店主の本音・プロが訪ねる気になる店
イタリアン、チャイニーズが脚光を浴びる中、元気がないといわれるフレンチ。ブームに流されることなく、先輩から後輩へとしっかり受け継がれるフレンチは健在、と豪語してやまない二人のシェフ。フランス料理「ヴァンセーヌ」の酒井一之料理長と、「ネプチューン」倉田栄示料理長。ともに料理人の会を統率する立場から熱い胸のうちを語ってもらった。
訪ねる人=ネプチューン・倉田栄示料理長
(くらた・えいじ)=レストラン「ネプチューン」料理長(東京都江東区東雲二‐一‐一七、Tel03・3529・0020)
昭和42年、栃木県宇都宮市生まれ。子供のころから父親の経営する洋食屋を手伝っていたが、一六歳で帝国ホテル入社。以来「ビストロ・ド・ジャム」などを経て京王プラザホテル、現在の「ネプチューン」とフランス料理一筋に歩む。
一昨年、三〇歳未満の若手料理人の会「クラブ・レゾナンス」を結成、経験豊富なシェフを顧問に迎え、次代を担う若き料理人を束ねての初代会長となる。大先輩の顧問を講師に料理講習会を開き、個人では勉強の機会が少ない若き料理人たちとともに学ぶ。また今年は新しい挑戦としてレストラン「ラ・クイエット」を開店する。
迎える人=ヴァンセーヌ・酒井一之料理長
(さかい・かずゆき)=フランス料理「ヴァンセーヌ」料理長(東京都渋谷区渋谷一‐一六、Tel03・3406・0675)
昭和17年、埼玉県浦和市生まれ。法政大学第二法学部入学。いつか「海外へ」の夢が実り、昭和44年、料理人修業にデンマークへ渡る。二年後にはフランスへ移り、パリのレストラン二軒でシェフを務めた後、ホテル・メリディアンの副料理長となる。
昭和55年、一五年の海外生活に終止符を打ち帰国。多くの混乱と戸惑いの中フランス料理「ヴァンセーヌ」の料理長に就く。同時に料理人の会「クラブ・デ・トラント」を結成、次代への橋渡しに尽力する。
倉田 若手シェフの会「クラブ・レゾナンス」を発足するに当たり、日本のフランス料理界に多大な影響を与えた酒井シェフにぜひ加わっていただけたらという念願がかない、現在、顧問としていろいろ御指導していただいております。
酒井 私も精神的、肉体的にも若いと自負しているので(笑)、喜んで加わらせてもらっています。
私は料理人の会「クラブ・デ・トラント」に所属していますが、この会は一九七〇年代にフランスで修業した料理人が帰国して作ったもの。三〇歳代のシェフ三〇人で構成しています。
当時われわれが修業していた六〇~七〇年代のフランスは古いものと新しいもの、当時いわれていたヌーベルキュイジーヌが入り交じり混沌としていた時代。これを実際に見てきた経験は貴重です。これを生かし時代の栄枯盛衰、流れをともに研究しようとフォーラムや研究会など活発な活動を展開、これに触発されて料理人の会がどんどん結成されました。われわれの会が先駆ともいえるでしょうか。
また料理人の世界はどうしてもタテ型社会になりがち。そこでヨコに手をつなぎましょうとクラブ・デ・トラントが発起人となりフランス料理研究会全国連絡協議会も結成しました。約三〇の会から約一〇〇〇人が参加した全国的な組織です。
二年に一回の料理コンクールを開催しているが応募者数もだんだん増え、内容的にも日本一を自負しています。
倉田 クラブ・デ・トラントの具体的な活動は。
酒井 個人名ではなくテーマを設けた料理講習会をやっています。例えばジビエのフォン、ジューの作り方、フォアグラの処理の仕方、ビストロの料理、大きなレストランの料理など。テーマは無限です。会では総力をあげて若い人に伝えていこうと頑張っているんです。年齢も高くなってきていますし(笑)。
倉田 講習会は何回ぐらい。
酒井 年二~三回。ただし通しで三日間、朝と昼、六人のシェフがかかりっきりです。レベルはかなり高く、日本一と自負しています。講師陣も原則として無給。膨大な量のレシピと試食、自分の店をおいてですからたいへんなことです。
倉田 受講者はどのくらい。
酒井 大体平均して八〇人くらい。みなさん勉強したいんだなという気迫を感じます。これからは倉田さんたちの時代。お手本というかレールを敷いておかないと。
倉田 われわれ若い料理人の会は内容も薄くなってきたという危機感があります。こうして投げかけて下さるものをしっかり受け止め、吸収していきたい。料理だけでなく料理人としてどうあるべきかなども指導してもらいたい。
酒井 今マスコミは「フランス料理の時代は終わった、これからはイタリア料理」といっているが、間違っている。今までにもエスニック、無国籍、ケイジャンなどとブームはあったが、ただブームに乗ったところはつぶれている。じゃあフランス料理はどうか。しっかり残っています。倉田さんのように独立する人もいるし、フランス料理の裾野は確実に広がっているとみています。
基礎、基本、考え方は大事なこと。これを次の代に続けていかなくてはいけない。世代間に遊離があってはいけません。例えば一般には見られなくなったベシャメルや昔風トマトソースなど。そのまま使うんでなく少し取り込んでみるのも必要なことです。
倉田 確かにベシャメルソースやトマトソースは時間がかかる。これをどんどん省略して今の料理ができており、こうした忘れてはいけない部分を若い人に勉強してもらいたい。料理の要になる部分、お客にうまいと言わせる部分ですから。
うちはそうしたものを作っているが、そうでない店では勉強したい時、辞めざるを得なくなる。そうしたことのないよう会では講師を招き講習会を開いていますが。
酒井 倉田さんのところは古いソースを使っているらしいが、逆にうちは使っていない(笑)。
料理人が素材をお客にどう提供するかはある意味で職人の世界。多くの選択肢を望むお客に対し、引き出しを多くするか一つの引き出しを深めていくか二つの道があります。フランス料理の場合、新しい食材を見つけレパートリーを広げなくてはいけない。勉強しないとネタに行き詰まります。かたやそば屋、すし屋、焼き鳥屋などは来店の目的がはっきりしているので、そのもののおいしさを追求すれば良いのです。
ところで新しい店を出店されどうですか。
倉田 今の若い人は情報に踊らされあちこちと動き、一つのことをじっくり学ぶ姿勢に欠けています。隣の芝生が青く見えるんでしょうか。まず自分の庭の芝生を青々とさせてから次のステップに進むべきだと思いますが。
酒井 料理学校を出る時、情報は先生しかいない。あとは雑誌を見るとかで現場に入って現実を知ることになる。人の問題はどこでもついて回ること、あまり気にしないことです。
レストランで大事なのは、お客とのコミュニケーションとおいしいものをコンスタントに出していくこと。大量生産はできない、手間ひまかけて作り、常時同じレベルでおいしいものを出していけるかです。それになんといってもお客が店に来てくれることです。
こうすれば繁盛店になるなどいろいろな情報誌が出ていますが、そのとおりであれば繁盛店がいっぱいになる(笑)。
倉田 料理の世界は一〇年サイクルで動いていると聞く。資金力ある人が店を出し、ホタテの生を三切れのせてオードブルという時代もあった。クラシックの場合、順序を踏まないと味は出せないし、これからはクラシックが見直されると思うんですが。
酒井 昔あった料理が復活し今の料理がなくなるとか、奇想天外な料理が昔からの料理を凌駕(りょうが)し消失することはないと思う。いつも基軸を中心に右に左に揺れながら新しい食材、器具、作り手、食べ手が出現し前に進んでいく。
六〇年代から現在に至るまで、フランスに渡ったコックは一万人ではきかない。作り手の数が増え、層が厚くなっていくのに比例して食べ手も増えていると受け止め、フランス料理の明日は大きく広がっていると確信しています。