シェフと60分 築地本願寺「紫水」料理長・長島博氏 精進料理に新風
「いま、精進料理は二刀流の時代に来ている」という。単なる慣習で作られている精進料理は、おいしいものではないと決めつけられ、また、おいしさを求めて来る人もいなかった。
「これからは、寺の精進料理もおいしいといわせたい」と、伝統に則りながらも固定概念にとらわれない長島流の創意工夫した精進料理を打ち出す。
一般的に、修行とは難行苦行と錯覚されているが、親鸞上人は、妻帯、長髪を許し、また、喜怒哀楽も自然に出す修行をすすめていた。
料理についても、何を食べてもかまわない、おいしいものを食べ、健康を害さないで楽しくお経を上げられるようにという教えだ。「単なる食物になるか料理になるかの差は大きい。食物は、ただ食べられれば良いが、料理は、素材をきちんと計量し、きれいにおいしいものを提供すること。これからは寺でもおいしい料理が求められる」と解釈する。
かつて盛り付けが悪い時、親父さんがよくいっていた言葉に、「お通夜のしごとじゃないから、もっときれいに盛れ」の罵声だったという。
今、自身が通夜の料理を作る立場になり、こうした比喩を払拭し、「食は生きるためのものだが、楽しんで食べるもの、おいしく食べるもの」と、築地本願寺ならではの新しい提供の仕方に日夜腐心する。
意外に精進料理を理解している人は少ない。表に出ることのなかった精進料理に、どう新風を吹き込むか期待されるところだ。
築地本願寺は、江戸時代の元和7年(一六二一年)准如上人が開基した真宗本願寺派の別院。毎年、親鸞上人の命日に当たる11月11日から一週間、一大イベントの法恩講が催される。
期間中、奉納された野菜、穀物、麺、酒などで作られた精進料理が、関東周辺から修行に来た信者に振る舞われる。その数一日約八〇〇食。
初日朝4時30分には一週間分のメニューを記した帖案が貼り出される。
五味五法五色、つまり醤油、酢、塩、砂糖、辛の五味、生、煮る、焼く、揚げる、蒸すの五法、赤、青、黒、黄、白の五色を組み合わせた精進料理は、理に適った間違いのない料理法。 この伝統の料理法に「毎日のこと、なんとか飽きさせない法はないか」と思いあぐねていたが、ついに馴染みのオリーブオイルを大胆に取り込むことで、「今までにない新しい味」をあみ出した。
グラタン、コロッケ、大根ステーキなど、工夫の限りを尽くした新メニューは「精進料理にもこんなものがあったのか」と評判をとり、鍋の減りも速くなった。嬉しい悲鳴だ。
「長い間、食材を洋風、中華風と一線を画していた」と自らを反省、同時にオリーブオイルとの出合いで、発想の転換ができたと手放しで喜ぶ。最近では、バルサミコ酢にも挑戦している。
大量の宴会料理をこなしているだけに衛生管理には気を使う。
ごく当たり前に引き継がれてきた方法に、青魚は水洗いをすると色が飛んでしまうから、たて塩で洗えと塩水で洗っていた。これでは逆効果で菌は増殖する上、退色もする。
「昔の人が中毒も起こさずやって来れたのは、神業的な素早さで処理をしたのでしょう」と笑う。
今では、酢水で処理をする方法をとる。後進に説明を求められ、科学的に究明した結果、得た答えだ。
こうした伝承的料理法の見直し、また、日常的には出勤時の検査で怪我をしていたら盛り付けから外し、手袋をはめて洗い場に回す、また、布巾、まな板の消毒励行などを義務づけ、万全の体制をとる。
大量の宴会料理をこなしているだけに衛生管理には気を使う。
ごく当たり前に引き継がれてきた方法に、青魚は水洗いをすると色が飛んでしまうから、たて塩で洗えと塩水で洗っていた。これでは逆効果で菌は増殖する上、退色もする。
「昔の人が中毒も起こさずやって来れたのは、神業的な素早さで処理をしたのでしょう」と笑う。
今では、酢水で処理をする方法をとる。後進に説明を求められ、科学的に究明した結果、得た答えだ。
こうした伝承的料理法の見直し、また、日常的には出勤時の検査で怪我をしていたら盛り付けから外し、手袋をはめて洗い場に回す、また、布巾、まな板の消毒励行などを義務づけ、万全の体制をとる。
「結婚式は予約できるが、人が死ぬのは予約ができない。突然に入る大量の注文をこなしていくのがわれわれの仕事」。急を衝かれるだけに、衛生管理には万全の注意を払う。
自らの歳がそうさせているのか、野菜をおいしく感じるようになったという。
かつて自ら店を構えていたころ、常連客から馴染みになればなるほど「こちらがおいしいと自信をもって出しているのに」さっぱりしたものを要求してくる。
試行錯誤の結果、素材を生かし、あまり手をかけず煮たり焼いたりした野菜中心のメニューにしたところ、なかなかの好評を得た。
お客の関心事は「値段だけでなく、安心感があり身体にも良いこと」と気付き、思い切って従来の肉、魚中心を逆転させ、いかに野菜をおいしく食べさせるかに徹する。
こうした折、めぐり合ったのがオリーブオイル。野菜だけでなく、肉、魚と合わせても独特のうま味を引き出す力があることを発見。以後、野菜をより大胆に使い、これらとの相乗効果で野菜の魅力を発揮させている。
野菜を生かしたものに剥きものもある。
「料理をいくらおいしく作ってもわかってもらえない。形があれば」と、二五歳ごろから始めた。今では、キュウリのへたを四〇秒で雨蛙に細工し、塩、味噌を添えるのに使う。
日本料理には、一つの料理を作るのに、三会式という食材選び、器、添える花を重んじる思想があるが、まさにこれに符合した生かし方である。
昭和21年、横浜市生まれ。料理の道に入って以来、さまざまな料理人と出会い影響を受ける。なかでも、浅草のウナギ屋で修業中、熱さに我慢できずウナギを火の上に落としてしまった時のこと、親父さんが「お前の手は二~三日で治るが、ウナギはもとには戻らない」といったのに発奮、この一言を肝に銘じ、ついには独立店舗を築く。
また、料理の世界では特定の師を持たないといってはばからないが、唯一このウナギ屋の親父さんを仕事の師と認める。
現在、築地本願寺内で冠婚葬祭用会館「紫水」で、かつて働いた料亭や割烹の腕を生かし、独自の長島流精進料理を展開しながら、後進の育成に当たる。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一