シェフと60分 舟橋四川飯店・簑島誠調理長 基本に忠実でありたい
今はなくなった新橋烏森の四川飯店がスタートの店だった。
当時、日本へ初めて四川料理を紹介した黄昌泉氏や陳健民氏、その下に日本の四川料理を書物に著した原田治氏を師に、厳しい修業の日々であった。
「一日中怒鳴りっ放しの人でした。たまたま、私は同じ北海道出身ということで可愛がられましたが」と当時を述懐する。
“仕事は見て盗め”と教えられた時代。まず最初にやった仕事はネズミ退治。それからごはん炊きである。
「今までごはんを炊いたことがなく、今のように電気釜もありません。ランチが始まる前に四つ五つを鉄釜で炊きます。一つでも焦がすとローテーションが崩れ、大変なことになる」気の許せないごはん炊きであった。
次は、皿洗い一年、鍋洗い一年。この間に手打ちソバをやる。
「日本のうどんは足ですが、われわれのは手でこねます。拳を使うため、手の皮がすりむけていました」。こうした修業を終え包丁を握ることができる。
「包丁は一番難しい。四川料理は切るものをキチンと切らないと駄目。中国料理は味つけより、包丁のキレが良くなくてはいけません。いくら良い味つけでも、野菜の大きさ、肉の厚さが違ってはいけないのです」。昔からの伝統で、包丁を持つ人が位が上だという。
四川は中国でも山あいにあるため、魚もナマズ、コイなど川魚が多く、また生ものに乏しいため、海の幸、山の幸を乾物にする。
この乾物を上手に使い、おいしく食べるのが四川料理。
「私が見習いの頃は、今と違って素材が良かった」と嘆く。
多くの素材が缶詰や冷凍に替わる中、「四川料理は乾物を戻して使うのが基本」として、ナマコ、フカヒレなど吟味した乾物を使う。
こうしたこだわりは、味のこだわりと同時に「若い人に教える義務もある」。先輩から受継いできた四川飯店の味を、とどこおることなく次代に引継がせたいとする師の強い心持ちが感じられる。
もどし方で味が変わるといわれる乾物だが、油を嫌うスルメやナマコなどデリケートな素材には気を使う。
「乾物は冷める間にもどるもの。湯を沸かし過ぎてもダメ、ポッコンポッコンの状態を保つため目を放せず」、ナマコは、七~一〇時間かかるという。
冷凍の代替が考えられるが、「本当の味ではないから仕方がない」と乾物を使う。まさに、こだわりの味だ。
ランチを基本とするグランドメニューは二〇〇余種類。
難しい漢字が羅列したメニューを、調理場に入る前のパントリーでグラス洗いを三ヵ月やっていた時憶えた。
今では新入生が入った時、振り仮名を振って憶えさせ、「半年もすれば憶えられます」という。
「一〇年たってやっと半人前。メニューや味付けは理解できるが、自分でどうアレンジするかが難しい」。それほど奥深いのが四川料理。
前菜から点心まで、何でも自分で作るオールマイティでありたい。また、旬の野菜を使い「今おいしいと思うものを作ることができるのは料理人冥利に尽きる」という。
北京料理、上海料理、広東料理、四川料理などそれぞれ違った特色を持ちながらも、最近では垣根がハッキリしない風潮がある。
「四川料理という看板を掲げていますから、基本は絶対忠実に守るのが鉄則。地域によりいろいろな制約はあるでしょうが、私個人としては、商売としてではなく、良いものをキチンと出して行きたい」と料理人の気骨を示す。
昔と違い、職場の人間関係も大きく変わりつつある。
「上に立つ者がどれだけ仕事ができ、下の者に魅力を与えるかが、若い人がついて来るかどうかにかかっている」
今は、あまりに忙しい店では勤まらない者が多く、そのために「われわれが働き易い労働条件をつくる」努力を惜しまない。
今までは若い人へのアドバイスに欠けていたとして、「懇切丁寧に教え、掃除から何から何まで、すべて一緒にやりながら教えています。そうしなければついて来ない」。
ここ二~三年は就職難だが、また何年か先には元に戻る。そうした時、「四川飯店は、厳しいけれど、仕事はキチンと教える」として、学校関係の理解を得、途切れることなく次代への道を継げたい。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
昭和23年、北海道に生まれる。兄が調理人であったことから、料理への道に自然に入る。
一七歳の時、「一人前になるまで帰って来るな」という父親の言葉を噛みしめ、ボストンバック一つで故郷をあとに‐‐。
昭和39年、東京・新橋「四川飯店」に見習いとして入社。四年間働き、池袋「東方会館」で四年間前菜部門を担当するが、四川料理の長になるにはオールマイティでなければと、六本木「四川飯店」に戻る。以後、柏、船橋の「四川飯店」調理長を務める。
テレビなどマスコミの影響もあって「料理がブームとなっているが、料理はブームではない。文化だと思っている」と言い切るだけに、受け継いだ四川の味をそのまま提供し、「卓上に調味料は出すな」が基本。
四川料理の認知度が高まる中、東京学館総合技術高等学校で料理講師として、また、千葉そごうデパートで、主婦対象の料理教室を開いている。