横浜中華街に新風を 周富新さんに中華の生き残り策を聞く

1996.07.15 105号 23面

中華は“おいしい”。しかし、おいしいだけでは客を呼べない時代になってきた。おいしさプラス快適な環境プラス心の時代だ。中華の殿堂「横浜中華街」はこの問題に街ぐるみで取り組み、街を刷新、バブル崩壊後三割はダウンしたといわれる顧客を取り戻しつつある。二年前に南門から徒歩一分の立地に“周”ブランドの料理を提供する東名菜「周苑」を開店、快適な食空間とおいしい中華料理・真心のサービスで老舗が軒を並べる中、着実に中華街の新しい“顔”をつくりつつある周兄弟の長兄・周富新氏に中華の生き残り戦略を聞いた。

昭和25~26年ごろは、進駐軍向けの外人バーが多く、焼き芋屋、喫茶店、映画館のある、日本人は怖くて寄りつかない街だった。米軍の引き上げによって外人バーがつぶれ、それが中華屋に変わり、それが日本経済の発展とともに成長したのが横浜中華街です。

私は料理人の弟たちと異なり、航空会社、ホテルとサービスに携わる仕事をしてきました。ですから一貫して「中華料理がおいしいのはあたりまえ。衛生的な環境と心をうつサービスがなくては外食産業戦国時代に生き残れない」と言い続けてきました。特に横浜中華街は私の生まれ育った街ですからバブル景気で観光客が全国から押し寄せて行列を成し、店主が客をいかに効率よくさばくかに傾注していたときから「いつまでもこの景気が続くはずはないからもっとお客が心うたれるもてなし方をしないと中華街そのものがダメになる」と幼なじみの店主に忠告してきました。

幸いに、バブルで景気が良かった七~八年ほど前ごろ、店の主が初代から二世代目に代わるころと相まって、店舗の新築・改築が進み、厨房も店内も衛生的で心地よい環境が整備され始めました。

初代は「うまければいい」の一点張りの経営者が多かったのですが、二代目となると日本の衛生知識、日本人の環境にも配慮する食文化を学んでいますので少しずつ街全体がクリーンになり、中華の「うまいけど不衛生、不親切」というイメージが変わってきました。

バブルがはじけてさすがの中華街も客足が減少、年間一八〇〇万人をよんだ街も一三五〇万人にまでダウンし、今やっと推定一七〇〇万人にまで回復してきたところです。

忙しすぎてこれまで省みることのなかった経営について考えなくてはいけなくなったことが奏功して、やっとお客様本位の街のあり方、店舗のあり方を考えるようになりました。

五年ぶりくらいに中華街にいらっしゃった方は「中華街の象徴である門がとてもきれいになったし、数が増えている。街全体もとてもきれいになった」とみなさんびっくりします。経営者の方々の街ぐるみの取り組みの成果が徐々に出てきています。もちろん、横浜市も力添えをしてくれています。

私は、競馬で言えば「第四コーナーを回ってこれからが勝負」と思っています。中華街は腕に自信のあるプロ集団が集まる国内でも有数の中華の街なのでどこで食べてもそう味に変わりがあろうはずはありません。

これからの中華街は「清潔さと心とサービス」で、ますます魅力ある街に生まれ変わると思います。

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