これでいいのか辛口!チェーンストアにもの申す(26)退職者に聞く問題点

1999.03.01 173号 26面

ここに一人の男性がいる。埼玉県大宮市在住の梅田政昭さん(39)。彼は、一六歳の高校生のころからマクドナルドでアルバイトの経験を積み、途中一時マクドナルドを離れるが、それでも通算一七年間もマクドナルドで仕事をした男である。その優秀な彼が、何故マクドナルドを退職したのか? いや、退職せざるをえなかったのかを、退職した者たちのインタビューを通して解明してゆきたい。第一回目は、マクドナルド。

大宮駅近くの喫茶店で聞いた梅田氏の話から、彼が非常に優秀で一途な男であることが分かる。一六歳高校一年生のころ、国内三一番目の店であるマクドナルドの川口栄町店に入店する。

「あの当時、アルバイトを一人前の人間として職場で認めてくれたのは、マクドナルドだけではなかったでしょうか。それだけマクドナルドでは、アルバイトの活躍する舞台が広く、教育プログラムも明確だったので、迷うことなくその教育プログラムの目標にまい進することができたのです」

「ですから非常に面白かったし、マクドナルドでのアルバイトに夢中になりました。店のあらゆる仕組みや機器の細かいメカニックなんかも、夢中で覚えました。それにサービスの流れや、何故そうしなければならないのかも自分なりに考えノートに書き込んだりしました」

「高校生でも、店が混んでいれば一日一六時間も働いたこともありました。その当時、時給は二八〇円です。一人前になると三二〇円になるのですが、決して周りから見てその時給が高いわけではありません」

「先輩は皆厳しく、ちょっとしたミスでも厳しくしかられました。決まって、『どうしてしかられたのかを良く考えろ!』と言われました。それを後から報告に行くと、丁寧に教えさとしてくれました」

「厳しかったのですが、それは本当に愛情のある厳しさだったのです。マクドナルドでは、皆が本当にファミリー的な和気あいあいという雰囲気でしたから、自分も高校生でありながら一人前の職業人のような気持ちで夢中になって働きました」

そんな彼も、大学受験を控えマクドナルドから離れることになる。

武蔵野美術短期大学のデザイン科に入学し、自分の志望とは違うと気づき、今度はジャーナリスト専門学校へとすすむ。その時期に、再びマクドナルドでアルバイトを再開する。

「たまたま、旧知のマクドナルドのマネジャーから『スイングマネジャー(アルバイトの時間帯責任者のこと。Aスイングマネジャーになると社員以上の実力がある)をやってみないか』と誘われて、挑戦しようと奮い立ちそのテストに合格。再びマクドナルドに勤める。それから約二年間でAスイングマネジャーにまでなりました」

「ジャーナリスト志望だったので、就職浪人を決め込んでいましたが、尊敬しているスーパーバイザーの方からアドバイスをいただき、社員への道を選んだのです。当時はバブルの影響で人手不足の状況でしたから、結構スムーズに入社できました」

「入社した当時、アルバイトと社員の違いを嫌というほど思い知らされたことがありました。やはりアルバイトはアルバイトの知識と能力しかないんですね。それがまた、私のやる気に火をつけました。フードビジネスの神髄を探求しようと頑張りました」

こうして本部のスーパーバイザーにまでのぼりつめるが、ここでマクドナルドに異変が起きる。創業者、藤田田の息子が開発本部に取締役開発本部長となって入り込み、新商品開発を始めるのである。当初は「サンキューセット」(三九〇円のセット)を生み出し大当たりをするが、図に乗って次々にばかな新商品を生み出す。

もうお忘れであろうか。平成元年ごろ、「マック・チャオ」(チャーハンと中華ちまきのセット)、「マック・カレー」(カレーライス)、「あんぱん」(午後のティータイムのお茶うけ)などなど、珍奇な新商品を次々と生み出し、売り出してゆく。

新商品が当たらず、郊外にデラックスなドライブスルーの店舗、これがマクドナルド日本上陸以来の大不振をもたらす。現場も混乱するが、マクドナルドで育って一生懸命にやってきた人たちは大きな戸惑いを感じはじめる。そんな中でリストラが始まる。

いわく「社員独立制度」の創設。そして、夢をなくしたマクドナルドのサムライたちは、一人また一人とそこを去って行った。

その後、アメリカのマクドナルド本部の特別プロジェクト「PDA」が入り、アメリカでの経験(ウオールマートへのサテライト出店)から損益分岐点の低いサテライト店舗への出店が重点化され、不振店のスクラップと徹底的なローコスト化が図られた。そうして、現在のような“マクドナルドの大躍進期”を迎える。

梅田氏は、このアメリカのプロジェクトが入る前の、平成4年にマクドナルドを退職する。通算一七年間の、彼のマクドナルドの体験は退職してからも大いに生きる。しかしここで問題になるのが、彼がマクドナルドしか知らない男ということ。いかにチェーンの仕組みの中で優秀でも、マクドナルドの経験しかないという悲しさ故に、引く手あまたの転職先で大きなトラブルを巻き起こす。

チェーンストアの問題点は、そのチェーンでしか通用しない人間を作り上げることだ。例えば、すかいらーくの店長連中の中で、きちんとしたテーブルマナーを知っている人たちがどのくらいいるというのであろうか? 料理の基礎を知っている調理担当が本当にいるのだろうか? だし汁のうまみなど味わったことのない素人調理人が作るその料理は、どれほどおいしいのだろうか?

梅田氏の言うことが、その会社のトップが理解できず、現場がそれを理解できず、結局一人孤立することになる。こうして外食数社での経験を通して彼は今、マックだけの経験しかない自分の能力に限界を感じる。しかし、筆者が大宮で会った梅田氏ははつらつとした感じだった。

「中堅の外食企業で、マクドナルドの経験を生かそうと思いましたが、今は、どんなに小さくてもよい本当に信頼できる経営者と出会い、その人とともにやってみたいと決意しています」

こんな優秀な人材が、チェーンストアにはごろごろいる。しかし、企業のしがらみの中でその人材が生かされず寂しく去ってゆく場合も多い。それにしても、混乱を引き起こした張本人、藤田田氏の息子は、アメリカのプロジェクトが入って後退任したという。日本一の外食企業の、何とも情けない話である。(仮面ライター)

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