シェフと60分:フランス料理「ラ・シェーブル」オーナーシェフ・田口昌徳氏
「三〇歳で店をもつ」
二〇年前、当時一九歳の田口青年はそう宣言。三二歳でフランス料理店「ラ・シェーブル」を、二年前、三七歳でフレンチ風焼き鳥屋「萬鳥」をオープンさせた。
ともに浅草の地で評判を呼び、二店合わせた月商は一〇〇〇万円を超える(スタッフはシェフと夫人を合わせて一〇人)。三九歳の実力オーナーシェフである。
「仕事を覚えて技術を磨くのが二〇代。夢を切り開き、信用をつくるのが三〇代だとすれば、これから迎える四〇代は、自分のオリジナリティー、個性を高めていきたいですね。今後ますますいいもの、本物が求められる時代になりますから」
ラ・シェーブルの客単価は一万二〇〇〇~三〇〇〇円。築地で仕入れる鮮魚類、フランスから空輸される鴨やウズラ、契約農家からの無農薬野菜などこだわりの食材を、正統かつインスピレーションあふれる一皿、一皿に仕立てていく。
毎年渡仏して、新しい風を入れることも怠らない。今年は春に一七日間、フランス北部へ食べ歩きに出かけた。「ウチはスタッフにも連続一週間の休みをとらせています。若いうちに海外に出かけて、できるだけ本場の味、雰囲気に触れて欲しいから。自分が若いころの、一番の願いでもあったので」
豊かな休みは、目標ある豊かな働き方につながる。メニューや味ばかりでなく、スタッフのきびきびとした働き振りに、顧客から絶大な支持が寄せられているのが何よりの証拠だ。
「僕はガンガン文句をいうし、取っ組み合いもやりますよ。それと若いのに妙に冷めている奴をみると頭にくる。一番体力のある時期に全力投球をしないのが惜しくて」
若手に望むのは「目標を掲げ」「自分で考え」「貯金は後まわしで自腹でいいものを食べろ」ということ。自分で通ってきた道だけに説得力がある。
田口シェフが料理と同様にこだわってきたのは「信用づくり」だ。「一日一万円貯金」。これを開店以来の日課としてきた。
「オープン当初はつらいときもありました。でも毎日の積み重ね、続けることが大事なんです」
背景には、最初の店の資金集めの苦い経験がある。借りる物件は決まったものの、「給料はすべて食べ歩きに使い、貯金はゼロに近かった」田口シェフは、事業計画書を引っさげて地元・広島の、父の勤めていた銀行に持ちこんだ。
「今思えば当然なんですが、結局、父名義で、実家を担保にすることで融資が成立したんです。僕にはショックでしたね」
自分名義で借りられなかった悔しさが、一万円貯金の原動力となる。その結果、二店目オープンのときは、銀行から破格の融資待遇を受けたという。
自分に課すことはもう一つある。それは仕入れで「値切らない」ことだ。
「鮮度や良しあしの見分けは、築地のプロの仲買人には絶対にかなわない。だから最初から彼らの言い値です。それが信頼関係をつくるんですね」
店の仕事はある程度若手に任せられても、仕入れだけは培った信頼がものをいう。それは「これからの一〇年」でさらに飛躍する布石でもある。
ラ・シェーブルは、地下鉄・田原町駅から徒歩一分。アーケード街を曲がってすぐの、東京本願寺に続く静かな路地にある。
「物件をさんざん探し回りましたが、ここを見た瞬間、お腹がキューッと鳴り、その場で契約した」とびきりの物件だ。焼き鳥の「萬鳥」もそこから一ブロック。やはり落ち着いた通りに立つ。
昼に夜に、客足は大通りからわずかに折れ、居心地のいい時間を過ごしにやってくる。田口シェフ肝いりの「もてなし」の蜜に吸い寄せられて。
文 くりた・きょうこ
カメラ 岡安秀一
・所在地=東京都台東区西浅草1‐1‐12
・電話=03・3845・1336
◆プロフィル
フランス料理「ラ・シェーブル」オーナーシェフ 田口昌徳氏
一九六三年広島県出身。祖母の代まで実家は芸者置屋を営んでいた。「子供心に店の和包丁の美しさにあこがれて」日本料理を志向。上京して調理師専門学校に入学するも、バイトに明け暮れ、居残り助手をするはめに。そこで「こんなに面白い世界があったのか」と西洋料理に開眼する。浅草の名ロシア料理店「ストロバヤ」で一一年。フランス料理店二店を経て独立。その直前に酒屋を営む義父から「コーヒーの店を始めるので手伝ってほしい」といわれ、ドトール本社での一ヵ月研修を含め、半年ほどフランチャイズ立ち上げに関わる。「それまで僕は料理の世界にどっぷりつかっていましたが、研修では他のオーナーやドトールの新入社員など、いろんな人たちに合い、人間観察ができた。管理やマネジメントなど、経営を学ぶいい機会でしたね」
現在、夫人と義父と浅草に住む。リフレッシュは、休日の午後4時ごろ、お気に入りのそば店ののれんをくぐり、酒を傾けながら、そばをたぐることだそうだ。
◆私の愛用食材 海人の藻塩
田口シェフぞっこんの食材が、広島県蒲刈町産の海人の藻塩だ。
「焼き鳥屋『萬鳥』オープンのときに、実家から商売で使っていた和食器類を送ってもらったんです。その荷物の中に一緒に入っていたのがこの塩。お袋が『地元で人気のうまい塩』といって入れてきたんですね。なめてみると自然のうまみ、甘みが口中に広がり、これはいけると思いました」
以来、田口シェフの店御用達の食材に。素材の持ち味を引き出すとともに、小粒の結晶が見えるため、微妙な塩加減ができる点も気に入っているという。
ちなみにこのうまみは、原料である海水と、ホンダワラと呼ばれる海藻に由来する。縄文時代から平安時代、日本各地で行われていた「藻塩焼き」による製塩法を再現し、海藻のもつミネラル分、ヨード分を豊富に含む。焼きが入っている分、しけにくい特徴もある。
今年FOODEXで優良ふるさと食品中央コンクール・農林水産省総合食糧局長賞を受賞。厨房用塩としての利用度も広がっている。
◆問い合わせ先=蒲刈物産(株)(広島県安芸郡蒲刈町大浦七四〇七、電話0823・70・7021、東京事務所電話03・5543・1671)