飲食トレンド 脚光浴びる第5の中国料理「揚州料理」
十把一絡(から)げにいわれていた中国料理が、上海、北京、広東、四川など専門店として認められてきている。また、その一方で自由な発想で展開するヌーベルシノワが登場、人気を得ている。新旧混然とする中、今新しく宮廷料理のルーツ、中国伝統の料理「揚州料理」が浮上してきた。銀座三笠會館では今夏、看板の上海料理に日本では未知数の揚州料理を加え、将来的には全面的に入れ替えるという。どこまで日本人の胃袋に食い込むか今後が楽しみである。
長江下流域には七つの料理を総称した淮揚菜があり、そのなかに揚州料理や日本でも親しまれている上海料理などがある。
中国・随時代の煬帝により揚子江と黄河を水路で結ぶ大事業がなされ、揚州から多くの産物が都に運ばれた。清朝最盛期の乾隆帝はことのほか揚州の食物を愛し、宮廷料理として取り上げた。
「満漢全席」は、支配者の満人が人種の調和を保つため漢人とともに料理を食べたことから生まれた言葉。漢人の代表料理として揚州料理があげられたのはいうまでもない。こうして花開いた揚州料理も体制崩壊後、宮廷おかかえの料理人たちが野に下り、広東料理などを確立したとされる。
味の基本は素材の持ち味を生かした「湯」(タン)と「塩」。うまみのある淡泊な「濃淡」とよばれる味付けを特徴とする。四川料理が数種類の調味料を合わせる複合味とは対照的だ。
また「配菜」とよばれる刻み仕事を得意とし、盛りつけの優雅さも特徴とする。
食材はスッポン、淡水魚、川エビ、川ガニ、精進料理の流れをくむ豆腐などの大豆製品、ジビエ、黒酢、白・老酒など揚州独特の産物を使用する。
中国料理といえば四川、広東、上海、北京が主流。こうした流れに逆らって、なぜあえてマイナーな揚州料理を取り上げたのか。
「一七年間、上海料理を学び、研究しレベルが上がるにつれ、たどり着いた先が清朝時代に大輪の花開かせた揚州料理だったんです」と谷善樹社長。
「デリケートな上海料理の美しさ、素朴さなど料理の原点が失われつつある今こそ、こうした本物の味を知ってほしい」とアレンジなしで大胆にもコース料理に組み込んだ。
来日一〇年、揚州出身の特一級厨師、居長龍料理長を総帥に「中国料理がこんなにおいしいのかと認識してもらえれば」(高山広報担当)と9月はジビエ、10月から上海ガニと季節の素材を使って本格的展開を図る。