋へまっしぐら。ごくたまにとんかつ屋へ足を運ぶ/家族=独身。目下募集中だが、不規則な生活を強いられる料理人の世界を理解してくれる人が希望とか。