シェフと60分 ヴァンセーヌ・料理長 酒井 一之氏 “芸術”に走りすぎは邪道
「料理を知るためにはその土地、国の文化を知らなければいけない。風俗、習慣の上に料理が成り立っているのだから、その国の文化を地道に知ろうとしなければいけない。しかし、今の若い人はそういうことを勉強するのを嫌う。料理が文化と離れてしまっている」。酒井一之さんの指摘は厳しい。
「たとえば秋田県のしょっつる鍋を語る時、材料のハタハタがどの川をどう泳いで、それを漁師が昔、どのように捕って料理したかを知っていれば、ハタハタの文化を語ることができる。しかし、東京で、本を読んでしょっつる鍋を作ったのでは、文化とは言えない」と。
《甘くほろ苦い出会い》 酒井さんとフランス料理との出会いは小説の世界のような“甘さ”と“ほろ苦さ”がある。六〇年安保闘争の時、法政大学第一高等学校で学生運動に明け暮れ、付属大学の推薦枠から外され、厳父に責任をとるかたちで法政大学第二法学部を受けて入学した。大学で闘争を続けたが、学生運動に違和感と幻滅を感じながら“バリケードのマドンナ”といわれた女性闘士に恋した。しかし彼女に失恋、それをきっかけにフランス文学を耽読、異文化への憧憬が人生を変えていった。
「レマルクの『凱旋門』に登場する、見たことも聞いたこともなかった“カルヴァドス”という酒に魅せられてシェフになった」という。
“お坊ちゃん活動家だった”と自著『シェフ』(実業之日本社)のなかで自分をつき離しているが、酒井さんの鋭い洞察力と論理の確かさは学生時代の闘争と失恋のなかで“醸成”されていったようだ。
「料理を芸術と言う人が多くなった。お客さんが出された料理を芸術と褒めるのは構わないが、料理人が自分の料理を芸術だ、と言うのは僭越だ」と論す。
さらに「旬の食材を使っているとか、毎日築地に行っている、ということを料理人は言ってはいけない」。「当たり前のことを自慢気に言うべきでない」からだ。
「築地に行って食材を探すのではなく、青森、長崎に行くべきだ」とこだわりを見せる。もちろん自らそれを実行する。
《不況風よそに業績好調》 不況で外食産業は押しなべて不振をかこっているが、酒井さんが腕を振う「ヴァンセーヌ」は平成に入ってから、ずっと売上を伸ばしている。「昭和天皇が崩御された時だけ落ち込んだ」という。
いまの外食産業に対して「大手チェーンは派手な宣伝で来店動機を強制的に喚起しているが、これは日本人の食生活にとって、あまり良いことではない」と外食産業の現状を批判する。「あってもなくてもよい外食産業があふれている」と嘆く。
自らを“少数派”と認じ「しかし、こういう生き方を貫くしかない」とさらりと言いきる。よどみのない静かな語り口に一流料理人としての教養と自負がのぞく。
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1942年埼玉県浦和市に生まれる。法政大学第二法学部に入学し、同大学在学中にパレスホテルに入社。1966年同大学を中退し、デンマークへ渡る。2年後、フランスへ移り、ヨーロッパ最大のホテル・メリディアンの副料理長を務めて、1980年に帰国、同年にヴァンセーヌの料理長に迎えられる。現在、フランス料理界の一流シェフが集う「クラブ・デ・トラント」の事務局長ほか、各団体の要職に就いている。
文 ・富田怜次
写真・新田みのる