オリーブオイル特集 仕入れガイド(11社分)

1996.03.18 97号 25面

大自然の恵み満載のカナダ食材が注目を集めている。北米の位置づけで産物はアメリカに近い。だがフランス、イギリス両系民の伝統を受け継ぐ職人気質とすればむしろ日本に近い。きめ細かく丹精込めてはぐくみ、育て、収穫した農水産物の品質は日本市場でも高く評価されている。昨今は流通や現地加工技術が以前にも増して向上しており、高品質、使いやすい、値ごろ感がある、といったカナダ食材の認識は、今後もさらに強まりそうだ。調理場で活躍が見込まれる食材とそれを用いたメニューを紹介する。

国  名  カナダ

国土面積  998万〓(日本の約26倍)人口2,875万人(94年8月推定)

首  都  オタワ

主要言語  英語、フランス語

〈政治〉

政  体  立憲君主制

元  首  エリザベス二世英国女王

議  会  2院制(上院104人、総督が任命、下院295人、任期5年)

内  閣  首相

〈経済〉

国民総生産(億USドル)

5,694(92年)、5,517(93年)、5,480(94年)

1人当たり国民総生産(USドル)

19,060

カナダはアラスカ州(アメリカ合衆国)を除く北アメリカ大陸の北半部全域を占める大陸国家で、付属諸島を含む総面積は九九八万〓で日本の約二六倍に達し、ロシアについで世界第二位の大国である。

カナダの元首はイギリス国王で、形式上は同王国から派遣された総督が統治するイギリス連邦内の自治領であるが、実質的には一〇州と二準州からなるアメリカ合衆国と似た連邦国家である。国土のほとんどが寒冷地で占められるため人口は南部のアメリカ国境地帯に集まっている。したがって、政治、経済、文化、交通などあらゆる面でアメリカ合衆国と密接な関係にある。

広大な国土を有するカナダは膨大なエネルギー、鉱産物、森林、水力、農水産物など天然資源に恵まれた世界屈指の資源大国である。この資源はアメリカの市場と直結して開発されて、カナダ経済の支柱となっている。

農業の総耕地面積は四五九三万ヘクタールと日本の一〇倍強に達しアメリカ同様に生産性の高い大規模な企業的農牧業が発達している。水産資源も、北大西洋、北太平洋に二大漁場を有するほか五大湖を始めとする内水面が国土の七・六%を占め、内外にわたり豊富である。とくに、東部のニューファランド近海にはグランドバンクを中心とする多くのバンク(漁礁)が発達する大陸棚と、メキシコ湾流、ラブラドル海流の寒暖両流が出合う世界屈指の好漁業を形成している。

カナダは、日本の二六倍という広大な面積を有し、農地は、七%ながら日本、ドイツを合わせたものより大きい。

この広大にして、今後の開発が期待される潜在的農業基盤を持つカナダは今、日本に熱い視線を向けている。

そこで、駐日カナダ大使館参事官であるロン・ディビッドソンに、日本市場へ積極攻勢をかける農産物について聞いた。

カナダ産菜種は、一九七四年に絞り粕を家畜飼料に利用できるカノーラ種が開発されて以来、プレーリー地方(五大湖とロッキー山脈の間に位置し、肥沃で広大な内陸平原地帯にあるマニトバ・サスカチュワン・アルバータの三州)を中心に生産されている。菜種の生産量は中国、インドに次ぎ第三位である。

日本市場では、九割がカナダから輸入されているが、原料輸入のため知名度はいまひとつ。

昨年8月、カナダ油業界は、政府の助成金廃止により原料輸出から加工輸出に傾斜しつつあり、小売向け容器入り商品の輸出も始めている。

また九四年ごろから日本での市販品にもカノーラオイルの明記が見られるようになり、今後は、さらなる市場拡大により認知度も高まると見る。

カナダビーフの一大生産地であるアルバータ、また、モントリオール、トロントを背景として発展したオンタリオ・ケベック両州の酪農地帯が、酪農・畜産業が盛んな地域として知られる。

カナダビーフの日本でのシェアは、現在一%程度だが、昨年は五〇%の増、今年は七五%増を見込み、二〇〇〇年には一割を目標としている。

オンタリオ湖畔を中心としたナイアガラ半島とロッキー山脈に挟まれたオカナガン地域が、ワイン生産地として知られる。

ワイン産業は、歴史的には浅く二〇年ぐらい。ヨーロッパ系移民によるヨーロッパ方式を導入したワインの品質は、高く評価されている。

産業規模は小さく、ほとんどが欧米に輸出されているが、近年、日本市場へも出回り評価も高まってきている。今後、流通量の増加により認知度は高まると期待している。

過去一〇年、日本の味噌、醤油、豆腐を研究の結果、専用の大豆を輸出しており、今後、農産物輸出の第三の柱に育てようと力を入れている。

からしは、日本に向け年間一万tが輸出されており、マスタードシードは、完全に日本向けに品種改良されたもの。

そばも、日本市場に合わせた品種で輸出されている。麺だけではなく、ホットケーキなどの食べ方提案もしている。

紀元前五万年~二〇〇〇年、アメリカ大陸とシベリアが陸続きのころ、先住民族のカナダインディアンが住み着いていたが、コロンブスが北アメリカ大陸を発見し、一五~一六世紀にかけ、ヨーロッパから探検者たちが富とロマンを求めて入植、開拓が始まる。カナダ入植の先駆はフランス。セントローレンス川河口をヌーベルフランス(新フランス)と命名し植民が始まる。後に、北アメリカ大陸の東部(後のカナダ)をフランスが支配下におき、イギリスが南部(後のアメリカ)を制する。

一七~一八世紀、フランスとイギリスが本国で衝突するたびに北アメリカ大陸でも東部と南部で衝突が繰り返され、一七五六年の植民地七年戦争で東部がイギリスの支配下におかれる。だが、このころ南部でも反イギリス感情が頂点に達していたため、その反英感情が飛び火せぬよう、支配下に置きながらもフランスの習慣法律を認めたケベック法を施行した。これが今日までフランス系住民がカナダにおいてその固有性を保持してきた要因である。

一七七六年、東部が独立戦争を起こしアメリカとして独立、イギリス人がカナダに亡命。しかし先住のフランス系住民と習慣が対立し、ケベックを中心とする上カナダ(フランス系住民)と、オンタリオを中心とする下カナダ(イギリス系住民)に分かれ、別々の議会を構成する。

一八六一年からの南北戦争で、イギリスが支持した南部が敗北し、これを契機にケベック、オンタリオはアメリカに国防の危機を募らせる。アメリカに対抗するため上下カナダの結束が生まれ、一八六七年、オタワを首都とするカナダ連邦が成立した。

その後、第一次世界大戦では連合国の一国して参戦、世界にカナダ国の認識が強まる。また、これによりイギリス、フランス両系民の融合が促進し、カナダ人としての自覚が高まる。そしてイギリス本国と対等の完全自治権を獲得する。

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