榊真一郎のトレンドピックアップ サラダとは一体何物?

1998.09.07 160号 24面

料理としてのサラダというものは、往々にして「野菜をおいしく食す」ために発達したのだといわれるけれど、それならば究極のサラダとはおいしい生野菜をそのまま食べることであって、もしそれをよしとすれば、料理としてのサラダは存在価値をその瞬間になくしてしまう。

ああ、なんと悲しい存在そのものの自己否定と自己矛盾。自然から遠ざかりながらも自然に戻っていくことこそが料理の神髄、という前提に立ってサラダを再び熟考すれば、そこにはドレッシングがあった。

実はサラダとはドレッシングを食す料理であり、おいしいサラダの探求とは「食すに値するドレッシングを考える」ことに尽きるのではないかというのが今日のテーマです。

これはあくまで私的なアイデアですが、爽やかを形にしたようなサラダは、やはり朝、生まれたに違いない。採れたての野菜の傍らにサニーサイドアップ。どこにでもある朝食の光景は、当然、熱々の卵を口に運ぶことから始まるのですが、そうした決まりきった日課を何度も繰り返すうち、小惑星が地球に衝突するくらいの確率で卵と野菜が一緒に口の中に存在する偶然に恵まれることになる。

半熟卵のトロトロが、塩の風味やコショウの香りや野菜の甘みなど、ありとあらゆるおいしさを受け止めて一つのものにしていく不思議に、好奇心の塊はもっと合理的にしかも確実に、このおいしさを再現することはできないか、と思案する。それがサラダの誕生じゃないかと思うのです。

今でも気の利いたモーニングサラダの一つとして、生野菜のポーチドエッグ添えという料理があります。野菜の上で落とし卵の黄身を潰し、少量の植物油とレモンの絞り汁、適宜の塩・コショウとともにただただグチャグチャあえては食べるそれだけの単純な料理だが、文句なくうまい(考えてみればこの材料を生のまま練り上げたものがマヨネーズなのですから、うまくて当たり前なのですが)。

半熟の黄身という素晴らしい自然の不思議を余さずいただく工夫を、後の人たちはドレッシングという工夫に昇華させた、そのスタート地点をぜひ試されたい(しかも簡単至極なり)。

このようにして生まれたであろうサラダが、行きつく姿を知りたければ、ぜひシーザーサラダを召し上がっていただきたい。

あのシンプルなサラダ誕生のキッカケを作った「ポーチドエッグ」を基本に、ニンニク、アンチョビ、マスタード、ウスターソース、タバスコ、レモン汁、オリーブオイル、パルメザンチーズと、およそ考え得る限りのおいしさの要素たちを、野菜とただただ混ぜ合わせただけの単純にして、しかしながら複雑なこの味のパレードは、ドレッシングと呼べばよいのかソースと呼べばよいのか。

もしかしたらその調味料の複合体そのものが一つの料理を成しているような気もして、ほらね…、サラダというのはやはりドレッシングをいただくための料理なのだと確信を深めるに十分な一品。そして食すに値するドレッシングを得たサラダは、メーンディッシュとしても役不足であることは決してない、という事実も発見できます(何と言ってもあのシーザー総督の名前をいただく料理なのですから)。

パークハイアット東京のメーンダイニング・ジランドールに直行するのが一番の近道でしょう。完璧なるこのサラダを手に入れるにはドレッシングもさることながら、ロメインレタスなるローマ産のレタスが必要なのだけれど、ほとんどの店はこれを普通のレタスで作る。

しっかりしたシャクシャク感がありながら口の中では軟らかく、微かな甘みと程良い苦みはロメインレタスじゃなくちゃなかなか出ないんだけどネ。だってシーザーだけにやっぱりレタスもローマで、っていうとおごるなよ、と叱られそうだけれど。

((株)OGMコンサルティング常務取締役)

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